3-2
突然空に向けて銃弾を放った赤井に、諸伏は瞠目した。
「え?何して…」
「ああ、これは合図だ」
合図?と諸伏が首を傾げる。それから数分経っただろうか。非常階段を駆け上がるカンカンという音が近付いてきた。
「!」
「仲間だ。安心していい」
赤井が言い切ると同時に、全身黒ずくめの人影が屋上に飛び込んできた。
「赤井さーん!」
「おっと」
人影が勢いを殺さずそのまま赤井に飛びついた。それを危なげなく受け止めた赤井が、「よくやったな」とキャップの上からポンポンと頭を撫でた。
「こっ、怖すぎて死ぬかと思いましたよ!拳が掠っても死ぬしあの握力で手足掴まれても死ぬし!あんなに必死で立ち回ったの初めてですよ!寿命が!寿命が縮んだ!マジで!」
もう二度とやらない!と叫ぶ声はもはや半泣きだ。
声の高さからして女だろう。興奮した様子で捲し立てる女性と全く動じていない赤井を、諸伏は呆気に取られて見つめていた。
「確実に引き下がらせたんだな?」
「念のため入口に小型カメラ付けてから上がってきました」
抱き着いた体勢のまま、女性が手に持ったスマートフォンをぷらぷらと揺らした。
「さすがだ」
そこで諸伏の存在を思い出したのか、赤井から体を離した女性がこちらに向き直る。
黒いキャップに短い黒髪、パーカーからスニーカーまで見事に黒で統一された、少し幼さの残る顔立ちの女性だった。
「えっと、スコッチくん」
「あ、ああ」
「時間がないからすぐ本題に入るけど、あなたを保護するにあたって、選択肢が二つあるの」
女性が指を一本立てる。
「FBIの保護下でアメリカに渡り、証人保護プログラムを利用するというのが一つ目。この場合は名前も職業も全て変える必要があります」
指が二本に増える。
「二つ目は、このまま公安に戻るという選択肢ね。ただし身元は割れてなくても公安ということがバレている以上、組織が壊滅するまで四六時中変装必須。もしかしたら業務には一切就かせてもらえずセーフハウスに隔離…なんてこともあるかも」
その辺りは君の上司の判断によるからなんともいえないけど、と彼女は続ける。
「どうする?」
「……助けてもらったことはありがたいと思う。でもオレは、これからも日本の警察官でありたい」
「オッケー、二つ目の選択肢ね」
女性はニッコリ笑って、傍らの赤井を見上げる。
「ということなんで、もう一仕事お願いできますか」
「付き合おう」
「よっしゃ」
小さくガッツポーズをして、彼女がまた諸伏を見た。
「じゃ、行くよスコッチくん」
***
「これ、どこに向かってるんだ?」
女性が運転する車の後部座席に乗せられた諸伏は、目の前でハンドルを握る女性に話しかけた。
「どこにっていうか…待ち合わせみたいなものかな」
「待ち合わせ…?」
車は黒のランサーセディア。彼女は「足がつかない車」だと言っていたが、怪しすぎてそれ以上は突っ込んで聞けなかった。
「君もFBIなのか?」
「うーん、まあそんな感じかな…あ、来た来た」
サイドミラーを確認した彼女がおもむろにスピードを上げる。つられて諸伏が振り返ると、そこに見えるのはシボレーの黒いピックアップトラック―――シボレーC-1500・C/Kだ。というかあれは。
「ライ!?」
先程ビルの屋上で彼女と諸伏を見送った男の愛車ではないか。夜ということもあって運転席の人物は確認できないが、諸伏は彼が乗る以外にその車を見かけたことがなかった。
「そうそう。ちょっとカーチェイスするから、舌噛まないでね」
「は!?」
首都高の制限速度ギリギリで走っていた車が、見る見るうちに加速する。背後のシボレーもそれに追いつかんとスピードを上げた。
平日の夜ということでそこまで混みあってはいないが、それでも首都高を走る車は決して少なくない。それを掻いくぐるように走る二台の車に、諸伏は思わずシートベルトをぎゅっと掴んだ。
やがて二台は長い橋に差し掛かる。直線のはずのそこで彼女はなぜか車を蛇行させ始め、助手席の足元から拾い上げた解氷剤か何かのスプレー缶をおもむろに運転席の足元に放った。そして足先でコンコンとつついているようだ。
「なっ、何してるんだ!?」
「合図と同時に右の窓から跳んでね」
「は!?」
気付けば車の窓がすべて開いている。状況が飲み込めないながらも、諸伏は慌ててシートベルトを外して窓枠を掴んだ。
「5、4、3…」
数えながら、彼女が橋の外壁に車体を接触させる。アクセルを限界まで踏み込んでいるからか、低いコンクリート壁の上に今にも車体が飛び出しそうだ。
「2、1、ゼロ!」
予想通り車体が浮き上がるのを感じた瞬間、諸伏は窓から身を投げ出した。受け身を取りながらアスファルトに転がると、背後から追いついた黒いシボレーがドリフトをかけながら横向きに停車する。
一拍置いて、下からザブンと大きな水音が聞こえた。橋から落ちた車が東京湾に着水した音だろう。
「ほら、事故る前に退散するよ!」
いつの間に立ち上がっていたのか、女性が諸伏の手を取って起こし、そのままシボレーの後部座席へと滑り込む。というか今まさに事故ったのでは?というツッコミは飲み込んだ。
再び走り出したシボレーの中で、すっかり混乱した様子の諸伏に女性が向き直る。
「じゃ、シナリオの確認ね」
「シナリオ?」
「そう。君は屋上に追い詰められたけど奪った銃で威嚇射撃を一発。ライが怯んだ一瞬の隙をついて非常階段を下り、隠しておいた盗難車で逃走。だけど追いつかれ、動揺からハンドル操作を誤って橋から落下してしまう」
運悪くブレーキペダルの下にスプレー缶が入り込んでしまって、ブレーキも踏み込めなかったみたいだね。と続ける彼女に、諸伏は開いた口が塞がらない。
「真冬の海に落ちて生存は絶望的。あとは二日後くらいに、身元不明死体を発見って新聞の片隅にでも報じてもらってね」
「し、死体?」
「うん。死体が上がらなかったら怪しまれるでしょう?君もライも。ただ実際に死体を用意するわけにもいかないから、組織より早く警察が発見したっていう形にするのがベストだと思う。公安の人間の死体なら報道で名前や写真が出ないのも自然だし」
頭が働かないなりに理解した諸伏は、「それでか…」と長いため息を吐いた。
「事前に言ってくれないか。寿命が縮んだ…」
「そんな時間なかったから、ごめんね」
全く悪いと思っていないような声色で彼女が言う。
「じゃあ後は上司にでも連絡して、合流地点の近くまで赤井さんに送ってもらって」
赤井さんもそれでいい?と彼女が問うと、運転席の赤井が「構わない」と返す。
「え、君は?」
「私は色々訳アリで。適当なところで先に降りるよ」
「…名前も聞かない方がいいのか?」
その質問は予想していなかったのか、こちらを見る彼女がきょとんとした顔になる。
「…んー、そうだね。私はここにはいなかった。それが一番いいと思う」
どこか寂しげに笑う彼女に、諸伏は「そうか」としか返せなかった。
そして人気のないところで車を降りた彼女を見送ってから、助けられた礼を言えていないことに気付くのだった。
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