1-6
警部に昇進して収入も上がった名前は、少しずつ貯蓄も増え、潜入用のカバーも安定して作れるようになってきていた。
今夜彼女が選んだのは、ワンショルダーのタイトなミニドレスに身を包んだ妖艶な女性のカバーだ。緩く巻いた亜麻色の髪を左サイドに流し、白い項を露わにしている。
彼女は手元のグラスを揺らしながら、少し離れたところにいるアジア系の男に視線を向ける。かといって男に何をするわけでもない。国内にいる外国人スパイの把握や監視も外事課の仕事だった。
(仕事だから仕方ないけど暇だ)
手持ち無沙汰な彼女が取り出したスマートフォンには、警察学校の面々からのメールが届いていた。週末しか連絡が取れない彼らは、律儀にも近況報告のメールをくれるのだ。
(乗用車を引きずる暴走トラックを止めるために教官の車を半壊させた…?ちょっと意味がよくわからない)
どうやら相変わらず無茶をしているようだ。若いってすごい。これだけ無茶をされては今後の規則も厳しくなるだろうし、彼らの後輩が気の毒でもある。
彼らの中でも萩原や諸伏はわりと飲みや食事に誘ってくれるが、名前に休日はほとんどない。毎回タイミングが合うわけでもなく、今回も残念ながら断らざるを得なかった。
(また誘ってね、と)
萩原は社交辞令もあるだろうが、諸伏は初対面の状況が状況だったからか頼りになる先輩として慕ってくれているらしい。すぐに残念がるメールが返ってきた。
もちろん名前も本来の目的は忘れていない。数少ない休日や仕事終わりなどで時間を作っては警察学校の近くへと出向き、彼らとの接触を続けていた。
***
「よっ」
路肩に停めたバイクにまたがりながら、先輩からのメールを確認していた名前はその声に顔を上げた。
「松田くん」
「いいの乗ってんじゃん」
彼の視線の先は名前の愛車だ。それに気づいた名前は、ふと未来で零に聞いた話を思い出した。彼の分解癖の話だ。
(バ、バラされる…?)
ちょっとドキドキする名前だったが、近づいてきた松田はバイクの傍らにしゃがみ込んで車体を一撫ですると名前を見上げた。
「大事に乗ってんな」
「あ、わかる?よかった」
松田くんがそう言ってくれたら安心だよ、と名前は顔を綻ばせる。愛車をバラされずに済みそうだ。
「陣平でいーよ」
立ち上がりながら彼がそう言う。
「わかった、陣平」
「おー」
相変わらずダルそうな態度ではあるが、少しは距離が縮まってきているようだ。
「そういえば明日合コンなんだっけ?頑張ってね」
「なんで知って……ハギか」
「研二くんが結局一番モテそう」
「うるせーよ」
その日以降、なぜか彼から来るメールでの呼び方が「あんた」から「名前さん」に変わった。
(バイク好きなのかな)
***
珍しく徒歩で移動していた名前は、歩道橋の少し手前で足を止めた。歩道橋の階段前でしゃがみ込み、高齢の女性に背中を向けている男を発見したからだ。どうやら女性を背負ってあげようとしているらしい。
名前は二人に近づくと、傍らに置いてあった女性のものだろう荷物を持ち上げた。女性を背負った男がハッとこちらを向く。伊達だ。
「よかったら手伝うよ」
「苗字さん」
名前は伊達に背負われた女性にも声をかけ、自分が荷物を運んでいいか確認した。
「いいのかい?悪いね」
「いえ、お気になさらず」
「ありがとうございます、苗字さん」
「いえいえ」
並んで階段を上りながら、名前は伊達に話しかける。
「今時珍しい好青年がいるなって思ったら、伊達くんだったよ」
「いやぁ…たまたまですよ」
「伊達くんはいい警察官になるね」
その言葉に伊達は目を瞬かせたあと、照れたように「そりゃどうも」と短く呟いた。
「いい警察官っていうのは、一人一人に寄り添える人だと思うの」
名前たち公安は人より国を守る存在だ。時には国家の利益のために個人を見捨てざるを得ないこともある。国民からしたら、必ずしもいい警察官とは言えないだろう。
「伊達くんみたいな警察官がいてくれたら、先輩としても心強いよ」
そう言って笑いかければ、伊達は「恐縮です」と言いながらも嬉しそうにニカッと笑った。
彼は未来でも零のことを気にかけていたようだし、面倒見がよくて人情に厚い性格はこの頃から変わらないようだ。つくづく、零は友人に恵まれている。
***
「本当に大丈夫か?悪かったな」
「いえ、問題ありません」
その日、名前は珍しく負傷した。先輩を庇い、重い蹴りを左腕に受けたのだ。
相手が安全靴を履いていたことも災いし、骨折こそしていないものの、左の前腕が青紫色に変色してしまっていた。
「ちゃんと手当はしろよ」
「了解しました」
先輩と別れ、ドラッグストアで適当に湿布でも買おうと歩き始める。
(油断したな…いや私じゃなくて先輩が)
心の中で軽く毒づいていると、背後から「名前さん?」と聞き覚えのある声がした。
「研二くん」
「やっぱり名前さんじゃん」
足を止めた彼女に、片手を上げて萩原が近づいてくる。ジャケットこそ着用しているものの、その軽い雰囲気は隠し切れていない。
「仕事帰り?」
「うん。買い物して帰ろうかなって」
「付き合っていい?」
「いいけど…用事は?」
問いかける名前に、「ブラブラしたくて出てきただけ」と笑う。申請書には一体何と書いたのだろうか。
「どこ行くの?」
「ドラッグストア」
「怪我?」
「ううん、日用品とか」
さらっと嘘をつき、並んで歩く。
目当ての店に着き、名前は買い物カゴを右手に持った。日用品を買うと言ってしまった手前、普通の買い物もしておこう。
痛みを表情に出さないようにしながら、左手でポンポンとカゴに放り込んでいく。ふと、隣で他愛もない会話を楽しんでいた萩原が口を噤んだ。
「研二くん?」
笑顔の消えた萩原が、名前に向かって手を伸ばす。
「何………いったーい!!」
あろうことか、彼は名前の左腕をグッと掴んだのだ。どぎつい色に変色している腕を鷲掴まれ、彼女は思わず悲鳴に近い声を上げた。
(デジャブ!!)
名前は普段人前で声を上げて痛がるようなことはない。思わず、銃で撃たれた体を零に抱き締められた時のことを思い出した。
萩原は構わず彼女のスーツの袖を捲ると、そこから見える肌の色に「やっぱり…」と眉根を寄せる。
「カゴは俺が持つから、名前さんは横から指示出しね」
ひょいっと買い物カゴを取り上げられ、名前は諦めて彼に従った。
「研二くんって本当に人をよく見てるよね…」
「あ、わかっちゃう?俺の魅力」
言われた物をカゴに入れながら、萩原がへらっと笑う。
「わかるわかる。ホントいい子」
「あー子供扱いだ」
「男扱いは他の女の子に任せとくね」
「うわ、ひでぇ」
結局袋詰めまで彼がやり、店の駐車場の隅で湿布も貼ってもらった。
「そうだ、爆処行き決めたんだって?」
「陣平ちゃんに聞いた?」
「うん。防護服はちゃんと着るんだよ」
「そりゃ着るっしょ。着ないなんてこえーよ」
声を上げて笑う萩原を、名前は複雑な思いで見つめた。
「…だよね。慣れてきても怠っちゃだめだからね」
「はいはい」
また子供扱いしてる、とでも思っているのだろう。正直こいつが一番厄介だな、と名前は思った。
prev|
next
back