4-4
スピードで勝るRX-7は、オフロード車にすぐ追いついた。
ただ、カーブの続く峠道でこちらより大きな車を止めるのは難しい。車体を接触させても軽いこちらが弾かれるか潰されるかして終わりだろう。
いっそ飛び移るか?と名前が思案したところで、運転席の降谷が「名前さん」と声をかけてきた。
「ん?」
「これ、使ってください」
スーツ下のホルスターから彼が抜き取って渡してきたのは、H&K社のP7だ。装弾数は8発。軍や警察向けの自動拳銃で、名前も普段から使い慣れている。命中精度も比較的高い銃なので、射撃の得意な名前ならこの状況でも当てられるだろう。
「ありがとう。借りるね」
P7を右手に携えた名前が、助手席の窓から身を乗り出して右手を前方に伸ばす。狙うはタイヤだ。
道幅が広くなったところで名前がすかさず引き金を引く。オフロード車の強靭なタイヤも、後輪に二発ずつ打ち込まれればひとたまりもない。
車がバランスを崩して蛇行し始めたところで、突然重力を感じた名前の腹部が窓枠にグッと押し付けられる。同時に高くなる視界に名前は慌ててしがみついた。
(―――やると思った!!)
運転席側を下にして片輪走行を始めたRX-7が、ふらつくオフロード車の右側を追い抜いたのだ。
名前は後方を振り返りながら左手で窓枠を、右手でP7のグリップを握り込み、オフロード車の前輪に向けて立て続けに引き金を引いた。
全て前輪に着弾したのを確認して名前は慌てて車内に引っ込む。上がっていた助手席側が勢いよく地面に降り、名前の体がシートの上でバウンドした。
「うわっ」
殺す気か。
降谷とともに車を降りると、峠道の崖側ギリギリのところでオフロード車が停まっていた。P7を構えながら近づく名前に運転席の男が両手を上げる。
(まぁ、もう弾ないけどね)
しかしハッタリとしては効果抜群だったようで、無事に責任者の男を確保することができた。
遅れてやってきた部下に男を引き渡すと、同時に彼から新たな情報がもたらされる。
「…降谷くん」
「はい」
後ろに控えていた降谷に振り向くと、彼は続く言葉がわかっているようで真剣な顔で頷いた。
「もう一仕事お願いできる?」
「最後まで付き合いますよ」
ところで、と降谷が続ける。
「足、大丈夫ですか?」
「……うん……痛い…」
そういえば裸足だった。
***
とあるホテルの一室で、バスローブに身を包んだ壮年の男がワイングラスを揺らしている。
テーブルに置かれたスマートフォンに着信はなく、男は苛立たしげに奥歯を鳴らした。
約束の時間は二分前に過ぎた。男は時間を守らない人間が嫌いだ。あと一分したらこちらから電話してやろう。そう決めてワイングラスを傾けた。
コンコンコン
不意にドアがノックされ、男は弾かれたようにソファから立ち上がった。
おそらく指の関節だけでされたであろうそのノックは、通常より音が小さい。そうだ、ドアはこちらから開けてあげなければ。向こうは両手が塞がっているのだから。
逸る気持ちを抑えながら男がドアを開けると、そこには予想通り女性を横抱きにした一人の男が立っていた。
「お待たせして大変申し訳ありません」
それは驚くほど見目のいい男だった。
絹のようになめらかな金髪に、エキゾチックな褐色の肌。精悍な顔つきながらも垂れ目がちな目元には甘さが漂っている。
人違いではないかと思ったが、濃紺の燕尾服に白い手袋をつけたその姿は、間違いなく待ち望んでいた“世話役”のものだった。
「ああ、失礼いたしました。もしかして上からの連絡が行っていないでしょうか」
思わず立ち尽くしていた男に、世話役が困ったように眉尻を下げる。
「あ、ああ…いや…代役の話なら少し前にメールが来たよ。さあ、入ってくれ」
体をずらし、部屋へと招き入れる。世話役の抱く女性はくたりと体を彼に預けていて、俯いたその顔を長い髪が隠してしまっていた。
「しかし、これまでの世話役が飛んでしまったとは。急な代役で君も災難だったな」
「いえ、とんでもない」
世話役は薄く微笑み、「彼女はどこへ?」と男に問いかけた。
「この椅子に座らせてくれ」
「かしこまりました」
座面と背もたれにベロアを使用したマホガニーの椅子は、ベージュのヴィンテージドレスに身を包んだ彼女によく似合うだろう。
足元を隠すほど長いドレスには繊細な刺繍が施され、世話役が歩く度にさらりと揺れるのがなんとも優美だった。
「では、失礼いたします」
世話役が椅子に座らせた彼女の姿を正面から見て、男は思わず息を呑んだ。
栗色の長い髪が隠していたのは、男がこれまでに見たどんな女性よりも美しい、完璧な“人形”の姿だった。
「こ、これは…素晴らしい…!」
陶器のような白い肌に、すっと通った鼻筋。長い睫に縁取られた瞳はビー玉のように澄んだヘーゼルカラーで、そこに人間らしい光はない。
形のいい唇には薄いピンクの口紅が塗られているが、艶のないそれが彼女の作り物らしさをさらに引き立てていた。
「完璧だ」
男は力なく座る彼女の手を取る。白く細長い指に、形のいい爪。一分の隙もない。
「ああ…いい…」
その手のひらに頬擦りしながら、男がうっとりと目を細める。
完璧に仕立てた人形を自分の手で少しずつ、少しずつ汚していく。その過程が一番興奮するのだ。
「こちらはどうかな」
長いドレスの裾をたくし上げ、現れた足先に触れる。
人形に跪くようなこの体勢も、なんともいえない背徳感があってたまらない。
「おや、少し傷付いているな」
透明感のある肌を台無しにするように、足裏にいくつかの小傷がある。
「申し訳ありません。“人形”になる前に少し暴れたようでして」
人形の後ろに控えていた世話役が答える。
「なるほど。いやしかしそれもいいな…抵抗しただろう姿を思い浮かべるとゾクゾクする…」
そう考えると、その小さな傷が随分色っぽく見えてくるから不思議だ。男はクツクツと笑いながら、その傷を指先でなぞった。
気分がよくなってきた男は、人形の脚に添えた手を少しずつ上に動かしていく。
捲り上がるドレスからゆっくり現れる脚が艶かしい。立ち上がりながら太ももを撫で上げ、男は人形の首筋に顔を埋めた。
「ああ…香りもいいな…」
甘すぎない可憐な香りに、男は思い切り息を吸い込んだ。
太ももを撫でていた手がさらに上がり、指先がドレスとは違う布に触れる。このまま脱がしてしまおうかとそれに手を掛けたところで、男の手首がパシッと掴まれた。
「……なんだ?」
楽しみを中断させられた男が苛立たしげに顔を上げると、視線の先で世話役が意味深な笑みを浮かべていた。
「今回、ドレスの選定に時間をかけまして。下着にもかなりこだわりましたので…ぜひ“最中”にご覧になっていただきたく」
どこか迫力のある笑顔に男が気圧される。
「そ、そうか…ではそうするとしよう。早速準備してくれるか」
「かしこまりました」
頷いた世話役が人形を抱き上げ、ベッドの中央にそっと寝かせる。髪やドレスの乱れを直し、両手を胸下で組ませれば完璧な人形の完成だ。
「…どうぞ、お楽しみください」
「ああ…ありがとう」
世話役がベッドを離れ、そこには男と美しい人形だけが残される。
そう、ここからが男にとっての至高の時だった。
厳選された人形は全て男の嗜好を満足させるための芸術品。お眼鏡にかなわない女は闇金から借金をさせて風俗に沈めて、男の活動資金や暴力団への上納金を作らせる。
男が飽きた人形も、同じ嗜好を持つ同志には高く売れるのだ。
さて、この美しい人形は、どれだけ自分を満足させてくれるだろうか。
男はギシリとスプリングの音を立てながら、横たわる人形に覆い被さった。
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