5-9
「次に、ヒロの件も確認しておきたい」
「え?俺?」
「ああ。あの…FBIに助けられた時の話だ」
言いながら零の眉間に皺が寄る。嫌な顔を思い出してしまった。
「FBI?」
「あー、俺仕事でちょっと死にかけて、居合わせたFBIの人に助けてもらったんだけど…。そこにもう一人、女の人もいて」
「もしかしてそれも名前さんだったとかいうオチ?」
「いや違う違う、全然別の人。でも訳アリとか言われて名前も聞けなくて」
お礼も言えなかったんだよなぁ、と続ける諸伏に、零が「ヒロ」と話しかける。
「言っただろう。彼女の特技は変装だと」
「え?」
今この場で「彼女」と称されるのは一人しかいない。
「いや、ゼロ、え?まさか」
嘘だろ?と目を丸くする諸伏を見て、零は一つため息をついた。
「ヒロにも言っていなかったが、実はあの時僕はその女性に一度退けられている」
これには4人全員目を剥いた。
「え?」
「はっ?」
「マジで?」
「このゴリラが?」
口々に言う面々に、零はコホンと咳払いをする。
あの時はただやりづらいと感じただけだったが、今の零ならあれがキュラソーを模した動きだったということがよくわかる。変装が得意で、零やキュラソーの動きをよく知る人物。浮かび上がるのは一人の女性だ。
(ただ、あの時まだ彼女とキュラソーに面識はなかったはず)
一つの疑問は残るものの、それ以外の状況は全てあの女性が名前であったことを裏付けていた。
「何より、あのFBIと彼女は以前からの知り合いだ」
確か外事課時代にアメリカで知り合ったのだと聞いている。これはあの男からも聞いた情報だから確かだろう。
「マジかよ…。俺、名前さんに助けられたのか」
諸伏の脳裏に当時の状況が浮かぶ。組織向けに偽りのシナリオを作って、その通りにカーチェイスや車の水没を演出してみせた彼女。
身元不明死体発見という偽の報道をするよう指示したのは、公安の圧力があればそれが可能だということを知っていたからだろうか。
「つーことは、俺とハギと諸伏は名前さんに命を救われてんのか」
口角を上げながら可笑しそうに松田が言う。「やべーなあの人、女神なの?」と脱力したように呟くのは萩原だ。
「…おそらく三人だけじゃない」
躊躇いがちに零が再び口を開くと、視線が彼に集中する。
ここまでの推理には自信があった零だが、これから言おうとしていることはただの推測でしかない。
「伊達」
「おう」
名前を呼ばれた伊達は、次は自分だとわかっていたのだろう。返事をした後、ポリポリと頭を掻いた。
「あー、でも俺は心当たりねぇぞ?」
「なんかねーの?美女に助けられた心当たり」
「だからねぇって」
本当に思い当たる節がないのだろう。しかし零の脳裏には、彼女が言ったある言葉が思い起こされていた。
「…実は、米花中央病院の爆弾解体中に、名前さんから電話があったんだ」
呟くように話し始めた零に、彼らが口を閉ざして零を見る。
「その中に、伊達への伝言もあった」
「俺に?」
「ああ。“張り込み明けも家に帰るまで気を抜くな”―――この言葉に心当たりは?」
それは、結局伊達に伝えることはなかった伝言だった。
「張り込み…」
数秒考え込んで、伊達がハッと顔を上げる。
「もしかして、あれか?」
「話してくれないか」
「…ああ、あれは―――」
促す零に、伊達が話し始める。
二年前の冬、張り込み明けだった伊達は、すぐ近くで起きた乗用車の単独事故の処理をしたらしい。
「ドライバーの居眠り運転だったんだが、助手席側の窓が割れてドアは開きっぱなしで、同乗者もいてな。その同乗者は救急車を呼んでる間にいなくなっちまって……事情聴取でドライバーが言うには、「気付いたら知らない女性がハンドルを握ってた」っつーことらしいんだが」
状況からして、走行中の暴走車になんらかの方法で女性が乗り込んだのだろう。そして事故の処理中に姿を消した。
「俺はちょうど落とした手帳を拾おうとしてて、顔を上げたら車が急カーブして中央分離帯に突っ込むところだったんだ。車が歩道に乗り上げて来てたら危なかっただろうな」
その女性が中央分離帯に向けてハンドルを切ったのだろうが、それがなければ一体どうなっていたのか。その場の全員が最悪の状況を容易に想像できた。
「じゃあ、それも名前さんだったってことか?」
「確証はないが、彼女には優秀な協力者も多い。刑事部の捜査状況や捜査員の居所くらい簡単に知れただろうな」
零がそう言うと、その場に一瞬沈黙が落ちる。それを破ったのは、思いついたように声を上げた萩原だった。
「じゃあ名前さんの「言えない目的」ってのは俺たち全員を助けることだったってわけか」
「その可能性が高いな」
「でもよー、伊達の伝言にしても俺の時のジャマーにしても、起こることが事前にわかってないと無理だろ?それだとまるで未来がわかってたみた…い……」
自分に全員からの視線が集中していることに気付き、萩原の語尾が小さくなる。
「え、ごめん変なこと言ったわ」
「いや……」
今のナシ、と撤回する萩原に、零は再び顎に手をやって考え込んだ。
「まぁなんにしろ、答え合わせのしがいがありそうな話じゃねーか」
すっかり冷めてしまったコーヒーを口に運びながら、松田は終始楽しそうだ。
「俺は次会ったら全部聞き出すって決めてたからな」
「そうだな。後は彼女に直接聞こう」
零も意を決したように顔を上げる。
「でも、名前さんは一人で抱えてたいって言ってたんだろ?」
気にはなるけど、無理に暴くのは…と諸伏が言い淀む。
「確かにそうだが、ここまで気付かせてしまったのは彼女の落ち度でもある。そこを突いて何が悪い」
「うわ」
「こわっ」
「鬼だな」
「まさに鬼畜」
「何とでも言え。これでも必死なんだ」
飛び交う非難の声に零はため息をつく。というか松田、言い出したのはお前だ。
「彼女は元々諜報の人間だ。揺さぶりにも強いし、本気で隠されてしまえば手も足も出ない。このチャンスを逃せば、もう二度と真実を知ることはできないだろう」
零の言葉に、場が再び静まり返る。
「幸いというかなんというか、彼女は二日前から少し様子がおかしいんだ」
言いながら、テーブルを離れた零が彼女の衣装部屋のドアを開けた。
「なになに?」
「うわっ」
「それが衣装部屋か?」
「なんだこれ、すげぇ」
集まって覗き込む彼らに「触るなよ、すぐバレるから」と忠告する。
「彼女はここにある物を全て把握している。そんな彼女が、自分の部屋に置いたボードゲームの場所を忘れるなんてありえない」
そして二日前、目を覚ました彼女が零にしたおかしな質問の数々を思い出す。
「彼女に何が起こっているのかはわからない。それでも彼女を揺さぶるなら今しかないと思ってる」
零は4人の顔を見回した。
「全部、確かめよう」
***
「ただいまー」
「おかえり、名前さん」
帰宅した名前を零が出迎える。彼女は右手でハロを抱き、左手に買い物袋を提げていた。
「さすがに魔王と村尾はなかったよ。店員さんにおすすめの芋をいくつか選んでもらったけど、それでよかった?」
「ああ、十分だ。ありがとう」
袋を受け取りながら笑いかけると、名前はリビングの方に目を向ける。
「なんか盛り上がってるね?」
「みんな過去に女性に命を救われたことがあるっていう話をしてて」
「へえ」
彼女の反応を窺うが、いつもと全く変わらなかった。まぁ彼女が本気で表情を隠してしまったら、それを読み取る術はないのだが。
「零くん、楽しい?」
「ああ、こうやって集まるのも警察学校以来だから。やっぱり楽しいな」
「そっか」
零の言葉をゆっくり噛み締めるように、名前が目を伏せる。
腕の中のハロを一撫でしてからこちらを見たその表情は、あまりにも優しかった。
「よかった」
その柔らかな表情に、零はぎゅっと胸が詰まるのを感じた。彼女が零に向ける表情はいつも優しく、愛情に満ちている。
その表情の裏にこれまでどれだけの物を抱えていたのかと思うと苦しくもなる。
「…名前さん。僕たち、名前さんに聞きたいことがあるんだ」
「え?」
彼女をリビングに促すと、一斉に自分に向いた視線に彼女が目を瞬かせた。
「え、なに」
「今から少し、答え合わせをさせてくれ」
そう言って笑いかけると、名前はぽかんとした表情のまま零を見上げる。
それに零は思わず噴き出しそうになるが、グッと堪える。彼女にはこれから始まる追及を覚悟してもらわなければならない。
そうだ、これ以上はもう騙されてやらない。一人で抱え込ませもしない。
伊達班の5人が集まった時の厄介ぶりを、彼女にもう一度思い出させてあげよう。
もう、ただ守られるだけの存在ではないのだから。
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