3-7
11時45分。
未だ爆弾と睨み合う名前だったが、そろそろかとスマートフォンを手に取った。
いくつも重なった着信通知は無視して部下の番号をタップする。
「観覧車の様子は?」
『苗字さんの予想通り、つい先程制御盤が爆破されたようです』
「わかった。そこは他に任せて君もそっちに向かってくれる?観覧車の爆破予告は正午だから、現場の警察官と協力して人払いして。ゴンドラに人が残ってないかも確認してね」
『了解しました』
名前からの情報になんの疑いも持たず、指示にただ従ってくれる彼ら捜査官には頭が下がる。
着信履歴はもう増えなかった。
「…よし、もう一息」
目の前には三本のコードが残っている。映画みたいな展開だな、と名前は頭の隅で思った。
額から伝う汗を拭き、まず一本。
「……あ゛ーー」
無事に切断できたが、正直最後の二本で手詰まりだ。名前はタオルに顔を埋めて思わず呻いた。残ったコードの色は白と黒だが、もう手がかりは何もない。本当に意地の悪い爆弾魔だ。解体させる気ないだろ。ほんとに映画かっての。
時刻は11時50分。病院の爆破予定時刻は14時のはずだが、正午に爆破される観覧車で誰も死ななかった場合にこちらが遠隔で爆破されないとも限らない。これ以上ダラダラ悩んでいる時間はなかった。
(…白は、切りたくない)
浮かんだのは、白が似合う彼の姿だった。
パチン
迷わず黒いコードを切断した名前の目の前で、それまで液晶画面に表示されていた「STANDBY」の文字がふっと消えた。
それを見た名前が、詰めていた息を吐いてその場に大の字で倒れ込む。
「……お、終わった」
死ぬかと思った感、歴代一位…。誰に言うでもなく呟くと、タイミングよく部下からの着信が入った。
「もしもし?こっちは終わったよ」
『苗字さん!』
珍しく慌てた声が聞こえ、名前は上体を起こした。
「どうしたの?」
『観覧車のゴンドラに…』
―――捜査官が乗り込みました
その言葉を理解した瞬間、名前は跳ね起きた。解体した爆弾も工具もそのままに走り出し、通話を切って別の番号をタップする。インカムから聞こえるコール音を確認しながら、彼女はバイクに飛び乗った。
(お願い、出て!)
ヘルメットの下で祈りながら、数ブロック先の杯戸ショッピングモールへと急行する。永遠に続くかと思われたコール音だったが、不意にそれが途切れた。
『…よぉ』
聞こえたのは、場違いなまでに落ち着いた男の声だった。
「陣平!」
名前は確信していた。ゴンドラに乗り込んだのは彼だ。
***
松田にとって、高級マンションの爆破未遂事件は特に執着するようなものではなかった。
確かに事件自体は未解決だが、犯人を追うことは自分の仕事ではない。新たに飛び込んでくる爆弾解体の方がよほど腕が鳴る。
しかしその年の夏。同僚との飲み会で、彼は毎年11月7日に警視庁に届くという謎のFAXの話を聞いてしまう。
刑事部の友人からの又聞きだという同僚によると、カウントダウンのようなそれは去年の11月7日が「1」だったらしい。今年は何が起こるんだと笑う彼をよそに、松田は理解した。それはいたずらなんかじゃない。あの事件の犯人によるものだ。
(リベンジってか?面白ぇ。また解体してやるぜ)
思い立った松田はすぐに特殊犯係への転属を願い出た。話を聞いた萩原には呆れたように止められたが、彼も松田を本気で止められるとは思っていないだろう。最終的には「気が済んだら帰ってこいよ」と言われて終わった。
結局特殊犯係への転属は認められず、松田は人手不足の強行犯係に回された。不満ではあったが、一応事件が起きた時に現場に急行できる立場ではある。一週間後に迫った11月7日に、あの犯人のリベンジを自分の手で返り討ちにできればそれでいい。
そして11月7日。松田は杯戸ショッピングモールの大観覧車に乗り込んだ。
「…っと、厄介なことになっちまったな」
爆弾を前にした松田だが、ゴンドラの振動で水銀レバーのスイッチが入ってしまった。ここからは少しの振動が命取りだ。
そこに佐藤からの着信があり、それを伝える。
「俺が吹っ飛ぶのを見たくなきゃ、こいつを解体するまでゴンドラを動かすんじゃねーぞ」
『で、でも…』
爆弾自体の作りはシンプルだ。タイマーは五分を切っているが、解体はあと三分もあれば余裕で終わる。
そこまで伝えたところで、通話中の携帯にキャッチが入った。松田がそれに意識を向けた瞬間、爆弾の液晶画面に新たな文字が現れた。
「…勇敢なる警察官よ、 君の勇気を讃えて褒美を与えよう。試合終了を彩る大きな花火のありかを表示するのは爆発三秒前。健闘を祈る…」
どうやら犯人は、ゴンドラに乗り込んだ一人の警察官と多くの民間人の命を天秤にかけさせたいらしい。前回も思ったが、とことん底意地の悪い奴だ。
通話口の向こうで叫ぶ佐藤の声を聞きながら、松田はふと携帯の画面に目をやった。先程かかってきたキャッチホンが一向に切れないのだ。
「!」
苗字名前。二度目のツーリングを最後に、一切の連絡が取れなくなった女だった。
「悪ぃ」
佐藤に短く断って、松田はそのキャッチに応えた。
「…よぉ」
『陣平!』
二年ぶりに聞く彼女の声は、珍しく慌てている。後ろに聞こえるエンジン音は彼女の愛車のものだろうか。
「久しぶりだな、名前さん」
『陣平、今観覧車にいるよね?』
「お、知ってんの」
彼女が知っていることに内心驚いてはいたが、努めて軽く返す。目線は爆弾の液晶画面に向いていた。
自分がここで次の爆弾のヒントを得なければ何人の人間が死ぬかわからない。久しぶりに声が聞けたのは嬉しいが、早めに切り上げて佐藤へのメールを作成しなくては。
「名前さん、悪ぃけど―――」
『米花中央病院』
「あ?」
唐突に告げられた単語に眉根が寄る。
『二つ目の爆弾は米花中央病院。私が解体したからもう爆発はしない。都内にある同規模の病院に爆弾が設置されていないのも確認した。だから、』
―――信じて解体して、陣平
言葉を失う松田に、『下で待ってるから』と告げて電話は切れた。
ツー・ツー・ツーというビジートーンにハッとした松田が、液晶の残り時間を確認する。すでに三分を切っている。
(…やってやろうじゃねぇか。とっ捕まえて全部吐かせてやるから覚悟してろよ!)
彼女が爆弾を解体した?都内の大病院を全て確認した?聞きたいことは山程あるが、今は下で待つという彼女の言葉を信じて解体に集中するほかない。
こんな単純な作りの爆弾、自分の敵ではないのだから。
***
結局、数秒を残して爆弾は解体された。佐藤に連絡してゴンドラを動かさせ、松田は地上に降り立った。
泣きながら飛びついてきた佐藤を受け止めつつ周囲に視線を走らせる。観覧車を囲む野次馬の中に彼女の姿はない。
(どこだ?)
不意に、野次馬のさらに向こう、人と人との間から黒い服に身を包んだ女の後ろ姿が見えた。
「!悪ぃ、ちょっと外す」
「えっ、松田くん!?」
佐藤の肩に手をやって離し、野次馬の中を「通してくれ!」と叫びながら押し進む。人混みからチラチラと見え隠れするその後ろ姿が、角を曲がって見えなくなってしまう。
「……名前さん!」
人混みを抜け出した松田が同じ角を曲がると、すでにそこに人影はない。
「あ゛ーーくそ」
膝に手をついて大きくため息を吐いた松田だったが、思い出したように煙草を取り出して紫煙をくゆらせる。肺を満たした煙を吐き出しながら、同時に呟きが漏れた。
「……っとに、勝手な女」
***
自宅マンションに向けてバイクを走らせながら、名前は部下から犯人を確保したとの連絡を受けた。
元々爆弾を設置しに現れた時点で捜査官が男を尾行していたが、爆弾を全て解体し終えたことで、ようやくその身柄を取り押さえることができたのだ。後のことは全て優秀な部下たちがやってくれる。
(よかった…誰も死ななくて)
松田はもちろん、仲間も、自分も。
自分の駐車スペースに愛車を停め、駐車場から直接マンション内に続くドアに向かう。そしてそのドアの脇にもたれた人影を認めて、名前の足は止まった。
柔らかそうな金髪に褐色の肌、黒を基調としたセンスのいい服に身を包んだ長身の男は、間違いなく降谷だ。
(いや、むしろバーボン…)
名前に気付いた彼が、視線を上げる。ニッコリと人のよさそうな笑みを浮かべる彼に、名前は蛇に睨まれた蛙ってこんな気分なのかな、とぼんやり考えた。
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