21. 直情径行に悔いはなし



「赤井さーん! 安室さーん!」

 暗闇に響く子供の声。その声を頼りに名前が近付けば、声の主はすぐにわかった。

「…コナンくん!」
「えっ」

 女の声に呼び止められたコナンは戸惑いを露わに振り返って、それからその大きな目をぎゅうっと細めてこちらを見つめる。

「まさか……名前さん!?」
「怪我はない?」
「あっ、うん、ないけど……名前さんはどうしてここに?」

 名前を見上げながら当然の問いを口にするコナン。それに答えようと名前が口を開くより早く、上階から「ボウヤ、こっちだ」と深みのある声がした。

「赤井さん!」

 弾かれたように顔を上げたコナンが階段を駆け上がる。それについていきながら、名前は上階で待っているであろう男の顔を思い浮かべた。

(赤井……赤井って赤井秀一、だよね?)

 猫の姿で一度邂逅しただけのFBI捜査官で、飲み友達である沖矢昴の本当の姿。いるの?ここに?と疑問符を浮かべた名前の前に、その男はあっさりと姿を現す。

「隠れるんだ。まだローター音が聞こえる」

 コナンを促した赤井が、後に続く名前に目を向けた。その手に携えられたライフルに(初めて見た!)と目を輝かせたいところだったが、どう考えてもそんな暇はなさそうだ。

「君は」
「苗字名前です。えっと…、赤井さん? 初めまして」

 ボロが出るより、あるいは赤井がボロを出すより早く“初めまして”を強調して、「…赤井だ」と手を差し出してきた彼と握手を交わす。
 しかしその手を離した後で(厚い手だなぁ。昴くんの手も分厚かったっけ。…そりゃそうか同一人物なんだから)なんてどうでもいいことをつらつら考えてしまうくらいには、名前も大して冷静ではなかった。

「安室さんは?」
「わからん。だが直接的な攻撃を仕掛けてきたということは、爆弾の解除に成功したってことだ」

 コナンの問いに淡々と返す赤井。つまり上空にいる何者かは、爆弾の起爆を試みた上で銃撃してきたということだ。
 降谷の解除が間に合わなければ、きっとこの一帯が吹き飛んでいたことだろう。名前はその光景を想像して今更ながらにゾッとした。

「後はヤツらをどうやって……」

 コナンが低く呟いた直後、「そのライフルは飾りですか!?」と鋭い声が降ってくる。

「安室さん!」
「反撃の方法はないのかFBI……って名前さん、その男から離れてください」
「え?」
「近すぎます」
「え?」

 このタイミングで一体自分は何を言われているのかと、混乱しながらも横に数歩ずれる名前。すると上階の手摺りを掴む降谷がヨシと言わんばかりに一つ頷いた。何?
 疑問に思ったのは赤井もコナンも同じはずだが、あいにく今はそれどころじゃないらしい。何事もなかったかのように暗視スコープの破損を伝えた赤井が、通常のスコープでは暗闇での狙撃は難しいことをやたらと詩的に表現する。

「鉄の闇夜の…何?」
「姿が見えれば落とせるの?」
「ああ」

 名前の呟きを無視して会話は進む。

「どうやって?」
「ローターの結合部を狙えば恐らく」
「結合部なんて見えなかったよ?」
「正面を向き合っては無理だ」

 若干の虚しさを抱えながらコナンと赤井の会話に耳を傾ける名前。
 つまるところ、何らかの方法で機体の姿勢を崩させつつローター周辺を5秒以上照らすことができれば、赤井による狙撃で機体を撃ち落とせるという話だった。

(なにそれFBIすご……)

 会話に参加できないながらも、名前はその内容にこっそり目を輝かせていた。
 さすがにあれだけの高度があれば名前では手も足も出ないし、それを撃ち落とせるとなればとんでもない話だ。ただでさえミーハーな名前は、FBIのスナイパーである男の腕前に早くも感動していた。

 そしてその直後。目の前で展開された作戦に、名前は言葉も忘れて見入ることになる。

「大体の形がわかればいいんだったよな!?」

 よし、とライフルケースを振り上げた降谷が、「見逃すなよ!」とそれを上空に向けて放り投げる。中に詰め込まれているのは車軸から回収した爆弾だ。ピーッという電子音が微かに聞こえたかと思えば、辺りに響き渡るほどの轟音とともに爆炎が広がる。

「!」

 その眩しさに、名前は思わず眼前に手を翳した。

「見えた!」

 爆発にも怯む様子のないコナンがスニーカーやベルトを素早く操作し、電流のような光を帯びたボールを宙空へと勢いよく蹴り上げる。
 それはおよそ人の足では実現できない飛距離を叩き出していて、名前は以前クール便のトラックに閉じ込められた日、阿笠博士の家でお菓子を食べながら見せてもらった発明品の数々をぼんやりと思い出していた。あの人、実は天才なのかもしれない。

「堕ちろ……」

 ボールが音を立てて見事な花火を生み出した後、そこに浮かび上がった機影に向かって赤井が静かに呟いた。
 直後、構えた銃口から放たれた弾丸がローターの結合部を正確に損傷させ、その機体が肉眼でわかるほどにぐらりと傾ぐ。

「わ…すご…っ、本当に一発で撃ち落としちゃった」

 ようやく出せた声には純粋な感動が表れていた。これで三人とも非術師だというのだから、兵器や技術というものは侮れない。
 感嘆する名前に上階から「はぁ?」と苛立たしげな声が降ってきたが、それを遮るように最後っ屁のごとく銃撃が再開する。

「クソォ!」
「コナンくん!」

 狙われている車軸に向かって駆け出すコナンを追おうとした名前だったが、度重なる銃撃によって足場が崩れ、それは叶わなかった。

「うわっ」

 衝撃に備えて咄嗟に呪力で全身を強化する。安室や赤井が短く叫ぶ声も聞こえてくるが、どちらも筋肉の塊のようなガタイをした男だ。心配はいらないだろう。

「いたた……絶対ジンさん、この感じ絶対ジンさん」

 薄々そんな感じはしていたが、執念深く底意地の悪い攻撃に名前は確信した。体に乗る瓦礫を放り投げ、パタパタと砂埃を落とす。
 と、金属が軋む嫌な音がして動きを止める。そしてゆっくりと観覧車が動き出すのがわかって名前は瞠目した。まさか車軸から外れた観覧車が転がり始めたとでもいうのだろうか。

「そんなの、」

 観覧車が行く先を想像して、言葉を切った名前が唇を噛み締める。

―――名前さん、私らと友達になりましょ!

 そう言って笑ってくれた少女たちが、初めての水族館に誘ってくれたあの子たちが、この先にいる。

 名前は躊躇わなかった。こんな場所にいては大したこともできやしない。自分の力を発揮できる場所へ行かなければ、と瓦礫を容易く踏み越えながら地上へと下りていく。
 途中、ゴンドラから七海の術式の気配を感じ、まさか哀が一人でそんな場所にいるわけはないだろうから―――と頭を抱えたくなったが、今は転がる観覧車を止めることが先決だ。

 そして地上に辿り着いた時、観覧車上部からビィンと何かが張り詰めるような音が聞こえてくる。

「……コナンくん?」

 ほんの瞬き程度の時間、転がる速度が緩まった観覧車。ギシギシと軋みながら再び動き出してしまったが、こんなことが人力でできるとなれば阿笠博士の発明品くらいしか思いつかない。

(あの子はきっと諦めない)

 彼の大切な人がこの先にいるのだ。
 それなら、自分はこの場所で自分にできることをやり切るだけ。

 ゆっくりと転がる観覧車に食らいつくように並走しながら、名前の呪力が地表へと無数の根を出現させる。太く伸びたそれらはまるで命あるもののように悍ましくうねった。
 名前が植物を伸長させられる上限は、伸長した部分の総重量が体重の二倍に到達するまで。もともと地中や地上に存在していたものに加えておよそ100キロの根や蔦が、ミチミチと金属の塊に絡みついてはその場に縫い留める。

(やっぱり足りないか…!)

 巨大な観覧車は推定数百トン。いくら強化しているとはいえ100キロ余りの植物では止めるに至らず、絡めた端からブチブチと嫌な音が聞こえてくる。
 走りながら見上げれば、観覧車上部で急速に膨らむ巨大なサッカーボール。そのあまりにも場違いな光景に、ふ、と思わず頬が緩んだ。

(大人が頑張らないわけにはいかないよね)

 彼が本当に工藤新一なのだとしても、高校生ならまだまだ子供だ。と、同じ年の頃から呪術師の世界に身を投じていた自分を棚上げしつつ、名前は傍らの金属に触れた。

 ふっ、と息を短く吐いてから車輪の端を掴む。もっとも、太すぎて掴むどころではないので下から手を添えるような形だが、その状態で両足を踏ん張って下半身を極限まで強化する。

「―――ッ」

 ブチブチと音を立てて千切れていくのは、植物だけじゃない。両腕の皮下から伝わる嫌な感触と痛み、そして燃えるような熱感に奥歯を噛み締める。
 下半身を強化したところで、耐えられる重量はせいぜい1、2トン。こんな鉄の塊を止められないことなんてわかりきっている。それでもこの痛みが、この負傷が、そして“筋断裂により両腕が使用不可となった”という事実が―――今の名前には必要・・だった。

(今は、許してね)

 脳裏に浮かぶのはかつての同級生たちだ。似たようなことを高専時代にもやって二人に叱られた名前だったが、今はその記憶にゆっくり浸る暇もない。

 ついに力が入らなくなった両腕がだらりと垂れ下がった直後、表出していた植物が急激に成長して車輪を縫い留める。すでにボコボコの地面からも次々に新しい根が生えてはそれを補強した。
 それはさながら意志を持つ大蛇が、巨大な鉄塊を喰らわんと絡みついているようだった。

 “両腕の使用不可”。それによって完成したのは即席の“縛り”だ。
 植物の伸長上限を一時的に無視し、辺り一面、呪力が届く全ての草木をこの場所に集中させる。

 本来は欠損した体や失った能力を対価とするものだが、反転術式という切り札に頼れない今、名前が咄嗟に思いついた方法が自ら両腕を使えなくするというものだった。

「! あれは…!?」

 巻きつく植物をブチブチいわせながらも目に見えて動きが鈍くなった観覧車の元に、エンジンの駆動音を響かせながら一台のクレーン車が突進してくる。
 誰が乗っているのかはわからないが、あの首の長さ、つっかえ棒としては上々だろう。
 よし、使わせてもらおう。そう思った名前が太い根をさらに伸ばし、ぶつかり合ったクレーンと車輪に巻きつけながら固定を試みる。暗く不明瞭な視界の中、聞こえてくるのはギチギチと窮屈そうな音だ。

(これだけ勢いが収まってれば、後はあのボールで上手く止まってくれるかな)

 そんな希望を抱きつつクレーン車の運転席部分に飛び乗って、名前はそのドアをゴンゴンと蹴りつけた。が、運転手が降りてくる様子はない。

(まずいな、もしぶつかった衝撃で気絶でもしてたら……)

 ふと感じた気配に見上げれば、ゴンドラから下を覗き込む哀と目が合った気がした。暗くてよく見えないが、それでも窓にへばりつく彼女はいつになく必死そうに見える。

「……大丈夫、助けるよ」

 助けてと言われたわけではないけれど。そこはまあ、呪術師の勘だ。

 名前はドアの取っ手を横から力いっぱい蹴りつけて開けると、中にいた女性に向かって怒鳴りつけた。

「降りて!早く!」

 白に近い銀髪の女性は、ハンドルとシフトレバーに手をかけたまま険しい表情で名前を一瞥する。よかった、意識はある。
 安心したのも束の間、運転席の天井がギギッと不快な音を立てて焦燥感を煽った。

「ほら、私両手が使えないんで! だから自分で出、」

 力なく垂れた両腕をアピールしながら促す最中、ついにベコッと天井が凹む。

「あ」

 やば、と言う間もなく、名前は腹部に強い衝撃を感じた。空中に投げ出された体は爆風と熱に曝されながら地面へと叩きつけられ、一回、二回、と転がって止まる。

「…ッ、ぅ、痛……」

 残念ながら、体を守るほどの呪力は残っていなかった。

 もはやどこが痛いのかもわからないような状態で、名前は隣で早くも体を起こそうとしている女性に目を向ける。
 運転席が潰れる直前、名前の腹部に腕を回して素早く飛び出した彼女。よく見れば腹に風穴が開いているというのに、なんという身のこなしと頑丈さか。またしても非術師であることが疑わしい人材発見である。

 頭と腹から血を流したまま、無表情で立ち上がった女性が名前を見下ろす。

「手荒になって悪かったわ」

 悪かったと微塵も思っていなさそうな表情で彼女は言った。起き上がれずに横たわったまま、それに「いえいえ」と返す姿はさぞ間抜けだろう。
 女性が手を差し出してくるが、力の入らない両腕ではその手を掴むこともできない。

「ごめんなさい、手が……」
「……あなた、おかしな人ね。そんな状態で他人を助けに来るなんて」

 深手を負った非術師に助け起こしてもらうなんて、確かにおかしな呪術師ではある。
 名前はへらへら笑って誤魔化すと、上体を起こしてくれた彼女の腹部に目をやった。

「お腹大丈夫ですか? 串刺しですけど」
「自分の心配をしたらどうかしら」

 大丈夫かという問いには答えないまま、女性が立ち上がって背を向ける。

「悪いけど、もう行くわ」

 その孤高の後ろ姿に、ふとジンの言葉が蘇った。もしかしなくても、彼らが狙っていたのって。

「……あの組織にいるよりは、きっとどこでも居心地はいいと思いますよ」

 視線だけで振り返った彼女が、座り込んだままの名前を見下ろして「やっぱりおかしな人」と小さく呟く。遠ざかっていくその背中を見つめながら、名前もまた「よっこいしょ」とその場に立ち上がった。
 観覧車に巻きつけていた植物はとっくに塵と化しているし、サッカーボールを水族館の外壁に食い込ませながら静止した観覧車の姿は物々しくもどこか滑稽だ。

(炎上したのはクレーン車だけで、ゴンドラは無事みたい。零くんもまあ無事だろうし、この感じなら水族館の中にいた人たちも大丈夫そうかな……)

 一息つけば疲れや痛みがどっと押し寄せてきて、その場にもう一度へたり込んでしまいたくなる。まったく、なんて日だろう。

 その後ほうほうの体でコナンや哀と合流した名前だったが、両腕の状態に気付いた哀に医務室へと連れ込まれ、彼女自ら処置をされつつ「何をどうしたらこうなるの!?」と大目玉を食らう羽目になる。
 そしてそこに蘭や園子が合流してちょっとした騒ぎになった結果、“運悪く瓦礫に両腕が挟まれて打撲による筋断裂を起こしてしまった可哀想な名前”は、腕が治るまでの間、毛利家に居候することが決定したのだった。



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