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「まだか…」

低い声で唸りながら名前が見つめるのは、ノートパソコンのディスプレイだ。そこには賃貸情報サイトの検索画面が表示されている。

衣装や小道具が増えてきた彼女はそろそろ未来で住んでいたマンションに引っ越したいと考えていたが、なかなか空室が出ない。実際に引っ越したのは翌春のことなので、前倒しでの転居はできないということだろうか。

(空きが出次第さっさと引っ越したいと思ってたんだけど)

幸い、一回目以上に真面目に働いている彼女の貯蓄は以前より順調だ。それでも二回目の貧乏を経験したせいか、以前手を加えた100均コスメも手放せずにいるが。

(まあいいや。引っ越しのことはしばらく置いておこう)

ノートパソコンをそっと閉じ、ほのかに温かいそれに突っ伏しながら思考を巡らせる。

(11月7日まであと二週間か)

本配属からさほど経っていないにもかかわらず、松田や萩原の活躍は目覚ましいものがあった。その解体スピードと正確性からすでに爆処のエースと呼ばれているらしく、本人たちからもたまに自慢げなメールが来る。

11月7日に起こる高層マンションでの爆破事件は、その後7年にわたって続いた特異性もあって名前も概要は把握している。
この事件と4年後の事件で殉職した警察官たちの名前は知らなかったが、この時代に来る前にそれが零の同期たちだったと知ったのだ。

(現場は確か地上60階建ての高層マンション。爆弾があったのもかなりの高層階だったはず)

沈黙していたはずのタイマーが遠隔操作で再始動したのが萩原の死の原因だ。もちろん防護服を着ていなかったのも一因ではあるが。

名前にはタイマーの再始動を防ぐ方法の心当たりはある。ただし、それを実行するためには爆弾の近くにいる必要があった。

(屋上からのワイヤー降下でベランダに降りられれば簡単だけど……あれだけの事件なら警視庁のヘリの一機や二機飛んでるよなぁ)

現場上空にヘリが飛んでいれば、外壁を降りていく女の姿なんて丸見えだろう。

(ならやっぱり……)

次に思い浮かべた方法に、名前は心底嫌そうに眉根を寄せた。




***




バインダーを持って保管庫に向かう同僚を見つけ、名前は声をかけた。

「先輩。保管庫の定期チェックですか?」
「ん?ああ」
「手が空いてるので、よかったら代わりますよ」

笑顔で右手を差し出すと、同僚は一瞬きょとんとしてから「じゃあ頼むわ」とバインダーを渡してくる。

それを手に保管庫に入った名前は、備品の数量や状態を確認しながら目的のものを一つ手に取った。アンテナが4本ついた手のひらサイズのそれは、携帯電話などの通信を抑制する装置───いわゆる「ジャマー」だ。

爆破事件の犯人が使っていたのは携帯電話を改造した遠隔操作端末だ。周波数も携帯電話のそれと同じはずだから、その周波数に対応するこのジャマーならタイマーへの通信を遮断することができる。

(対応周波数は…うん、警察無線には干渉しないな。よし)

警察無線まで遮断してしまうと、さらなるパニックを招くおそれがある。それは避けなくては。

(有効範囲は半径30m。これも条件通り)

手に取ったそれをスーツのポケットに隠しながら、名前はバインダーの在庫表に虚偽のチェックを入れた。




***




(残る小道具はもう一つ。どうやって調達するか)

「苗字さんお疲れー」

隣のデスクから立ち上がった女性は、名前に変装の基礎を教えてくれた先輩だ。

「お疲れ様です。…あ、先輩」
「ん?」
「ちょっと聞きたいことが…」

相談事のような雰囲気を出してみれば、彼女は「なになに」と再び椅子に腰掛けた。

「今後の変装用に機動隊とかSATの制服も一着確保しておきたいんですけど…それって可能なんでしょうか?」

警察官のカバーを作るのはさすがに怖いと思っている名前だが、単発の変装なら特に躊躇う理由もない。使えるものは使うのが彼女の信条だ。

「えーホント貪欲だねぇ、自前の衣装部屋でも作ろうとしてる?」
「そんなところです」

むしろ未来では作ってたし、これからまた作る予定です。とは言わない。

「それならアテがあるから調達しといてあげるよ」
「! 本当ですか」
「ウンウン、優秀な後輩の頼みだからねぇ」
「ありがとうございます」

真面目に働いててよかった。協力者を獲得してもゼロに管理されてしまう今の立場では、やっぱり持つべきは頼りになる先輩だ。




***




(でも本当は、この方法だけは避けたかった……)

心の中でブツブツ愚痴を吐きながら、名前は直立不動を続ける。

11月7日、かつて萩原研二の命日となったこの日。名前は爆弾が設置されているマンションの一室にいた。
目の前には多数の機動隊員と、爆弾の前に佇む萩原の姿がある。

そう。彼女は今機動隊の装備を身に纏い、一人の機動隊員として現場に立っていた。

(暑い、重い、しんどい……)

なるべく中性的な顔に変装しているとはいえ、この時代に機動隊への女性の登用はまずあり得ない。
重装備で体のラインは隠せるが、顔立ちで女性とバレないようヘルメットのバイザーは下ろしてある。これがかなり暑い。それから今は地面に置いているとはいえ、大楯が重い。全装備で10kg超えだ。とにかく色々な意味でしんどかった。

(地上60階からのワイヤー降下の方がマシだった…)

思わず嘆息する名前の視線の先では、隊員たちの手を借りながら萩原が防護服を着込んでいるところだった。マンション住民の避難が完了したのだ。

(うん、偉い偉い。ちゃんと着てるじゃん)

萩原が聞いたら「やっぱり子供扱いしてる」と嘆かれそうなことを名前は考える。
彼女にとってそれはあくまで保険だが、それを着ていてくれるだけでこちらの安心感が違う。

(…でも、先輩には無駄なことさせちゃったな)

実はここに来る前、名前は外事課の先輩に通信指令室への伝言を依頼していた。現場に対して防護服の着用を念押ししてほしいというものだ。
しかも先輩から理由を聞かれた彼女は、「解体に当たる者が、自分の能力を過信するあまり防護服の着用を怠る悪癖の持ち主だと聞いたので」と答えたのだ。名前は心の中で先輩と萩原に謝罪した。

(階級が高い先輩からの方が現場に伝わりやすいと思ったからだけど…まさか無駄になるとは)

全く関係のない公安からの指示に、今頃指令室の面々も首を傾げていることだろう。

「萩原さん、通信指令室から防護服を確実に着用せよと」
「今まさに着てるっつのー!」

(えへ、ごめんね)


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