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2月5日。
名前はおさげの女子大生姿で偶然を装って高木に接触し、彼の隙をついてボールペンをすり替えた。これで当日、発信器の電池が切れる心配はなくなった。

2月6日。
名前は部下に、伊達と高木が追う事件について情報を得るよう求めた。一時間ほどで折り返しがあり、彼らが追っているのがとある詐欺師だということがわかる。ただしその詐欺師は人を殺しているらしく、令状は殺人で請求されていた。

(……警視庁から動いてない)

張り込み場所の絞り込みをしようと発信器を起動するが、いくら待っても警視庁から動く様子がない。時間はまだ昼だ。まさかボールペンを置いて捜査に出てしまったのだろうか。
様子を見に行くことにした名前は、目立たないOL姿に変装した。

霞が関に向かい、警視庁が見える位置で待機すると、ようやく発信器に動きがあった。単に庁舎内にいただけのようで、伊達と高木が庁舎から連れ立って出てくるのが視認できる。

名前はあえて彼らとすれ違うよう、同じ通りを反対方向に向かって歩く。

「……いいか?今日こそ押さえるぞ!」
「はいっ!また張り込みですね!」

伊達の口ぶりからして、詐欺師の居場所に目星はついているようだ。このまま彼らを追っていけば張り込み場所も明らかになるだろう。

名前はさりげなく踵を返し、彼らが視界に入らない距離を保ちつつ、発信器の反応を確かめながら二人を追う。
さすがの伊達も張り込み場所の近くまでは車で向かうだろう。名前が通り沿いに待機するタクシーに乗り込んだと同時に、予想通り発信器の移動速度がグンと増した。

発信器の移動速度がまた落ちたところでタクシーを降り、徒歩で移動しているだろう彼らを探す。

(……いた)

移動する彼らを追うと、二人が張り込み場所に選んだのは住宅街の中、あるマンションが見える位置だった。どうやらそこが詐欺師の居場所らしい。

(でも、多分ここは事故現場じゃない)

住宅が密集するこの辺りは道が入り組んでいる上に、どれもセンターラインすらない細い道だ。伊達が逃げられないほどのスピードはそもそも出せない。

彼らが乗ってきた車は大通りに路駐しているようだし、詐欺師を応援の警察官に引き渡した後、大通りに出たところで事故に遭ったと考えるのが自然だろう。

名前は実際にその道を歩きながら、彼らの行動をシミュレーションする。彼らが通るだろうルートで大通りに出ると、左に少し行ったところに一台のセダンが路駐されているのが見える。

(ここからあの車に向かおうとすると……暴走車は右からか)

つまり暴走車が歩道に突っ込む形で起きた事故だろう。それがわかれば、次に彼女がすることは決まっていた。




***




翌日、2月7日未明。
名前は彼らの車から離れた場所で、路側帯に停めたバイクにまたがって軍用の双眼鏡を覗き込んでいた。

彼女がまたがっているバイクは、普段乗っている愛車ではない。協力者に頼んで調達してもらった、明日にはスクラップ工場で鉄屑となる予定の「足のつかないバイク」だ。
服装も普段のバイクウェアではなくジャケットにジーンズ。顔ももちろん変装した上で、フルフェイスではなくハーフメットをかぶっていた。

そのまま数時間待っていると、サイレンを消したパトカーが続々と集まってくるのが双眼鏡越しに見える。そろそろ詐欺師を引き渡す頃だろうか。時刻は午前5時だ。辺りはまだ薄暗い。

少し待ってから双眼鏡を仕舞うと、名前はバイクを発進させてすぐに中央分離帯の合間を抜け、Uターンした。
すでにかなりの距離があった事故予定地点から、さらに遠ざかる。すると反対車線をこちらに向かってくる、どこか様子のおかしい一台の車を発見した。

(……あれか?)

すれ違いざま、ドライバーの様子を横目で確認する。名前には、その男がうつらうつらと舟をこいでいるのがスローモーションのように見えた。

(―――来た!)

再び中央分離帯の合間を抜けてUターンした名前は、グッとアクセルを握り込んでその車に接近する。路側帯を走行しながらあっという間に横に並び、車体にバイクが接しないよう注意しながら助手席側の窓を強く叩く。

(ダメだ、起きない)

ウエストにつけたバッグからレスキューハンマーを取り出すと、彼女は迷わずそれを振り上げた。ガシャンと耳障りな音を立てて割れた窓に腕を突っ込み、ロックを解除する。なんとかドアを開けると、バイクを乗り捨ててそこに体を滑り込ませた。

背後でバイクが転倒する音を聞きながら、運転席側に身を乗り出した名前がハンドルを握ってブレーキを踏み込む。しかし男の体が邪魔して思うように強く踏めない。

「……えっ、あ!?な、なんだあんた!!」
「死にたくなかったら足を上げろ!」

目を覚ました男の足はまだアクセルを踏み込んだままだ。しかもパニックを起こしているせいで逆に強くハンドルを握り込んでしまい、無意識に名前の力に抵抗しようとしてくる。

このまま左にハンドルを切られたら、歩道に突っ込んでしまう。そうしたら終わりだ。
優しく言い聞かせる時間なんてなかった。

「人が死ぬぞ!」
「ヒッ!?」

男の力が一瞬緩んだ隙に、名前は全力でハンドルを右に切った。隣の車線を突っ切って中央分離帯に接触した車は、バンパーをひしゃげさせながらようやく静止した。衝撃で作動したエアバッグを見ながら、居眠り運転の男は呆然とした表情を浮かべている。

サイドブレーキを引いた名前が開きっぱなしだった助手席のドアから降りると、一部始終を目撃していたらしい伊達と高木が駆け寄ってくる。

「だ、大丈夫ですか!?」

名前に声をかけたのは高木だ。伊達は運転席側に回り込み、シートベルトを外して男に声をかけている。

「あ、私は大丈夫です。ただ彼が強く頭を打っているかもしれなくて……あちらの刑事さんにも伝えていただけますか?救急車も呼ばないと」

ハーフメットを外しながら車から降りてきた女はさぞ怪しいだろう。しかし高木はそこまで思い至らなかったようで、名前の言葉にハッとする。

「…わ、わかりました!」

高木も運転席側に回ったのを見て、名前は急いでその場を離れた。大通りから一度住宅街に入り、走って迂回しながら再度大通りに出る。予測通り、目の前には乗り捨てたバイクが縁石に後輪を乗り上げる形で倒れている。
それを起こし、名前はその場を走り去った。




***




自宅マンションから少し離れたところにバイクを停めた名前は、協力者にその回収を依頼する。
それから駐車場内のドアを通って、彼女はようやく自室へと戻ってきた。リビングの壁に手をつき、詰めていた息を長く吐き出す。

(…これで、全部終わったんだよね)

この後のことはわからない。それでも、訪れるはずだった確実な死は避けられたはずだ。

「…よかっ、」

カクン、と膝が折れ、床に両膝をついてしまう。さすがに気が抜けたか。

(……あれ?)

また立ち上がろうと思っても足に力が入らない。そのままぺたりと腰が落ち、座り込んでしまった。

(腰、抜けた?珍しい)

よほど緊張していたのだろうか。自分ではわからないものだな、とどこか他人事のように思った。

(……零くんの声が聞きたい)

ウエストのバッグからスマートフォンを取り出す。彼の声が聞けたら、きっと何もかも大丈夫だと思えるだろう。何も伝えることはできなくても、ただ彼の存在をそばに感じたい。

指先が彼の連絡先を呼び出す。そして発信しようとしたところで、不意に手の力が抜けてしまった。

(……え?)

ごとり、と音を立てて床に落ちたスマートフォンを呆然と眺める。

さっきから一体どうしたというのだろう。全部終わって気が抜けたにしても、ちょっとひどすぎやしないか。しっかりしろ自分。

指先をぼんやり眺めていた名前だったが、前触れなく視界がぐらりと揺れる。あ、倒れる。脱力する体を意識する間もなく、座り込んでいた体が左側に傾いた。

(なんで)

そのままどさりと倒れ込んだ名前は、その体勢のまま目を瞬かせる。

これは、なんだ?指先も動かなくなった。気を付けていないと息が止まってしまいそうな錯覚すら覚える。

(……零くん)

まだ声が聞けてない。あの深みのある声でお疲れ様と言ってもらえたら、きっとよく眠れる。

ああ、ハロにも会いたい。ふかふかの体を抱き締めたい。ハロと彼をまとめて抱き締めるのもいい。そういえばそれと同じことを海でされたっけ。あの時彼は、幸せだとため息混じりに言ってくれた。

彼が幸せかどうか何度だって確かめたい。願いが叶ったと実感できたら、それを教えるという約束だってある。死ぬまでにはきっと叶うはずだって、そう思ったのは自分だ。

…それから、彼の願い事も聞かなくちゃ。あの日神社で何を願ったのか、それが叶ったら教えてもらう約束だ。教えてもらうためにも、彼にはその願いを叶えてもらわなければいけない。

それから、それから……



―――会いたい。



「……れい、くん」



ブツリと電源を落とされたかのように、名前の意識はそこで途切れた。


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