25. 熊童子が見てる



 ある日の夕方、初めて訪れたコンサート会場で「あれ?」と目を瞬かせたのは名前だけではなかった。

「昴くんも来てたんだ」
「ええ、園子さんにお願いして。まさかここで名前さんにお会いするとは思いませんでしたよ」
「ね、びっくりした」

 工藤邸に引きこもっているはずの男がコナンや蘭、園子達と一緒にいることに驚く名前。
 そして名前以上に驚いた様子なのが、名前をこの場――波土禄道のライブのリハーサル見学に誘った張本人である園子だった。

「名前さんと昴さん、知り合いなの!?」
「うん、飲み友達」

 えー!? と叫ぶ園子の隣で、園子の勢いに押されつつも目を丸くしている蘭。そんな騒がしい空気を別の意味でざわつかせたのは、そこに現れた波土のマネージャーだという女性の一言だった。

「ええっ!? リハーサルが見学できない!? マジでー?」
「ごめんなさいね…、実はまだ新曲の歌詞が完成してなくて」

 本番を明日に控えたこの状況で、お披露目予定の新曲の歌詞が完成していないとは由々しき事態だ。ステージ上で二時間一人にさせてほしいという波土の意向を聞き入れ、スタッフも皆夕食を食べに出払ってしまっているらしい。
 そこにレコード会社社長や雑誌記者が現れて何やら不穏な空気が漂うが、スタッフのフリをして潜り込んだという怪しげな記者が追い出されると、女子高生二人は苦笑いで顔を見合わせた。

「じゃあウチらも帰ろっか?」
「そだね、明日学校だし」
「え? 帰っちゃうの!?」

 驚きに声を上げたのはコナンだ。確かに名前も、せっかく来たのに帰ってしまうのかと思わないでもない。
 しかしリハーサルがいつ始まるかわからないということもあって、波土のマネージャーも「その方がいいかも」と園子たちに同意した。

「あ、でも名前さんはもう少し残ったら?」
「え? なんで?」
「ふっふっふ……それは言えないわぁ」
「いやなんで?」
「ふっふっふ」
「……最後のライブのリハーサルなら見た方がいいのでは?」

 悪い顔で笑う園子に、空気を読まない沖矢が問いかける。しかし女子高生二人は驚くことに「そんなにファンじゃない」のだと言う。マネージャーの前でなんてことを言うんだ。
 それにしても、二人ともファンじゃないというのなら、ここに来ようと言い出したのは一体誰なのか――
 その問いに答えたのは、この場にはいないはずの男だった。

「僕ですよ」
「!」

 聞き慣れた声にハッとして振り向く名前。案の定、その場に現れたのは安室透だった。ただし黒のジャケットにボトムスのブーツインという安室らしからぬ色気たっぷりな装いは、もしかしたら組織のバーボンなのかもしれないとも思う。

(なるほど……そういうこと)

 名前は園子にジト目を向けたくなるのをグッと堪えた。またいらぬ気遣いというやつである。
 にしては安室の腕に絡みついている梓が場違いな気もするが、蘭や園子も梓の登場に驚いているようだし、「安室さんのあとをつけて来ちゃった」という梓の話からしても予定外の登場なのだろう。

「驚きましたよ! ここへ入ろうとしたら彼女に呼び止められて」

 苦笑しながらも、寄り添うように腕を組む梓を拒まない安室。

「驚いたといえば、あなたも来ていたんですね? 沖矢昴さん……」

 意味ありげに「先日はどうも」と微笑む安室を眺めつつ、名前の意識は安室と梓の距離感に向く。
 単なるバイト仲間にしては近すぎやしないだろうか。腕を組む必要はあるのだろうか。いつも安室と名前の関係を深読みしてくるわりに、梓のそのポジション取りはなんなのだろうか――

 ぐるぐる考えている間に蘭や園子が「後はごゆっくり」と帰ろうとして、手を引かれたコナンが慌てたように声を上げた。

「梓姉ちゃんが波土さんを好きになったのってやっぱギターが上手なトコだよね? 梓姉ちゃんもギターすっごく上手だし!」

 それに「もちろんそうよ!」と即答した梓 だったが、訝しんだ蘭によって以前「ギターとか触ったこともない」と話していたことが明らかになる。
 それを恥ずかしかったからだと謝る梓を見ながら、名前はモヤモヤとした気持ちがサッと晴れていくのを感じた。

(なんだ、ベルモットか)

 職業柄、嘘やブラフには敏感だ。しかも今回は雑な演技だったおかげでわかりやすかった。
 ベルモットとは一度会っただけだが、変装が得意だということは組織幹部たちとの会話の中で知っていたし、彼女ならべたべたくっつかれた安室が無反応なのも納得がいく。

「名前さん」
「! はいっ」

 不意に呼ばれてバッと顔を上げる。見上げた先の安室はいつも通りの爽やかな笑顔だ。

「名前さんも来ていたんですね。皆さんと一緒に?」
「はい。あ、昴くんとはここでたまたま」
「昴くん???????」
「疑問符多いな」
「おっと」

 思わず出たツッコミに安室が「失礼」と咳払いをひとつ。それから彼は気を取り直すように口を開いた。

「随分と仲がよろしいようで」
「あ、えっと……飲み友達、でして」
「飲み友達? ホォー…、なるほど」

 納得したように頷きながらも、どこか不穏な空気を漂わせているのは多分気のせいじゃない。

 安室にはスマホにGPSを仕掛けられているはずだが、どうやら今の今まで沖矢との関係は気付かれていなかったらしい。
 GPSを仕掛けられたと思われる日以降、名前が沖矢と飲んだのは工藤邸での一度きり。多忙な安室がそれを捕捉できていなかったとしても不思議ではない。しかし、

(なんで不機嫌? 昴くんが赤井さんだっていう疑いは晴れたんじゃなかったの?)

 猫の姿で工藤邸に迷い込んだ時、確かにそう聞いたはず――
 単なる嫉妬という可能性には全くもって思い至らないまま思考を巡らせる名前だったが、助け舟を出してくれたのはとばっちりもいいところな沖矢本人だった。

「少々お聞きしたいんですが…、あなたも波土の大ファンということは、アルバムなどは全てお持ちで?」
「え? ええ、まあ……」
「やはり波土のベストワンは『血の箒星』ですよね?」
「いえいえ僕は『雪の堕天使』の方が……」

 よそ行きの笑みを浮かべたまま談笑を始めた二人に、ホッと胸を撫で下ろす名前。タイトルに漂う厨二感が気にならないでもないが、無事意気投合したようで何よりだ。
 と、各々腹に抱えるものはありつつも、表面上穏やかに過ごしていられたのはここまでだった。

「うっ…うわあああああ!!」

 突如上がった悲鳴と、ステージ上で変わり果てた姿で発見された波土禄道。
 続けざまに上がった女子高生達の悲鳴を聞きながら、また事件か…と溜息が出るくらいには、名前は不本意にもこの街に慣れ切ってしまっていた。




***




「ねぇ、コナン君? 梓さんの苗字って何だっけ?」

 蘭の声でコナンに問いかける、梓の姿のベルモット。それをうっかり目撃してしまった名前は、彼女のメンタルに尊敬の念すら覚えていた。強すぎる。聞いたばかりの苗字を高木刑事の手帳に書き込むその姿も堂々としたものだ。
 名前はその光景を見なかったことにして、傍らに立つ男を見上げた。

「現場で何かわかった? 昴くん」

 コナンや安室とともにステージへと駆けつけ、現場の捜査に参加していた沖矢。この男もバーボンやベルモットがいる場で堂々としすぎな気がしないでもない。

「気になる点はいくつかありますが、まだ決め手に欠けますね」
「そっか。……いたっ、」

 沖矢を見上げる体勢から正面に顔を戻した瞬間、後頭部の辺りにピリッと小さな痛みが走る。
 すぐさま「じっとして」と背後に回る沖矢。名前はその言葉通り微動だにせず、髪に触れる沖矢に身を任せた。

「ああ、服のファスナーに髪が引っ掛かっていますね」
「あー……たまになるやつ」

 どうやら着ていた服のバックファスナーに毛先が引っ掛かっていたらしい。
 慎重にそれを外してくれた沖矢に、名前は強張らせていた肩から力を抜いた。

「ありがと、昴くん」
「いえ。髪が長いと大変ですね」
「慣れてるつもりだけどね。こういう時とー……あと掃除とかはちょっと大変かも」
「ああ、わかります」
「え、昴くん髪伸ばしてたことあるの?」

 思わず勢いよく顔を上げて、亜麻色の髪をまじまじと見つめる。

「随分と昔のことですが」
「へえ〜」

 それって沖矢昴としてだろうか、それとも赤井秀一として? どちらにせよ、想像を試みたところで全くイメージが湧かなかったのは言うまでもない。長髪のイメージがなさすぎである。

「ふわふわ? ストレート?」
「おや、もう詮索はしないのでは?」
「うっ……、昴くんの意地悪」

 そういえばそんなことを言った気もする。以前の発言を持ち出され、名前は苦々しげに小さく呻いた。
 そんな名前の様子を気にも留めず、何を思ったか沖矢が毛束を一つ掬い取った。

「よく手入れされていて、綺麗な髪だ」

 あまりにサラッと発されたために、それが誉め言葉だと気付くのに一拍遅れた。

「……昴くん、なんかキャラ違くない?」
「おや、そう思いますか? 感じたことを言ったまでですが……」

 でかい図体で小首を傾げる沖矢に、これだから男前は…とジト目になる名前。目線の高さにある二の腕をお返しとばかりにつんつんとした。

「今日もよく鍛えられていて、いい筋肉だー」
「それはどうも」

 相変わらず無駄のない上質な筋肉である。中身がFBI捜査官だと知った今となっては納得しかない。

(?)

 ふと、視線を感じた気がして振り返る。しかしそこにいた安室と目が合うことはなく、間に「ご協力を」と高木が入り込んだことで姿も見えなくなってしまった。
 そしてその高木が言う協力とは、先程ベルモット扮する梓もそうしていたように手帳に文字を書くことだった。亡くなった波土の胸ポケットに入っていたメモと筆跡を照らし合わせたいらしい。

「えーっと……ゴ、メ、ン、な」

 自分の名前を書いたその隣。メモに書かれていたという言葉をさらさらと書き終えて、「はい、次」と隣の男に手渡す名前。そして受け取った沖矢が次のページに同じように書き込んで、高木に手帳を返した直後のことだった。

「左利きなんですね?」

 声を掛けてきたのは安室だ。その表情には笑顔が張り付いているのに、沖矢に向けられた視線はどこか剣呑な色を帯びている。

「ええ、まぁ…。いけませんか?」
「いえいえ……この前お会いした時は右手でマスクを取られていたので、右利きかなぁと」

 そうでしたか?と返す沖矢に安室は「気にしないでください」と両手を上げて、微笑みながらわずかに眉根を寄せた。

「殺したい程憎んでいる男が、レフティなだけですから……」

 これ、気にしないでくださいなんて絶対思ってないやつ――
 殺意すら滲む物騒な笑みを視界に入れながら、巻き込まれてはかなわないと、名前は全力で存在感を消した。



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