24. 愛及屋烏には抗えない
天候に恵まれた、ある日曜日。トロピカルランド前のバス停に一台のバスが停車した。最寄り駅とランドを往復する直行バスだ。
シューッと音を立てて開いたドアから、家族連れやカップルに続いて名前が一人で降りてくる。
「名前さん!こっちよ!」
そう言って手を振る園子に、名前が気付いて顔を上げた瞬間――
「………えっ?」
こちらを見ながらなんとも間の抜けた声を漏らすのを、安室は笑顔で眺めていた。
***
遡ること一週間と少し。両腕が日常生活に支障がない程度にまで回復した名前が、毛利家から自宅に戻った翌日のことだった。
スマホ片手にカップを口に運んでいた園子が、「日曜日、名前さんオッケーみたいよ」と対面に座る蘭に伝える。
「よかった! 楽しみだね、トロピカルランド」
「初めての水族館がああなっちゃったし、今度こそ楽しませてあげなきゃよね」
どうやら遊園地で遊んだことのない名前をトロピカルランドに連れて行ってやりたいということのようだ。怪我の快気祝いも兼ねているらしい。
誘われているのがアラサーで計画しているのが女子高生というところが可笑しいような気もするが、名前の生い立ちを知る安室にとっては微笑ましいことこの上なかった。
が、それだけならただのいい話で終わりそうなところを、隙あらば利用しようとするのが降谷零という男である。
「名前さんと遊園地ですか、いいですね」
テーブルにケーキを運びながらしれっと会話に参加すれば、途端に女子高生二人の目の色が変わる。
そして蘭が「あのっ、安室さんも一緒にいかがですか!?」と上擦った声で問いかけてくるのも、それまで大人しくストローを咥えていたコナンが焦ったように顔を上げた後「ボクも行きたい!」と言い出すのも安室の予想通りだった。
「え? でもコナン君、その日は探偵団のみんなと遊ぶって」
「やっぱり行きたい!トロピカルランド行きたーい!」
ジタバタしながら甘えた声を出すコナンに「このガキンチョ…」と園子が拳を握り締めたが、「じゃあみんなも誘ってみる?」と提案した蘭のおかげでそれが小さな頭部に振り下ろされることはなかった。
子供達が揃うとなれば、子守り要員として小五郎か阿笠博士に声が掛かる可能性が高いだろう。安室としては欲を言えば阿笠との接触を図りたいところだが、それもあくまで付随的なもの。
名前と一緒に過ごしながらコナンを観察し、あわよくば赤井の潜伏先にもアタリをつけたいというのが主な狙いである。
そして最終的に、名前と安室に女子高生、子供達、それから沖野ヨーコのコンサートチケットに釣られた小五郎という大所帯でのトロピカルランド行きが、「サプライズよ!」という園子の提案で名前に一切知らされないまま決定したのだった。
***
「はー……びっくりした……。子供達だけならまだしも、安室さんまでいるなんて」
「はは、すみません。園子さんに口止めされてて」
先頭に女子高生二人、その後ろに子供達と子守り要員の小五郎。賑やかな顔ぶれを一番後ろで眺めながら、名前は「心臓に悪いです」と胸に手をやった。
「心臓に悪いといえば、最初に並ぶのがお化け屋敷ってちょっと珍しい気がするんですが……」
普通はジェットコースターとか、定番人気のアトラクションに向かうものでは。
疑問に思った安室が話題を変えると、名前の目がきらりと光りを宿すのがわかった。「それ!」と前のめりになった名前に思わず半歩下がる。
「テレビで見たんですけど、実はここのお化け屋敷、最近オープンしたばっかりらしいんですよ!」
「へえ、そうなんですか」
「途中でリタイアできないお化け屋敷としては国内最長らしくって」
「ホォー、それはすごい」
見るからにワクワクしている名前と、そういえばそうだったな、とどこかで見た資料を思い出しながら名前の様子を眺める安室。
そうはいっても呪術師としてグロテスクな呪いを見慣れている名前のことだ。ミーハー心で盛り上がりこそすれ、遊園地のお化け屋敷程度で怖がることはないだろう――。おどろおどろしい外観の建物に足を踏み入れるその瞬間まで、安室はそう思っていた。
「名前さん?」
「…………」
「あの、名前さん」
腕が痛いんですが…と苦笑する安室。見下ろした先ではガッチガチに体を強張らせた名前が、ミシミシと音を立てそうなほど強く安室の腕にしがみついている。
「…む……っ」
「む?」
「無理無理無理無理…!」
ひんやりとした暗い空間に、半泣きになった名前の声が虚しく響く。
笑顔だった名前がその顔を青褪めさせたのはほんの序盤。安室との距離を詰めて無言で服を掴んできた名前が、急かすように早歩きになるまでにそう時間はかからなかった。
近付く物音や特殊メイクの幽霊に追われながら、引き攣ったような悲鳴を上げたのも一度や二度じゃない。
二人一組で進むシステムでなければ、あるいはペアとなったのが安室でなければもう少し頑張って平静を装っていたのだろうか。そう思えばわかりやすく怖がる姿もただただ微笑ましかった。
「怖いんですか? “お化け”」
普段そんなものよりよっぽど恐ろしいものを相手にしているくせに、とまでは言わなかったが、ストレートな問いに潤んだ瞳が見上げてくるのがわかる。
「だっ…、だって、人が人を怖がらせるために演出してるんですよ!?」
「演出」
「そんなの怖いに決まってるじゃないですか……! 何事も王道が一番刺さるんですから!」
「王道」
身も蓋もない発言である。どうやら呪いが関係ないからこそ、次に何が飛び出すのか予測がつかないというのが特に怖いようだった。
「本物が出てこないといいんですが」
悪戯っぽく笑いながら言ってみれば、「本物の方が助かります」なんて急に冷静なセリフが返ってくる。
頼もしいんだが頼りないんだか――と内心呆れながらも、縋りつかれて嬉しくないわけがない。が、そこまで怖がられると揶揄いたくなるのが人情というもので。
「あ、蘭さん達」
「えっ」
追いついた!?と慌てて安室から距離を取る名前。解放された腕が一気に軽くなる。
「冗談です」
「はぁ…!?」
即撤回すれば「このやろ」と悪態をつきながら名前が戻ってきて、それまで以上に力いっぱいしがみつく。それに「痛い痛い」と苦笑しながらも、出口まで二人が離れることはなかった。
「うわ、すっごい行列だね」
「やっぱりこっちも人気よねー」
「姉ちゃんちの力でどうにかなんねーのか?」
「そうですよ、こういう時こそ鈴木財閥の力で!」
「コラ、甘えるなガキンチョども」
お化け屋敷の中とは打って変わって青空の下、次に一行が並んだのはミステリーコースターだった。行列の長さだけなら先程以上だ。
ふと「ここだけの話……」と潜めた声が聞こえてきて目をやれば、ここで以前殺人事件が起きたらしい、と神妙な面持ちで子供達に説明する光彦の姿が見える。安室もその事件のことは知識として知っているが、そうはいっても魔都東京。皆「へー」「怖いねー」と軽く返しただけで話が終わった。事件慣れしすぎである。
「名前さん?」
気付けば隣の名前がやけに静かだった。声をかけるが返事はない。
(……ああ)
その視線が向く先を追いかけて、安室は納得した。ベビーカーを押す母親、きゃっきゃっと笑う子供を肩車して歩く父親。絵に描いたような“幸せな家族”だ。
両親を早くに亡くしたばかりか、幼い頃からその力を疎まれていた名前。普通の子に生まれられなかったこと、そして普通の子を演じられなかったことへの申し訳なさから、両親には何も期待しないようにしていたと話してくれたことがある。
それでも二人は気晴らしにと度々遠出してくれて、知り合いの目がない場所では笑顔を見せてくれることもあったらしい。そんな時はまるで普通の家族のように思えて嬉しかったと、そう話す名前の表情は今でも鮮明に思い出せた。
「名前さん」
屈みながら声をかければ、名前の肩がビクッと跳ねた。
「あ、安室さん……」
「進まないと。後がつかえてますよ」
「え? あっ」
二人の前にぽっかり空いた2メートルほどのスペース。それに気付いた名前が慌てて前へ進む。
――と、シリアスな空気がほんの一瞬掠めたものの、そんなもの、最高高度80メートルに到達する頃にはもちろん跡形もなく霧散しているわけで。
「ぁ、安室さ…っ」
「大丈夫。力を抜いて」
セーフティーバーをぎゅうっと握り締める名前の手を優しく包み込めば、一度手を開いた名前が今度は骨が折れそうなほどの力で安室の手を握り込んでくる。力を抜くどころじゃないらしい。
呪力強化した脚でぴょんぴょん飛び回る姿を見たことがあるだけに意外だが、拘束された状態で有無を言わさず振り回されるとなるとまた違うのだろう。
カチカチと音を立てながら上昇していたコースターが止まり、束の間の静寂が訪れる。
わかりやすく硬直する名前を横目で見ながら、安室の仮面を外した降谷がふっと笑う。
「可愛いな」
「え? なに、…―――ッ!」
ゴォッと風を切りながら鉄の塊が落下する。そこからはもう、ジェットコースターの爽快感と、隣から聞こえてくる声なき声をただ楽しむだけの時間だった。
そして数分後、地上に降り立った面々が「楽しかった!」「もう一回行きましょう!」とはしゃぐのを視界の端に収めながら、安室は名前の顔を覗き込んだ。
「もう一回行くそうですけど」
「……だ、だめ……、むり」
その顔は青白く、今にも倒れ込みそうだ。身長制限をクリアしたばかりの子供達とは対照的な反応である。
安室はもう一度並び直そうとしている一行に「僕は名前さんと待ってます」と声をかけて、近くのベンチに二人並んで腰掛けた。ちなみに待っていると言った時、女子高生二人が嬉しそうに頬を紅潮させたのには気付かないふりをした。
「何か飲みますか?」
「あ、いいです……出ちゃいそう」
うぷ、と顔を青くする名前。
「そんなにダメでしたか、ジェットコースター」
「なんかこう……身動きできない状態っていうのが、どうなっちゃうかわからない感じがあって……」
「なるほど」
概ね予想通りの理由に、安室は納得したように頷いた。
その時、さあっと心地良い風が吹いて、花壇や木々の青々とした香りが鼻孔をくすぐった。上空からは楽しげな悲鳴が聞こえてきて、見渡せばいくつもの笑顔が見える。
その平和すぎる光景に一瞬目を奪われつつ、安室は名前の様子を窺った。先程より幾分顔色もよく、靡く髪を押さえながら穏やかに目を細めている。
初めての遊園地が嫌な思い出ばかりになってしまったかとも思ったが、どうやら杞憂らしい。
「次はどこに行きましょうか」
「え゙っ、うーん……」
途端に曇る表情に思わず小さく吹き出してしまう。
「今日の名前さんは怖がってばかりですね」
楽しむどころじゃなかったでしょう?と揶揄うように言えば、名前がムッと眉根を寄せて睨みつけてくる。ただし頬がほんのり赤いために迫力はない。
その反応に安室が頬を緩ませたところで、ふいっと目線を逸らした名前が「安室さんと一緒だったから、別に」と小さく呟くのが聞こえてきた。これにはまあ、思わず片手で顔を覆った安室である。
「あなたはまたそういうことを……」
「? 安室さん?」
「あー……すみません。一分ください」
くぐもった声で返しながら、名前相手だとどうにも格好がつかない自分を情けなく思う。年月をかけて拗らせに拗らせた結果がこのザマである。
その後、園子達が戻った直後に悲鳴が響き渡って「やっぱり事件が」という雰囲気になったのは言うまでもないし、あれだけお化けを怖がっていた名前が変死体を見ても悲鳴一つ上げないことに「ですよね…」と安室が呟いたのも言うまでもない。
そして名前は名前で(この顔ぶれで事件が起こらないはずないか)と感心しつつ、初めての遊園地をいろんな意味で記憶に刻み込んだのだった。
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