2-6
夜の繁華街は、数多のネオンに照らされて昼のように明るい。特にその中心近く、クラブの多いエリアは派手に着飾った若者で溢れ、極彩色の色彩を作り上げている。
そんな雑多な空間にあっても、街頭にもたれて人を待つ安室の姿はとりわけ人目を集めていた。
Vネックカットソーに黒いジャケットを羽織り、細身のチノパンを合わせただけのシンプルなスタイルだが、その一角だけまるで絵画のように洗練された雰囲気が漂っている。
道行く女性がチラチラと視線を向けるが、彼がそれを気にする様子はない。
「安室さん!」
安室は自分を呼ぶ聞き覚えのない声に顔を上げた。
視線の先からは、この界隈によく馴染んだ派手な身なりの女性が駆け寄ってくる。
オフショルダーの黒いタイトワンピースがボディラインを強調し、明るい茶髪は毛先を胸元に緩く垂らしたツイストサイドアップにアレンジされている。
大きなアーモンドアイに施された囲みメイクと深い赤のルージュが、彼女の華やかな顔立ちをバランスよく引き立てていた。
「ごめんなさーい、遅くなっちゃった」
「いえ…僕も来たばかりなので」
(苗字さん…だよな?)
同僚の変装を初めて目の当たりにした安室は、内心の動揺を押し隠して微笑んだ。
「ふふっ、よかったぁ」
名前は安室の腕に絡み付くと、早く行こうと彼を急かす。なるほど、慣れている。安室を見上げる顔はとろけるような甘さを孕んでいて、彼に恋い焦がれる愚かな女性を実に巧妙に演じていた。
豊満な胸が彼の腕に押し当てられているのは、あえて意識しないようにした。
「…ええ、では行きましょうか」
今回、探り屋バーボンとしてパーティーの主催者を探るよう命じられた安室だが、その情報はすでに公安として掴んでいる。
しかしそれをそのまま言うわけにもいかないので、今回は確かにこの場で情報を得たという証拠作りのために来たようなものだった。
ちょっとヤバめのパーティーに参加して、主催者と接触し、引き上げる。それだけだ。
組織の人間に盗聴器を付けられているため下手な会話はできないが、彼女なら上手くやってくれるだろう。
この時の安室は、この日が無事に終わると信じて疑わなかった。
***
会場であるクラブに入ってすぐ、名前はその香りに気付いた。
草っぽいような甘いような、独特の強い香り。―――大麻だ。アングラなパーティーと濁されてはいたものの、どう見ても完全にアウトなイベントだった。
もちろん一度この場を経験している名前は、事前知識として知っていた。本来であれば全力で摘発したい事案だが、今の彼女はバーボンの連れだ。悪目立ちしないよう、大人しくしていなければならない。
「安室さん、今日車?」
「ええ。あなたは好きに飲んでいて構いませんよ」
「やったぁ」
とは言うものの、公安捜査官がこんなヤバイ店で飲食するわけがない。ほとんど盗聴器に聞かせるためだけの会話だった。
安室にくっついたまま視線を巡らせると、ガラス張りのVIPルームの中で煙がモクモク動いているのがわかる。絶対ヤバいだろあそこ。
「ねー安室さん、このお店臭くない?」
「色々な香水の匂いが混ざり合っていますね。僕もちょっとキツいです」
「うー」
「大丈夫ですか?」
大麻の匂いなんてわかりません、という体を装う名前を、安室が心配そうに覗き込む。
「…ふふ、安室さんの匂い嗅いどこ」
姿勢を低くした安室の首に腕を回し、その首筋に顔を埋める。彼はピクリと小さく反応した。
「いいにおーい」
そのままの体勢でクスクス笑ってみせると、安室がゆっくりと体を離す。彼は名前の頭をそっと撫で、困ったように笑いかけた。
「全く…可愛い人ですね」
「ほんと?」
「ええ、もう」
頭から下に移動した安室の長い指が、胸元に垂らした彼女の髪を弄ぶ。
「…ちょっと主催者に挨拶してきます。戻るまでいい子にしていてくださいね」
彼がそう言って柔らかく微笑むと、名前はやや不満げに「はぁい」と返した。
カモフラージュの会話ももう十分だろう。あとは彼が目的を果たして戻るのを待ち、引き上げるだけだ。
彼女は離れていく安室の背中を見送り、壁側に寄っておこうと踵を返した。
「おじょーさぁぁん」
「!」
突然耳元で大きな声がしたかと思うと、左の二の腕を力いっぱい掴まれる。
「いっ…たぁい……何?」
振り向いた先には充血した目の男がいた。───完全にキマッている。これは前回はなかった流れだ。
「一人になったならさぁぁ、ちょっとおいでよ。いいもんあるからさぁ!」
男の示す方向は見るからにヤバいVIPルームだ。名前はやんわり断るが、ハイになっている男の声が大きい。このままでは悪目立ちしてしまう。
「…わかった。わかったから、静かにして」
男に連れられて向かったVIPルームには、他とは比べ物にならないほど濃密な空気が漂っていた。置いてあるソファには力なく倒れ込んでいる者もいる。
(くっさ…。大麻だけじゃないな、何か混ざってる)
名前は煙を吸い込まないよう、努めて呼吸の回数を減らし、浅く短く息を吸った。彼女を連れてきた男が隣で何やら説明している。
「新しく入ったヤツがさー、後に残らないしいい感じにブッ飛べるんだよねぇぇ」
ほら!と言って突然煙を吹きかけられた名前は、噎せはしなかったものの思い切り眉根を寄せた。男はしつこく近寄っては彼女にそれを勧めてくる。声を出すことでそれを吸い込みたくない名前は顔を逸らして避けるが、何を思ったのか男が突然抱き着いてきた。
「なぁぁ、いいじゃんか一緒に飛グゥッ」
(しまった、手が出た)
つい鳩尾に拳をお見舞いしてしまった。呻きながら倒れ込んだ男は動かない。気絶しているようだ。VIPルームにいた他の人間も異常に気付いたようで、なんだなんだとこちらを見る。
「……この人、キマリすぎじゃない?絶対ヤバいって。こわぁ」
名前は倒れた男にドン引きしたような視線を向け、ツッコまれる前にさっさとその場を後にした。
(目立ってませんように)
prev|
next
back