3-8
ダイニングテーブルに二人分のコーヒーを置き、椅子に腰掛ける。向かい側に座った彼は礼を言ってそれを口に運んだ。
「…それで」
カップを置いた彼が、柔らかい笑みを浮かべて口を開く。
「どうして電話に出なかったんですか?」
纏う空気はどこまでも柔らかいのに、名前は悪い意味で心臓をギュッと鷲掴みにされた気分だった。絶対怒ってる。
「えっと…ちょっと野暮用で」
目を合わせたくない名前は手にしたカップに視線を落とす。こくりと一口飲んでから、ゆらゆら揺れる黒い水面を眺めた。
「へえ…爆弾の解体が野暮用ですか」
さらりと落とされた言葉に、名前の手に力が入る。
「ああ、当たっていましたか」
カマかけられた。
彼は笑顔を浮かべたまま顎に手をやり、まるで事件の推理を聞かせるような口ぶりで話す。
「電話の後、大観覧車の制御盤が爆発したという速報が入ったので、風見に調べさせたんです。かなりの数の捜査官が動いたようだったので、どんな指示を受けていたのか容易に把握できました。病院を調べさせていたんですね」
名前は答えない。
今回の件は完全に彼女の独断専行だ。爆弾が病院に仕掛けられているという情報も、彼女が知っていてはおかしいのだから。あらかじめ刑事部に伝えたとしても、情報の出所は答えられなかっただろう。
「電話越しに何かを切断している音が聞こえたので、まさかとは思いましたが本当に爆弾の解体に当たっていたとは…。観覧車の方はゴンドラを一つ吹き飛ばす程度の火薬量。合理主義者のあなたのことですから、人払いさえ済ませれば爆発させてしまって構わないと考えたでしょう。となると、あなたが解体したのは病院に設置された爆弾の方だ」
完全に当たっているので、特に反論のしようもない。ここまで正確な情報を名前が帰宅するまでに揃えるとはさすがだ。
名前は困ったように微笑んで彼を見ていた。
「…なぜ、誰にも言わなかったんです?」
目を細めた降谷から、笑顔が消えた。
「情報の出所を言えないの」
ようやく口を開いた名前に、降谷がわかりやすく眉根を寄せる。彼女は本当のことを話してはいるが、言えないことを言うつもりはない。
「質問を変えます。なぜ僕を頼らなかったんですか」
それに対する答えも同じだ。名前が同じことを繰り返そうとしたところで、それを遮るように降谷が続けた。
「あなたが聞くなと言えば聞きません。関わるなと言えば関わりません。やれと言われたことだけを遂行できます。そんなに僕を信用できないですか?」
その言葉に名前は思わず目を瞬かせた。信用していないなんて、なぜ思ったんだろう。
「それは」
「僕のことを好きだと言いましたね」
突然の直球に、言いかけた言葉が引っ込んだ。
「好意と信用は別物だ。あなたは僕を好きだと言いながら、実際はずっと一定の距離を保っていた。僕と深い関係になることも望んでいないように思える。違いますか」
大体当たりだ。
そもそも未来での名前も、彼に気持ちを伝えるつもりはなかったのだ。彼は潜入中だし、お互いの立場を思えばそれが自然だと思っていた。――彼から気持ちを告げられた時は驚いたが。
それに今回は、彼に言えないことが多すぎる。嘘つきの彼女だが、こんな状態で今以上を望めるほど図太くはない。
「なんで、好きだなんて言ったんですか」
偽りは許さないという鋭い目で、降谷が名前を見る。目と言葉には苛立ちが滲んでいるのに、どこか切なそうな表情にも見えて名前は息が詰まった。
「…死ぬ可能性を考えたら、伝えておきたくなって」
彼を悩ませてしまったことに答えを渡しておきたかったのも本心だ。それでも大半は、死ぬ前に言っておきたかったという自己満足だ。結局それでまた彼を怒らせてしまったのだから本当に救えない。
「困らせてごめん。これ以上を望んでいないっていうのも当たってる。だから私が言ったことは、」
「忘れろとでも言うんですか?」
強い口調で遮られて、思わず彼を見つめる。
「…あなたはいつも勝手だ。振り回すだけ振り回して、こちらの気持ちなんて考えもしない」
切なげな口調に、名前は情けなく眉尻を下げた。もう一度謝ろうと口を開くが、それすらも遮られる。
「謝らないでください。あなたに謝られると、あなたの言葉や行動に一喜一憂していた自分まで否定される気がする」
「え?」
言葉の意味をはかりかねて、名前が小さく首を傾げた。
視線から鋭さを消した降谷が、どこか呆れたように嘆息する。
「わかりませんか?先を望まないなんて言われると、僕が悲しいってことですよ」
(…それって)
目を丸くする名前に降谷はふっと柔らかく眦を下げた。
コーヒーカップを握る名前の両手を降谷の大きな手が包み込む。それを温かいと感じるより先に、彼が続けた。
「僕もあなたが好きですから、この先を望んでください、名前さん」
先に告白したのは名前の方なのに、まるで彼の方が懇願しているようだ。グレイッシュブルーの瞳に真っ直ぐ見つめられながら、名前はまた眉尻が下がるのを感じた。
「……私、零くんのことちゃんと信用してる」
話し始めた名前を、今度は降谷も遮らずに待った。
「好きだし、信じてるし、大切だよ」
でも、と続ける。
「言えないことがたくさんある。言えない目的もある。それは信じていないわけじゃなくて、私が言いたくないの。私が一人で抱えておきたいことなの」
零と未来で結婚していたこと。零の大切な人たちを助けたいと願ったこと。
なんとなく話してはいけない気がするというのもあるが、目の前の彼がまだ経験していないことを背負わせたくないという気持ちが強かった。
あの零とは、同じようで違うのだ。
「こんな状態なのに一方的に気持ちを伝えるなんて…確かに失礼だったなって、反省したところなんだけど」
「そんな状態なのに一緒にいたいと言ったら、おかしいですか?」
ふっと口角を上げる降谷に、つられて名前の口元も弧を描いた。
「…うん、おかしいよ」
こんな隠し事だらけの女と一緒にいたいなんて変な男だ。
彼の大きな手から伝わる高めの体温が、名前の手を温めていく。一つに混ざり合っていく温もりが、今はただ心地よかった。
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