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防護服を着終わった萩原のもとに、松田から電話がかかってくる。萩原はヘルメットのバイザーを上げた状態でそれを受けた。

「松田、何の用だ。……おいおい、そうがなりなさんな、タイマーは止まってんだ。そっちはもう終わったのか?」

名前は制服の上着の中にそっと手を忍ばせると、そこに隠していたジャマーを起動する。
キュインと小さな作動音が鳴り、誰に気付かれることもなく半径30m圏内の通信を遮断した。

「…ってあれ?松田?おーい、陣平ちゃーん?」

切れちまった、と携帯片手に萩原が首を傾げる。

(…これでタイマーへの通信も遮断できたはず)

名前はバイザーの奥で息を呑んで彼を見つめる。

「…ま、いっか。じゃーサクッと終わらせますか!」

バイザーを下げた萩原が改めて爆弾に向き直る。面倒なトラップは多いものの、制限時間のない爆弾など萩原の敵ではなかった。
5分もかからず解体を終えた萩原が、バイザーを上げて「終了〜」と明るく振り返る。
歓声を上げる隊員たちに隠れて、名前はそっとジャマーの電源を落とした。

(お疲れ様、研二くん)

「さ、引き上げるぜ」

萩原の指示に隊員たちは引き上げの準備を始める。防護服を脱いだ彼は「解放された!」と嬉しそうだ。

続々と引き上げていく隊員たちに紛れながら、名前は考える。

(これで、陣平はどうなるのかな…)

未来では萩原の敵討ちのために動き、それを叶えることなく殉職した松田。
萩原が生きている以上、松田が今後どう動くのかはわからない。そしてその先に命の危険があるのかどうかも、もうわからない。

責任感の強い彼のことだ。関わった事件に自らケリをつけたいと動く可能性はあるが、それだって名前の想像に過ぎない。

(陣平だけ、先がわからない)

言いようのない不安が、黒いおりのように心の奥底へと沈んでいった。




***




マンションの爆破未遂事件から二ヶ月近く経ち、冬の寒さが一段と厳しくなった頃。
名前は一人、ニューヨークにいた。

(さっむ……)

吐く息は白く、変装した顔には刺すような痛みが走る。凍てつく空気が漂う一月のニューヨークは、夜ともなれば人通りもまばらだ。

今回は一人での出張任務だった。
頻繁に出入国を繰り返すアメリカ人スパイの動向を探るためだが、この任務に就くのは実のところ二回目だ。
前回、外事課二年目の名前が一週間かかったこの任務も、今の彼女なら記憶の裏を取るだけで終わる。むしろ今まさに終わらせてきたばかりだった。

(さて、行きますか)

残りの滞在期間で何をするかは、もう決めていた。

名前は一度ホテルに戻ると、また別のカバーに姿を変える。
たっぷりとした焦げ茶色の髪を巻き、同色の瞳に濃いめのアイメイクを施した勝ち気そうな女性だ。デコルテと背中が大胆に開いた黒い長袖ワンピースをコートで隠し、手配したタクシーに乗ってホテルを出る。

行き先は玄人好みのオーセンティックなバーだ。照明は暗く、客もそれほど入ってはいない。
数人いる客もあまり堅気とは言えない様子で、鍛え上げられた肉体が服越しにでもよくわかる。

名前はカウンターに腰掛けるとコートを脱ぎ、初老のバーテンダーにバーボンをニートで注文した。

『…こちらは初めてで?』

酒とともに向けられたのは、どこか探るような硬い視線だ。

『ええ』
『あまり長居はおすすめしませんが』

バーテンダーの忠告に、名前は意に介さない様子で『そう?』と首を傾げる。

『ちょっと聞きたいことがあるのよ』

グラスを口に運びながら言うと、バーテンダーが無言で先を促す。

『赤井秀一って知ってる?』

チリッと空気が鋭くなったのを感じる。

『…いいえ』

バーテンダーが白髪頭を小さく振るのを見て、名前は『そう』と短く返した。

『ありがとう。もう行くわ』

グラスの残りを呷り、酒代をカウンターに置いて席を立つ。コートを再び羽織りながら、彼女は振り返ることなく店を後にした。

名前はその夜、似たような雰囲気の店を見つけてはそれを繰り返した。
朝陽が昇る直前にホテルに戻ると、また陽が落ちてから街に繰り出す。それを繰り返していると、いつの間にかニューヨークに来て三日が経っていた。

そしてその日の夜、彼女はまた別のバーを訪れていた。
それまでと同じようにカウンターでバーボンのニートを注文し、出されたグラスに口をつける。

『彼女と同じものを』

それまでと違うのは、隣に男が座ったことだ。

彼の特徴ある声ですでに気付いていた名前だが、それを隠して隣に視線を向ける。

(……えっ、髪長ーい!)

ロン毛というレベルではない。一・二年伸ばした程度では得られないほどのガチ長髪だ。この頃髪が長かったということを知らなかった彼女は、彼の意外な姿に表情筋を一ミリも動かさず驚いていた。

『…どちらさま?』
『俺を探していたのは君だろう』

そう言う赤井が視線だけで名前を見やる。相変わらず鋭い目つきだ。若さもあってか、彼女の知る赤井より数段鋭利な雰囲気を纏っている。

『ああ、あなたが』
『ご丁寧にも一方向に移動していくものだから、次の店の予測が立てやすかった』
『それは何より』

艶やかな唇に笑みを乗せた名前を、片眉を上げた赤井が睨むように見つめた。バーテンダーが差し出したグラスに、彼は手をつけない。

『用件を聞こう』
『場所を変えない?』
『ここで結構だ』

赤井のつれない態度に、名前は気にした様子もなく『ふうん』と微笑む。
グラスを置き、カウンターに頬杖をついた彼女が赤井を覗き込むように顔を近付けると、彼はわずかに眉を顰めた。
名前は形のいい唇を小さく動かし、彼にしか聞こえないように言葉を紡ぐ。

「あなた、近々潜るでしょう?」

突然の日本語にか、その内容にか、赤井がハッと息を詰めて目を見張る。見つめ合ったのはほんの一瞬だった。

「……なるほど。確かに場所を変えた方がよさそうだ」

彼のその答えに、名前はうっそりと微笑んでみせた。


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