2-5


その日の名前は朝から浮かれていた。
スマートフォンで何度も時間を確認しては、わかりやすくソワソワする。
貴重な休日だというのに落ち着かない彼女は、午前9時50分になったところでバイクに飛び乗り、自宅マンションを飛び出した。

そして10分後の午前10時ちょうど。
自動ドアを抜けた彼女が、店員を呼び止めて目的の物を指し示す。

「あれ、買います」

彼女の指先が示していたのは、ダークメタルグレーのGT-Rだった。

「お客様、いいタイミングですね。あれは今日納車したばかりの」
「知ってます。買います」
「は、はあ…ありがとうございます」

食い気味の名前に若干引いた様子の店員が、「書類をご用意します」と彼女を席に案内した。

今日は念願のGT-Rの購入日だ。
ふらっと店を訪れたこの時代の彼女が、たまたま状態のいい中古のGT-Rに出会って即購入した日だった。

(はぁー…待ちわびた…!)

キャリアといえど、さすがに警察官4年目で新車のGT-Rは買えない。
それでも驚くほど状態のいい中古を、驚くほどお得な価格で買えたこの日のことを彼女はしっかり覚えていた。

(今回もゼロ配属祝いってことにしよ)

名前は明日から、外事課ではなく警備企画課に出勤する。
久しぶりに再会した昔の愛車に、彼女の心はすっかり上向いていた。




***




前回はなんて言ったっけな、と考えながら、名前は口を開く。

「えーっと。どうも、外事から来ました苗字名前です。仲良くしてください」

その日たまたま登庁していた数名の同僚たちが、なんとも適当な挨拶をする名前を興味深げに見ている。
その中で若干一名、タレ目がちの大きな目をさらに大きく見開いている男が見えるが、彼女は気にせず続けた。

「特技は語学と変装です。よろしくお願いします」

わーパチパチ。
軽く頭を下げた名前をノリのいい男たちが拍手で迎えてくれる。彼女はそれに笑顔を返しながら、課長に示された通りのデスクに向かった。

「よろしくお願いします、センパイ」

名前は椅子に座りながら、隣のデスクの男に笑いかける。彼は呆気に取られた様子でこちらを見ていた。
前々から思っていたが、この男は後で取り繕うのが異様に上手いだけで、突発的な事態ではわりと顔に出やすいタイプだ。

「名前さ……苗字、さん」
「はい」
「……ですよね?」

らしくない動揺っぷりに、思わずプッと吹き出してしまう。

「ふふ…はい、降谷先輩」

名前の答えに数秒固まった降谷だったが、おもむろに髪をグシャグシャと掻きむしると「あ゛ー」と唸った。
それから気を取り直すように咳払いを一つして、改めて名前の方に向き直った。

「降谷でいいです、苗字さん」

敬語もなしで、と続ける。

「わかった、降谷くん。よろしくね」
「よろしくお願いします」

すっかり元の調子に戻ったようだ。

「苗字さんは、いつから外事に?」
「卒配からずっとだよ」
「え?」

また固まってしまった降谷に、名前が少し距離を詰めて小声で言う。

「警察学校のみんなに本名名乗っちゃったのは本当にうっかりだから、内緒ね」
「…は、はぁ…」

うっかり…?彼の目が語りかけてくるが、名前はニッコリ笑って答えなかった。自分がヘマした話はしたくない。

「基本的に諜報畑の人間だから、ここでも多分短期潜入が主になると思うの」

届けておいたダンボールを開け、デスクの整理をしながら降谷に話しかける。

「何か力になれることがあったら、遠慮なく言ってね」

そう言って笑いかけると、降谷は「ありがとうございます」と精悍な顔つきを少し緩めた。

「語学と変装が得意と言っていましたが」
「読み書きは微妙なやつもあるけど、主要な言語なら大体話せるよ。変装はまあ…マスク被るような本格的なものじゃないけど、女性ならわりとどんな姿にでも」
「へえ」

感心したように降谷が目を瞬かせる。

「僕は今潜っている最中なので、何か助力をお願いすることもあるかもしれません」
「なんでも言ってください、先輩」

からかうように微笑む名前に、降谷が「勘弁してください」と苦笑した。
警察学校時代に知り合っておいたのもあって、ここで初めて出会った“一回目”より数段会話が弾む。覚えのある心地よさに、思わず口元が緩む名前だった。




***




彼女の部下として紹介されたのは、未来のサミット会場爆破で命を落としたあの部下だった。
二度目の初対面でうっかり泣きそうになったのは内緒だ。グッと奥歯を噛んで堪え、なんとか怪しまれずに済んだ。

それから名前は、協力者の獲得に奔走した。
元いた時代でも、持ち前の諜報能力と協力者の助力によって数々の任務をこなしてきた名前だ。同期組の件がなくても、協力者の存在は必要不可欠だった。

幸い、一度協力者として獲得した人物は事情も性格も把握している。獲得時期が前倒しになったとしても、やることは特に変わらなかった。

カバーを作ってさりげなく接触し、懐に入り、信頼を得てから協力者への登録を打診する。それの繰り返しだ。

官公庁への度重なるハッキング行為で懲役刑を受けていた青年には、彼の希望もあって病死と偽装した上で新しい戸籍を用意した。
彼には早速シール型の盗聴器や小型発信器、仕込みボールペンの製作を依頼する。あまりに具体的なオーダーに最初は驚いていた彼だったが、「やってみます」と快諾してくれた。

ちなみにこれらは全て、通常の職務の合間に行われている。与えられた職務をこなしながら多数の協力者を獲得してきた彼女は、元の時代と同じく、ゼロでもすっかり一目置かれる存在になっていた。




***




「アリバイ作り?」
「のようなものです」

降谷が協力を要請してきたのは、ちょうど大きな案件を片付けた後のことだった。

「僕は安室透という偽名を使い、バーボンというコードネームで組織に潜入しています」

詳しいことは聞かないが、その日のその時間、「バーボン」としてその場所にいなければいけないらしい。
その場所とはちょっとアングラなパーティーで、一人では怪しまれるので同伴してほしいとのことだった。

(“一回目”の時も頼まれたな、これ)

確か前回も特に事情は聞かず、適当に派手めなカバーを作って同行したんだった。

「当日は組織の人間に盗聴器を付けられると思うんですが、他に上手く立ち回れそうな女性の心当たりもなくて」
「なるほど。わかった、手伝うよ」

赤井や諸伏とのスリーマンセルをこなしつつ、探り屋としての仕事もしているのだろうか。いつの時代も多忙な男だ。
前回は何も考えていなかった名前だが、今回は色々知ってしまっているのでちょっと気を遣ってあげようと思った。

「どんな女性が希望?」
「そうですね…僕がその場にいたことを印象付けたいので、少し派手めで。ただ組織の人間に目をつけられても困るので、悪目立ちはしない程度がいいですね」
「わかった」

派手めで、というところで自然とベルモットの姿が思い浮かんだ名前だったが、咄嗟にそれを打ち消した。
特に理由はないが彼女に似たカバーで降谷の隣に立つのだけは嫌だった。特に理由はないが。


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