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降谷に「ヒロと会ってほしい」と頼まれた名前は、頭に叩き込んだマップをなぞりながら彼のセーフハウスを目指していた。
目立つGT-Rを目的地から少し離れた立体駐車場に停め、車を降りる。

「…あっつ」

陽の差さない駐車場内を歩くだけで額に汗が滲むのがわかる。外から聞こえるセミの鳴き声が体感温度を上げている気さえした。

季節は夏。
降谷から話があったのは春だが、日中にまとまった時間を取ろうと思うとすぐにとはいかなかった。
ちなみに今回は公安の苗字名前として向かうため変装はナシだ。代わりに髪を一つに結んでマスクをしているわけだが、口元に熱気がこもって息苦しい。
駐車場を出た名前は、日陰を選びながらノロノロと目的地に向かった。



(ここだよね?)

目線の先にあるのはシンプルな五階建てのマンションだ。オートロックではなく、ドアの間隔的に単身者向けらしい。
階段を上って二階の角部屋に向かった名前がインターホンを押す。モニターには彼女の姿が映っているはずだが、応答はない。

(不在かな)

もう一度インターホンを押そうとしたところで、カチャッと鍵の開く音がした。しかしドアが内側から開けられる様子はない。勝手に入れということだろうか。

名前が内開きのドアを開けて入ろうとすると、中から伸びてきた手が彼女をグイッと引き摺り込み、その体を壁に強く押し当てた。一拍遅れてガチャンとドアが閉まる。

「誰だ」
「いっ……たぁ」

低い声で問うのは、記憶より髪を短くして眼鏡をかけた諸伏だ。予想通り、フェイスラインに生やしていたヒゲはなくなっている。
彼はツリ目がちの目元をさらに鋭くして、眼前の名前を射抜くように見つめている。

「誰だと聞いて……いっ、いてててて」

努めて低くしていたらしい声が記憶通りのそれに戻る。
名前の腕を掴んでいるのとは逆の手を捻り上げられた諸伏が体勢を崩したところで、名前は解放された方の手でマスクを下げた。

「ヒロくん、久しぶり」
「えっ?」

手首を捻り上げられたままの諸伏が、涙目でこちらを見上げてくる。手を離してやると、彼はそこをさすりながら目を瞬かせた。

「もしかして……名前さん?」

ちょっと自信がなさそうだが、彼からすれば最後に会ったのは四年前だ。無理もない。

「驚かせてごめんね。遊びに来たよ」

ニッコリ笑って言うと、目を丸くした諸伏が「えー!?」と声を上げる。一気に幼くなったその表情に、名前も満足そうに目を細めた。




***




「いや…驚いた。まさか名前さんが来てくれるなんて」

ローテーブルにアイスコーヒーとお菓子を運びながら諸伏が言う。丸いクッションに座った名前は礼を言いながらそれを口に運んだ。

「零くんに頼まれたの。ヒロくんが暇してるだろうからって」
「まあ、暇だけど」

彼のいるセーフハウスは、二年住んでいるとは思えないほど殺風景だ。最低限の家具しかなく、普段どう暮らしているのか全く窺い知れない。

「在宅でできる仕事は回してもらってるけど、それ以外はトレーニングか散歩くらいしかやることがなくて」
「料理は?」
「するけど、食べさせる相手がいないから今は結構適当」
「読書とか」
「あんまり物を増やしたくないなぁ」

潜入生活で物を持たない生活に慣れてしまったらしく、あまり買い物にも出歩かないらしい。

他愛もない会話を楽しみながら、あまりに自然に進む会話に名前は感心していた。
こちらから彼の事情を聞かないからというのもあるだろうが、彼は拍子抜けするくらい名前について何も聞いてこない。零と連絡を取り合っていることについても、彼女自身の所属についても。もっとも、大方の予想はついているのだろうが。

(大人になったなぁ、ヒロくん)

思わず犬のように慕ってくれていた頃を思い出すが、今やすっかり大人の男性だ。組織や公安でしっかり揉まれたんだろう。

「じゃあ、私に料理教えてくれない?」
「え、できないの?名前さん」
「できるけど、男料理とは言われる」

なるほど、と諸伏は察したように頷いた。

「今納得した?」
「いやぁ、見栄えより時間や合理性を重視しそうだとは思って」

当たってる。

「ヒロくんも親子丼の具をフライパンのままテーブルに持っていくの引くタイプ?」
「ええ?なんだそれ」

見たことないな、と笑う諸伏をど突きたくなったがグッと堪えた。




***




諸伏と一緒に食材を買いに出かけたのは近所のスーパーだ。

「髪、ちょっと茶色いんだね」

太陽光に当たると、彼の髪が少し明るく染まっているのがよくわかる。

「まあ、イメージチェンジといいますか。名前さんのそれは変装?」

ポニーテールとマスクと指差され、名前は「まあね」と答える。助ける際に変装姿を見せている彼に、実はちゃんとした変装もできるのだと知られるわけにはいかない。

「うーん、昼飯何にしよう。野菜なら家に少しあるんだけど」
「ちゃんと一回でモノにできるメニューでお願いね、先生」
「餃子は?」
「ええ……」

なに?ダメ?と諸伏が聞いてくる。
未来でキュラソーと餃子パーティーをしたことがある名前は、二人の出来栄えの違いにショックを受けたことを思い出す。初めて作ったキュラソーの方が数段上手かった。

「夏だし、あっさりしたものにしない?」
「冷やしうどんとか?」
「あ、いいね」
「あんまり練習にはならなそうだけど」
「いいのいいの」

よかった。なんとか押し切れたと安心した名前は、食材を選び始めた諸伏について回った。どうやら冷やし豆乳坦々うどんとかいうのを作るらしい。なにそれ美味しそう。




***




一人暮らし用のキッチンは、二人が並ぶと肩や腕が触れ合うほどの狭さだった。
一口コンロで豚ひき肉を炒める諸伏の隣で名前はきゅうりを千切りにする。

「あれ、思ったより手際がいいな」
「だからできるんだって」
「やろうと思えばってヤツ?」
「そうそれ」

名前が切るきゅうりは別に太くもなく、不揃いでもない。それでも気を抜くとすぐに乱切りにしたくなるので、彼女は珍しく包丁を持つ手に集中していた。

「……なあ、名前さん」
「ん?」
「ゼロ、元気にしてる?」

視線はフライパンに落としたままで、諸伏が静かに問いかけてくる。名前もまた手を止めずに答えた。

「元気だよ。春に愛車で片輪走行してるの見たばっかり」

それを聞いて諸伏がプッと噴き出す。

「ちょ、それどんな状況?」
「あと子犬飼い始めたよ」
「マジで?」
「名前はハロ」
「うわほんとなんだ」

表情が緩む諸伏を見て、名前も自然と口角が上がる。
風見に降谷のことを聞けないのは諸伏も同じだ。お互いがお互いを気にかけているのに、様子を知れないというのはもどかしいだろう。

「よし、しょうがないから私が二人の伝言板になってあげよう」
「え?」

切り終えたきゅうりを皿に移し、白髪ねぎにするための長ねぎを取り出しながら名前が言う。思いがけない言葉に諸伏が目を丸くしてこちらを見ていた。

「足がつくといけないし、零くんともあんまり会わないからたまーにだけどね。アドレスも番号も変わってないから、また連絡して」

そう言うと、眼鏡の向こうで諸伏がへにゃりと眦を下げた。

「やった。ありがとう、名前さん」
「どういたしまして。ちなみにフライパンは大丈夫?」
「え?あ、やば」

甜麺醤で味付け済みのひき肉からは若干香ばしい匂いが漂い始めている。諸伏は慌てて火を止め、ひき肉の粗熱を取る間に今度はゴマダレを作り始めた。

「うわ、すでに美味しそうな予感」
「ちょっとピリ辛でいい?」
「いいよ、楽しみ」

豆板醤を投入する諸伏の手元を見ながら、名前はレシピをしっかり記憶する。今度降谷に作ってあげようと決めた名前に、諸伏が言う。

「それより名前さん、それ白髪ねぎなの?」
「え?あ」

全く集中していなかったので、切ったはずの白髪ねぎは綺麗に全部繋がっていた。


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