18. 剣林弾雨の予感がする
「これ、絶対家政婦がクロだよね」
「どう見てもミスリードだろ。本命は女主人で顧問弁護士が共犯だ」
「えー?」
不満げな声を漏らして振り向けば、至近距離にドヤ顔の男前が見える。「制作側の思うつぼだな」と笑う降谷に、名前は後頭部をぐりぐりと押しつけて反撃した。
「うわっ、やめろ」
「連ドラ7話目、それも中盤の10分だけ見てなんで犯人がわかるんですか〜」
「経験の差だろ」
「昔からわりとそんな感じだったくせに」
「じゃあ地頭の差」
「このやろ」
ぐりぐりを強くした名前に「やめろって」と抗議の声が上がって、どちらからともなく笑みがこぼれる。
一緒にいると約束して以来、二人の関係はまるで学生時代に戻ったかのようだった。あの頃と違うのは物理的な距離感くらいだ。
降谷は「落ち着くから」と後ろから名前を抱き込むように座りたがり、最初こそそれに照れて戸惑っていた名前も、かつて夜蛾の膝が定位置だっただけあってすぐに慣れてしまった。「ほっぺにちゅーしただけで動揺してたくせに…」とぼやく彼女に降谷が「不意打ちはノーカウント」とすまし顔で返したのも記憶に新しい。
「あ、そういえば。零くんならわかるかな」
「ん?」
「向こうで読み途中だった、連続殺人もののミステリー小説なんだけど……」
ドラマがCMに差し掛かったところで、結末がわからずじまいの小説について話し始める名前。
記憶を掘り起こしながら登場人物やストーリーの説明を始めると、最初の殺人について話し終わったところで「犯人は担任だな」と断言されて話が終わってしまう。
「早っ」
「簡単な推理さ」
それから始まった推理ショーにふんふんと耳を傾けて、ちょうどCMが終わる頃にその解説も終わりを迎える。
「ありがと、零くん。結末、ちょっと気になってたから」
名前は視線をテレビ画面に向けたまま、腹に回っている褐色の腕にぽんぽんと触れた。
「これで未練が一個減ったなぁ」
「未練?」
ぽつりと落ちた呟きに、背後の降谷がピクリと反応する。
「ふふ、大袈裟な言い方しちゃった」
スッキリしたってことだよ、と続ければ「そうか」と金髪をぐりぐり押しつけられてくすぐったさに笑う。名前がこちら側で生きることに前向きなのは、彼にとって相当に喜ばしいことらしい。
「零くん、わんこみたい」
肩口に乗る頭をよしよしと撫でる。相変わらず柔らかく指通りがいい髪だ。
「あながち間違いじゃない」
「いや、国家の犬はちょっとイジりづらいんで……」
まさかの公安ギャグ。
思わず苦笑すると、ふ、と笑う気配がして吐息が肩をくすぐった。
「名前の……」
「ん?」
「名前のこのピアスも、向こうへの未練か?」
視線だけで振り向けば、顔を上げた降谷が左耳のピアスを見つめている。
名前がいつも身に着けているのは、高専時代に灰原や七海と作った使い捨て呪具である。これには七海の術式が刻まれているが、未だ発動したことはない。
「ポアロで園子さんから聞いたんだ。男からのプレゼントだって」
「……プレゼントとか、そんな色気のあるものじゃないっていうのは聞かなかったの?」
「さあ、記憶にないな」
「その記憶力で?」
呆れ混じりの溜息をつきながら、名前は定位置に収まるピアスに触れた。
「これ、高専時代にもらった呪具なの。まだ役に立ったことはないけど……お守りみたいなものかな」
「へえ……」
「零くん?」
声のトーンが低くなった気がして、名前は降谷と視線を合わせた。じっとりと据わった目からはわかりやすく不満が伝わってくる。
「なんでもない。それが呪具なら、代わりのピアスを贈るわけにもいかないと思っただけだ」
「嫌なの?」
「いや、別に」
嫌そうだけど…?と思ってしまうくらいにはわかりやすい表情である。珍しい表情についプッと吹き出すと、「笑うな」と不貞腐れた声がする。
「なんか拗ねてる。かわいい」
「あのな……」
眉根を寄せた降谷がじっと見つめてきて、その近さを思い出した名前がピタッと動きを止めた。この距離感に慣れたとはいえ、冬空を映し取ったような灰青色に見つめられるとたまにどうしたらいいのかわからなくなる。
「れ、零くん……」
何やら不穏な空気を察した名前だったが、それを払拭したのは二人ではなく降谷のスマホだった。
短く振動したそれを確認した降谷が、形のいい眉をピクリと跳ねさせて「悪い、もう行かないと」と立ち上がる。そして手早く身支度を整えた彼が部屋から出て行くのを、名前は慣れた様子で見送った。
(行っちゃった。まあ、今日はゆっくりできた方かな)
名前と「ずっと一緒にいる」という約束を取り付けた降谷は、これで大義名分が立ったとばかりに仕事の合間を縫っては会いに来るようになった。これには先日、涙腺崩壊状態で出くわして心配をかけたことも影響している。GPSで位置情報を把握するだけでは心許なくなってしまったらしい。
会えばまず怪我の有無や体調、さらには冷蔵庫の中身まで徹底的にチェック。そして今日のように名前がテレビを見ている最中だったらそれに付き合ったり、コーヒーを飲みながらゆっくり話をしたり。かと思えば玄関先で「充電」と数秒ハグしただけで出て行くこともあって、名前としてはただでさえ忙しい身で無理して会いに来なくても…という思いもある。
(まあ、会えるのは嬉しいけど……)
出て行くバタバタで見逃したシーンを巻き戻しながら、名前は降谷が置いていったサンドイッチにかぶりつく。
そしてこうやって日々過保護に扱われているからこそ、つい忘れかけてしまうのだ。
仕事に命の危険が伴うのは、自分だけでなく降谷も同じなのだということを。
***
前触れはなかった。
それは名前がバイトに向かおうとバーの最寄り駅を出て、通りを歩いていた時だった。
辺りを赤く染める夕焼け。行き交う人々。何もかも日常でしかないその風景の中、名前は首筋をチリッと掠めたそれに反応すると―――前を歩く男を迷いなく押し倒した。
「うッ」
男が驚きと痛みに呻いた直後、名前の右肩に走る鋭い痛み。すぐに燃えるような熱さと生温い液体が溢れる感覚があったが、名前はそれに構わず男を細い路地へと引きずり込む。
「な、何をっ」
「……狙撃された、みたいです」
「!?」
「心当たりがないなら、警察に走って!」
男がどうするのかも確認しないまま名前は走り出す。
小説や映画から得た知識だが、スナイパーは暗殺が成功しようがしまいが、狙撃と同時にその場を離れるのがセオリーらしい。
しかも名前が持つ情報はほんの一瞬感じた静かな殺気と、自らを掠めた弾丸の大まかな弾道のみ。
それだけの情報でビルの屋上からワイヤー降下中のスナイパーを発見できたのは、もはやラッキーとしか言いようがなかった。
(……いや、でもこれは、もしかしたら関わらない方がよかった案件では?)
地面に転がる男を見下ろしながら、名前はぼんやりと思う。
男が地面に到達した瞬間、一気に距離を詰めて得意の旋風脚で気絶させたところまではいい。自分でも惚れ惚れするほどいいのが入ったので、そこはいい。
そして男のワイヤーを外してそれで上体を拘束し、無造作に転がしたところで、名前はその顔に見覚えがあることに気付いたのだ。
「えーっと、あの……コルンさん?」
おそるおそる呼びかけてみるが返事はない。遠心力を伴って側頭部に叩き込まれた名前の足が、彼の意識をきっちり刈り取ったようだった。
先日一緒にポーカーに興じた仲でもあり、なんなら寡黙で真面目そうな印象さえあったコルン。そんな彼もそういえば悪の組織の一員で、そしてこの組織に首を突っ込むと色々面倒なことになりそうなんだった、とげんなりしてしまう。
(無視するわけにもいかないけど、全力で無視したい……)
ここで下手に手を出したら降谷の仕事の邪魔になりかねないというのに。
人の命を狙う不届きな暗殺者をとっちめたにもかかわらず、名前の気分は重く沈んでいた。
「……ん?」
ジジ、と小さなノイズ音が聞こえた気がして視線を彷徨わせる。どうやらコルンが装着するイヤホンマイクから聞こえたようだ。
『……、…』
続く微かな音漏れに、名前はそのイヤホンマイクを外して自らの耳に装着する。
『おい、コルン。返事をしろ』
げ、と咄嗟に嫌な顔をしてしまう。聞こえたのは名前が知る限り一番厄介そうな男の声だった。
「コルンさんなら気絶させちゃいました」
ほんの一瞬、沈黙が落ちる。
『……なんでテメェがそこにいる』
「いや、目の前で人が狙撃されそうだったので……つい反射で」
ってなんでこっちが申し訳なさそうにしなきゃいけないんだ、とすぐ我に返る名前。どう考えても自分は悪くない。
「適当に縛って転がしてるんで、ちゃんと回収してくださいね」
『そこまでしておいて殺さねぇとは、随分とお優しいじゃねぇか』
「いや普通殺さないでしょ……ジンさんと一緒にしないでください」
思わず呆れたような声が出た。
どんな悪人だろうと、名前にとって呪いからその命を守るべき非術師であることには変わりない。
「そもそも、あの人が一体何を……」
言いかけて、名前は「なんでもないです」と取り消した。別に首を突っ込みたいわけじゃないんだった。
そんな名前の心情を知ってか知らずか、イヤホン越しにジンがフン、と鼻で笑うのがわかった。
『裏切り者には死を。それだけだ』
「裏切り者……」
その言葉を信じるなら、名前が助けたあの男も組織に与する者だったということになる。
執念深そうなこの男のことだ。今回暗殺を阻止されたからといって、あの男を見逃すつもりはないんだろう。助けたことに後悔はないが、これで結局あの男が死ねば助け損な気がしなくもない。
「……弾が掠めた肩の治療費とダメになった服の弁償、ジンさんにお願いしてもいいんですよね?」
『テメェが勝手に首突っ込んだんだろ』
「あっ、そういうこと言うんだ。今コルンさんの命握ってるのは誰でしたっけ」
『は、どっちが悪人だか解ったもんじゃねぇな』
「いやわかるでしょ」
そんな軽口を叩きながらも、名前の脳裏には降谷の姿が思い浮かんでいた。
こんな組織に潜入していて、危険がないはずがない。裏切り者に死をもたらす銃口が、いつか彼に向かないとも限らないのだ。
じくじく痛む肩の傷が、無慈悲な現実を突きつけてくるような気さえする。
(なんか、急に怖くなってきた)
降谷の立場を改めて認識して、名前は背筋に冷たいものが走るのを感じていた。
prev|
next
back