20. 一葉知秋の時



「わ……」

 アナウンスにつられて見上げた先では、複雑に混ざり合う水と光が幻想的な光景を生み出していた。物淋しい都会の夜空が煌びやかな極彩色に染まり、辺りには来場者の歓声が飛び交っている。
 綺麗だなぁ、としみじみ呟いて、名前もまた周囲に倣うようにスマホを取り出した。

(……うん。いい感じに撮れた)

 こちらに来てから大して変化のないカメラロール。華やかな画像や動画が一気に増えて、プログラムの終わりを告げるアナウンスを聞きながらそれを見返す。

「名前さん!」
「え? あっ」

 声の方を向けば「こっちこっち」と手を振る園子と蘭の姿が見えて、名前はスマホを握り締めたまま二人のもとへと駆け寄った。

「ごめん。向かう途中でさっきのが始まったから、つい見入っちゃってた」
「いいわよー、私達も見てたから」

 キレイだったわね!と満足そうな園子に対し、それに同意する蘭がどこか元気がなさそうに見えて名前は首を傾げる。

「蘭ちゃん、どうかしたの?」
「えっ、あ…その……」
「あーもー、元気出しなさいよ蘭!必ず見つけ出してあげっから!」
「……そうじゃなくて、もし調査中だったら迷惑かけちゃうから……」

 調査中とは、とさらに疑問符を飛ばす名前だったが、噂の工藤新一が園内にいるらしいと聞いて目を丸くした。しかも彼の浮気疑惑まで浮上しているらしい。
 脳裏に画像で見ただけの新一の姿が浮かぶ。名前的には正直、浮気疑惑ではなく別の疑惑の方が気になる少年だ。

(隠し事に興味はないってコナンくんに言った手前、追及するつもりはないけど)

 新一が呪いか何かで縮んだ姿がコナンなのだとすれば色々な疑問に説明がつくし、小学一年生があの組織に立ち向かっていると思うよりは少しだけ安心できる。
 そもそも呪術師であるがゆえに不思議な現象には慣れっこの名前。たとえコナンと新一が同一人物だったとしても大した驚きはない。もっとも、彼は呪われているわけではなさそうだが――

「……?」

 水族館内に新一を探しに行くという二人についていきながら、名前はふと後ろを振り返った。そこに見えるのは、先程まで水と光に彩られていた観覧車だ。
 感じたものは上手く言語化できない、無理矢理当てはめるなら“嫌な予感”とでも呼べそうな微妙な感覚。

「名前さん?」
「あ、うん……」

 先を行く蘭に呼ばれるが、首筋の産毛を逆立てるような気味の悪い感覚が名前の足取りを重くする。
 哀に持たせたピアスの気配はまだ比較的近くにあるし、観覧車から呪いの気配を感じるわけでもない。それでも哀の目的地は、先程入口前で見上げていたあの場所のはずで。

 ―――呪術師の勘は馬鹿にできない。その感覚を無視してはいけないよ。

 かつてそう教えてくれたのは夏油だったか。彼の柔らかい声色がふいに蘇って、名前はぴたりとその場に立ち止まった。

 ここでこの勘を無視したら後悔しそうな気がする。けれど、もちろんそれもただの勘だ。

(勘だけど、でも……)

 思考を巡らせながらも、なんだかんだで名前の心は決まってしまっていた。

(……信じるからね、夏油さん!)

 踵を返してダッと地を蹴れば、背後から「名前さん!?」と戸惑う声がする。

「ごめん、先に行ってて! お腹痛いからトイレ行ってくる!」
「えっ」
「名前さーん!?」

 突然腹痛を訴えつつ観覧車に向かって猛ダッシュ。これでは堂々と仮病を使う安室透を笑えそうにない。

 田舎育ちをナメるなとばかりに数段飛ばしで階段を駆け上がって、観覧車のあるエリアへと向かう。
 そして観覧車の真下に辿り着いた時、名前は不自然な光景に首を傾げた。南北それぞれのゴンドラのうち、一方に行列ができているのに対してもう一方はほぼ無人なのだ。人がいない方はどうやら点検中らしい。

(ま、ゴンドラに乗るのが目的じゃないし)

 それなら人がいない方が好都合だ。名前はコソコソとスタッフの死角に入りながら辺りを見回し、階段に掛けられた立入禁止のチェーンを越えた。




***




(誰もいないなぁ)

 先程までとは打って変わって真っ暗闇の中、名前はスマホのライトを頼りに観覧車内部を進んでいた。つい先程、突然の停電によって光源を失ったそこには、上部から微かな月明かりが差し込むのみだ。
 すでに“嫌な予感”が的中しつつあるのを感じながら、慎重に階段を上った名前が上の階にひょっこりと顔を出す。

「!」

 視線の先、弾かれたように振り向いた人影に「えっ」と声が漏れる。
 ライトが照らし出したのは一人の男だ。光を遮るように腕で顔を覆ったその男の姿に、名前は驚きのあまり目をひん剥いた。

「れ…っ、……安室さん!?」
「名前か?」

 腕を下ろし、眩しそうに細めた目でこちらを見ているのはあまりにも見慣れた男だった。
 呼び捨てにしてくるということは周囲に人はいないのだろう。名前はライトを足元に向け直すと、消火栓の傍らにしゃがみ込む降谷に駆け寄った。

「なんでこんなとこに……」
「それはこっちの台詞だ。…でもちょうどよかった、それで僕の手元を照らしていてくれ」
「えっ?あ、うん」

 言われるがままにライトを向ければ、そこにあったのは箱状の何か。剥き出しの配線にランプ、さらには『STANDBY』と表示された液晶に「爆弾みたいだね」と呟けば、なんてことのないように「爆弾さ」と返ってきて一瞬時が止まる。

「正確には起爆装置だけど」
「……まさかこれの解体中?」
「そのまさかだ。停電で手元が見えにくかったから助かったよ」
「え、ええー……」

 状況が飲み込めない名前をよそに、降谷は「よし、次はこれを……」と小ぶりなナイフをコードに向ける。
 そうして中断されていた解体が再開されてしまえば、もう名前には明かりを向ける以外にできることはなかった。降谷の真剣な横顔をただただ眺めるのみだ。

 その精悍な顔立ちをじっと見つめていれば、会えたという事実がじわじわと遅れて沁み込んでくる。

「……連絡取れないから、ちょっと心配した」

 ぽつりと落ちた呟きに、手は止めないまま横目で名前を見やる降谷。

「悪かった」
「既読だけって結構心にくるね」
「やっと僕の気持ちがわかったか」

 ふ、と笑いながら言われてしまえば素直に「ごめんなさい」である。
 危険と隣り合わせの作業をしながらも降谷の表情はいつも通りで、その落ち着きぶりに名前も不思議と不安はなかった。

「……ね、なんか生傷多くない?」

 ふと、ぼんやり照らされた横顔に殴られたような痕があることに気付く。よく見れば服もところどころ汚れている。
 それを見て思い出すのはジンの言葉だ。

「ジンさんに何かされたの?」
「いや……これは別件というか」
「別件って」
「君が気にするようなことじゃない」

 突き放すような口ぶりに、まるで知る資格がないと言われたような気分だった。

「……零くんの協力者になれば話してもらえるってこと?」

 灰青色の瞳が名前を一瞥して、またすぐに解体中の起爆装置へと戻る。

「それは前も言ったようにただの口実だ。君が組織の件に首を突っ込むつもりなら撤回する」
「別に邪魔するつもりじゃ、」
「ただでさえ君と彼らの繋がりを苦々しく思ってるんだ」

 遮るように続けた降谷が、「これ以上関わらせたくない。わかってくれ」そう言いながらまた一本、ぷつりとコードを切断する。

「返事は?」
「……はぁい」

 どうやら邪魔者扱いというよりは単に心配されているだけらしい。それがわかって渋々ながらに頷いた名前は、仕方がないな、と言わんばかりに苦笑する横顔を半目で見つめた。

「あとは雷管に繋がるこの二つのコードを……」

 会話しながらも的確に解体を続けるところはさすがというべきか。作業も佳境らしく一気に険しくなる表情を見つめながら、名前は今度こそ邪魔しないよう口を噤んだ。

「よし、これを切れば終わり……、!」
「!」

 最後のコードを切った直後、ピーッと警告音が鳴ってその場に緊張が走る。
 瞬時に体勢を変えた降谷に庇われながら、名前もまた息を止めて状況を見守った。

 しかし幸い爆発が起こることはなく、溜息を吐く降谷につられるようにして液晶を覗き込めば『RECEPTION OFF』の文字。

「やった……ギリギリだったな」

 安堵したように体の力を抜いた降谷が、そのまま名前にのしかかるように抱き締めてくる。

「零くん?」
「充電させてくれ。さすがに消耗した」

 柔らかな金髪をぐりぐりと押しつけられてくすぐったさに目を細めつつ、「お疲れ様」とその背中に手を回す。
 10秒にも満たない短いハグだったが、それで満足したらしい降谷がバッと顔を上げた。

「よし、回収してくるか」

 名前はここにいてくれ。そう言って走り出す背中を見送った直後、ガガガッと耳を劈くような轟音とともに辺りが振動する。

「わっ、なに!?」
「名前!無事か!?」

 映画でしかお目に掛かれないようなド派手な銃撃だ。この高さに撃ち込んでくるということはヘリか戦闘機か。この日本でなんて非現実的な話だろう、と名前は目を白黒させた。

「私は大丈――」

 その時、耳に届いたものにハッと顔を上げる。

「……あっちから子供の声がした」
「えっ?」
「私が見に行くから、零くんは回収を続けて!」
「いや、それは多分コナンく……って速っ」

 降谷とは反対方向に駆け出しながら、名前は観覧車内部にピアスの気配があることを察知して顔を歪めた。
 哀がここに来たということはきっとコナンもここにいる。となれば、あまり考えたくはないが少年探偵団の面々がいる可能性だってゼロじゃないわけで。

(さすがに子供は見捨てられないな)

 なんで観覧車が狙われているのかも、銃撃の主が誰なのかも、後者はなんとなく予想がつくものの何一つ確証はない。
 それに加えてとっくに初めての水族館を楽しむどころではなくなってしまったけれど、それでも昔から降谷にさんざんお人好しと呼ばれてきた名前が取る行動なんて一つしかないのだった。



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