2-4
寒さ厳しい冬が終わり、緑が芽吹き始める頃。
名前の警察官としてのキャリアも二回目の三年目に突入し、念願の引っ越しも完了させることができた。
かつてと比べればまだだいぶ寂しいが、衣装部屋も作った。以前とは違い、機動隊やSATの装備が物々しく存在感を主張しているのが気になるが。
(二度と着る機会が訪れませんように)
この年は同期組関連で特に大きな動きはないはず。ただその一方で赤井が組織に潜入する年でもある。おそらく、零や諸伏も。
衣装部屋に設置したドレッサーの整理をしていた名前が、山積みのコスメの横に置かれたスマートフォンの震えに気付く。メールの送信元は松田だった。
『いつなら空いてんの?』
彼らしい素っ気ない短文が、名前の返信を催促している。バイクを購入したらしい彼からは以前からツーリングの誘いがあり、そのたびに理由をつけて先延ばしにしていた。
萩原が死なずに済んだ今、単純に考えれば松田の危機も去ったはず。今から4年後に起こる伊達の事故についても、どうやって助けるかは大体決まった。
だから名前は三人への連絡の頻度を減らし、このままフェードアウトしてもいいと思っている。公安捜査官としてはむしろそうすべきだろう。
それでも一つ懸念事項を挙げるとすれば、この松田だ。
(…爆破事件への認識を確認するために、一度会っておいてもいいかもしれない)
自分が関わった事件が未解決であることを彼が気にしているのかどうか、彼女の心配はそこにある。この男は、どんな場面でも躊躇いなくアクセルを踏める人間だからこそ怖いのだ。
名前は一つため息を吐いて、作成したメールを送信した。彼からの返信はすぐに返ってきた。
***
「名前さん全然変わってねーな」
「陣平はちょっと大人っぽくなったね」
コンビニの駐車場で合流した二人は、お互いの愛車に跨ったまま言葉を交わす。会うのは警察学校の卒業祝いに名前のバイクでタンデムして以来、およそ半年ぶりだ。
「そ?」
「うん、顔つきが凛々しくなった」
仕事頑張ってるんだね、と名前が続けると、なぜか松田が呆れたような顔になる。
「…そーいうこと、サラッと言うよな」
「え?」
「いや、いい。短い付き合いだけどだんだんわかってきたわ」
「なにそれ」
名前が目を瞬かせるが、松田は「気にすんな」と手元の地図に視線を落とした。
「今日、また来葉峠コースでもいいか?前気持ちよかったし、自分で走ってみたい」
「うん。いいよ」
「よし、決まりだな」
そう言って地図を仕舞い、ヘルメットを着ける松田に名前も続く。バイクを発進させた二人の間に会話はないが、春の風を感じながらのツーリングは終始穏やかだった。
夕日が空を赤く染める頃、二人が向かったのは前回と同じコンビニのイートインだ。
「あーやっぱいいな、バイク」
「楽しかった?」
「すっげぇ楽しかった」
頬を緩ませる松田は、笑うと年相応の幼さが滲む。嬉しそうな彼を見て、名前の表情も自然と緩んだ。
「仕事は?楽しい?」
「あ?まあ、やりがいはあるな。元々爆弾処理に興味はあったし」
そう話す松田の様子はいつも通りに見える。
「去年の爆破未遂事件、あれも研二くんと陣平が解体したんでしょう?聞いたよ」
「あれな。結局ハギんとこのが本命だったけど」
「犯人はまだ捕まってないんだっけ」
「らしいけど、まあそこまでは俺の仕事じゃねーし」
確かに、と返しながら名前はさりげなく陣平の一挙手一投足を注視する。
視線の向きや指先の動き、話すスピードなどから変化を感じ取ろうとするが、彼はどこまでもいつも通りだった。
(…杞憂だったのかな)
「名前さんは相変わらず忙しそうだな」
「ん?うん」
「メールの返事はおせーし」
「陣平が早すぎるの」
いつの間にか自分に矛先が向いてしまった。名前は苦笑しながら、どことなく不貞腐れたような様子の松田をやんわりと宥めた。
***
帰宅してシャワーを浴びた名前は、ソファに座ってスマートフォンを眺めていた。松田から今日の礼と、次のツーリングのために都合を窺うメールが届いている。
受信ボックスを少し遡れば、まだ返信していないメールがさらに二通ある。送信元は伊達と萩原だ。
伊達からは一ヶ月前に、降谷や諸伏と連絡が取れなくなったが何か知らないか、というメールが届いていた。萩原からのメールはつい三日前で、飲みに行かないかという誘いのメールだ。
名前の脳裏には、今日会ったばかりの松田の様子が浮かんでいる。
(爆弾魔を追おうとするような強い関心は見受けられなかった)
それなら、彼女がすることは決まっていた。
まず伊達からのメールに、一ヶ月遅れの返信をする。
『遅くなってごめんね。私も二人とは連絡取れてないよ。でも二人のことだから、元気に頑張ってるんじゃないかな。私もしばらく忙しくなるけど、連絡取れなくても気にしないで』
萩原には、『当分忙しくて時間作れなさそう。ごめんね』と短く返す。
最後に、松田宛の返信メールを作成した。
『今日はありがとう。私も楽しかった。これからまた忙しくなるから、しばらく予定わからないの。ごめんね』
送信ボタンをタップすると、案の定松田からはすぐに返事が返ってきた。
『予定わかったら教えて』
名前がそれに返信することはない。
この瞬間をもって、彼女は彼らとの関わりを絶った。
***
松田とツーリングに出かけた日から一週間後。
ニューヨークでの一件以来、何度かやりとりをしていた赤井から、日本で組織への潜入に成功したとの連絡が来た。
それに対し、名前は前払いとして主要幹部数人の情報を渡す。
そしてそれから数ヶ月後、無事にコードネームを与えられるに至った赤井のもとに、スリーマンセルを組むよう二人の日本人が紹介されたという。コードネームはバーボンとスコッチだ。
二人のコードネームと特徴を伝えられた名前は、取引の対象はスコッチだと答える。
(ヒゲ生やしたんだヒロくん)
「フェイスラインにヒゲ」という意外な特徴に思わず想像した名前だったが、記憶の諸伏が一年前で止まっているからかどうもしっくりこなかった。
(まあ、助けたらまた会えるか)
ヒゲ姿の彼はそれまでの楽しみにとっておこう。
そしてその年の最後に、名前にも大きな変化が訪れた。
理事から突然の呼び出しを受けた彼女に、次年度の異動が告げられたのだ。
春から彼女は、警察庁警備局警備企画課―――通称ゼロの捜査官となる。
(やっと、戻ってきた)
そしてそれは、彼との再会を意味していた。
prev|
next
back