5-1


「地点A、地点Bともに対象の姿はないようです」
「了解。そのまま待機するように伝えて」
「わかりました」

隣に座る部下に指示を与えながら、名前は缶ビールを口に運ぶフリをした。

二人がいるのはとある神社。人気の花見スポットだ。
週末の夕方ということで周囲は花見客でごった返し、満開の桜の下で各々花見を楽しんでいる。日が落ちれば一部の桜がライトアップされるので、もう少ししたら夜桜も楽しめるだろう。

名前と部下は小さめのレジャーシートに二人並んで座り、会社帰りに花見を楽しむOLとその同僚を装っていた。

「何か食べ物買ってきてもいいよ。ここは見てるから」
「じゃあ少し外します。苗字さんは何かいりますか?」
「焼きそば食べたいな。あとたこ焼き」
「了解です」

離れていく部下を見送り、名前はその場に残る。

花見会場など大勢の人間が行き交う場所は後ろ暗い取引の現場にもなりやすい。
実際、公安がマークしている人物が最近この辺りで目撃されているという情報もあり、名前は会場の至るところに捜査官を配置していた。
ただし彼女は“一回目”でもこれを経験している。確か対象は現れず無駄足に終わったはずだが、かといって情報を無視するわけにもいかなかった。

夕方とはいえ、辺りはまだ明るい。
周囲をさりげなく見渡していた名前は、視界の端に見覚えのある人物を捉えてそちらに視線を向けた。

(新一くんと蘭ちゃんだ)

本来二人に出会うタイミングより一年前ということもあり、記憶より少し幼い二人がそこにいた。“一回目”の時は名前も彼らを知らなかったので、気にしなかったのだろう。

二人は何かを探しているのか、揃ってキョロキョロ辺りを見回している。

「…うぉっとと!」
「わっ」

桜の木を背に座り込んでいた名前に、突然男が倒れ込んできた。酔っ払いの動きは予測がつかない。事前に気付けなかった名前は見事に巻き添えをくらい、体勢を崩した。
右手に持っていた缶ビールを取り落としてレジャーシートがビールまみれになる。

(記憶にないトラブルきた…新一くんめ)

思わず罪のない新一に八つ当たりした。

「…あぁ〜?おぉっと、これはすみませんなぁー、ちょぉーっとフラフラしてて…」

男がのっそりと体を起こす。見慣れた口髭に聞き慣れた低い声。毛利小五郎だ。
これは本当に新一のせいかもしれない。

「って、おぁっ!?き、キレイなお姉さんではないですかぁー!これは大変失礼しましたぁーっ」

大袈裟なリアクションを取りながら、毛利が脱いで丸めた背広でビールを拭き始める。

「えっ、あ、いえそこまでは」

名前が静止するが、すっかり酒に呑まれている毛利は止まらない。
これは酒が抜けたらグチャグチャの背広見て後悔するやつでは?名前は慌てて「本当にいいですから」と声をかける。

「ちょっと、お父さん!?こんなところにいた!」

そこに高くよく通る声が聞こえた。蘭だ。

「あぁー?なんだぁ、蘭か。悪ぃ悪ぃ、トイレが混んでてよー」
「って、お父さん何して…」

蘭はワイシャツ姿の父と手元の背広、濡れたレジャーシートと名前の姿を見て驚いたように声を上げた。

「あー!また人に迷惑かけてる!」
「いや、これはだなぁ……」
「本当にすみません!うちの父が」

すぐさま頭を下げる蘭に、名前は内心同情した。この子、一体どれだけ父親の尻拭いをしてきたのだろう。反応が早すぎる。

「いえ、本当に大丈夫です。タオルもありますし。背広が汚れてしまうので、もう…」

言いながら、拭くのをやめるよう毛利に促す。彼はへらりと笑って「そうですか?悪いですなぁ〜」と頭を掻いた。

「蘭、おじさん見つかったのか?」

名前がバッグから取り出したタオルでシートを拭いていると新一が駆け寄ってきた。

「あ、新一…。いたにはいたんだけど、また知らない人にご迷惑かけてて……」
「ったく、しゃーねぇなぁ」

「ホラ、おじさん」と声をかけながら毛利を立ち上がらせる。その姿が名前には早くも夫婦と舅に見えてきていた。数十年後も同じことをしていそうだ。
名前もそれに合わせて立ち上がると、蘭と新一が頭を下げてくる。

「父がご迷惑をおかけしました」
「すみませんでした」
「いえ、本当に気にしないでください」

軽く変装しただけの名前は、これ以上新一の記憶に残りたくなかった。彼が本気になったら、きっと少しの類似点も見逃してくれない。

「じゃあ行くよ、お父さん」
「…あぁー?俺はまだぁー、ヒック、飲めるぅー、っと」

三人が歩き出したところで、部下が戻ってきた。

「お待たせしました、焼きそばとたこ焼きです。…何かトラブルですか?」
「ううん、大したことは…」

ないよ、と言おうとしたところで、名前はシートの上に落ちているシンプルなハンカチを見つけてしまった。ワンポイントの刺繍が施されたそれは蘭のものだろう。
無事に乗り切ったと思ったのに、と思わずため息が漏れる。

「ごめん、ちょっと落とし物届けてくる。適当に食べてて」
「わかりました」

三人はまだ近くにいた。声をかけてハンカチを渡すと、蘭にはずいぶん恐縮されてしまった。

「…あの」

毛利に肩を貸していた新一が、名前の後方にいる部下をチラッと見ながら小声で話しかけてくる。

「はい?」
「もしかしてお二人って、警察官ですか?…公安の」

その言葉に一瞬固まってしまった名前だが、かろうじて「どうして?」と返した。

「いえ、さっきおじさんを探している時にあの男性を見かけて、インカムで誰かに指示している内容がそれらしかったので。こういう場所って、公安警察も目をつけているでしょう」

確証はないようで少し自信なさげだが、言っていることは当たってる。

「君は…探偵さん?」
「あ、まあ…そんなところです」

名前がちらりと視線を走らせると新一が肩を貸す毛利はすでに鼻提灯を作っていて、蘭は新一の話が終わるのを待っているのか少し離れて携帯をいじっている。できた子だ。

「一つ忠告しておくけど…あまりなんでもかんでも首を突っ込まない方がいいよ」
「え?」
「それだけだから。じゃあね」

あっさり背を向けた名前の背中に新一の視線を感じるが、彼女は振り向かない。

ここで話せば彼が縮んでしまうのを防げるのかもしれない。しかしあいにく、彼女にそれをするつもりはない。
彼はコナンになったからこそ危険を冒して組織に立ち向かったのだろうし、大人として情けないが彼の頭脳なしで組織に対抗できるとは思えないからだ。

(ごめんね新一くん。また来年会おうね―――コナンくん)

名前は心の中にじわりと滲んだ罪悪感を見なかったことにした。

そしてふと目線を上げたところで、彼女は部下のいる桜の木越しにその光景を目撃してしまう。

(……ベルモットと、バーボン)

サングラスをかけてはいるが、あの艶やかなブロンドは彼女だろう。
ベルモットは寄り添うように彼の腕に絡みつき、彼もそれを優しく見つめている。二人はそのまま歩いてどこかへ行ってしまった。

花見会場は後ろ暗い取引の現場になりやすい。それはそのまま彼らにとっても使い勝手のいい場所ということだ。
もちろん、それも彼の仕事なのだということはわかっている。先程のやりとりが二人の演技だということも。でも―――

「えっ、苗字さん?」

戻ってくるなり新しいビールを開けて一気に飲み干した名前に、部下が戸惑ったような声を上げる。

「大丈夫、酔わないから」
「は、はぁ……」

(私は外でなかなか会えないのに)

仕事なのだから、名前が彼にとやかく言うことはない。それでもヤケ酒くらいは許してほしいものだ。

(やっぱり新一くんのせいだ)

この日この場所で起こったトラブル全てを新一のせいにしそうな勢いで、彼女はこっそり八つ当たりした。


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