ヒーローの世界-01


「結さん、結さん、起きてください」

どこか疲れたような声色で起こしてきた零に、結はバッと体を起こした。

「…えっ、また!?」

彼にこんな風に起こされるのは三度目だ。今度はなんだ。どこに来た。
と、結は目の前の零を見て「ふわっ」と目を輝かせた。

「また若返ってる…!可愛いー!」

ホグワーツを卒業して数年、とっくに成人していたはずの零がまだ10代半ばくらいの少年に若返っている。かわいい。この不思議な旅の醍醐味はもはやここにあるのかもしれない、と結は寝起きの頭で思った。

「……前回同様、結さんもですよ」
「あ、本当だ」
「それに今回、ちょっと様子が違うんです」

来てください、と促されて寝室を出る。

「え?何これ?」

ダイニングテーブルの上に置かれているものを見て、思わず間抜けな声が出た。

「住基カードと住民票、戸籍謄本、中学の学生証ですね」
「え、至れり尽くせりすぎる…?」
「ここに疑問を持つのも不毛なので、早々に状況を把握しましょう。この辺りはさっき一通り確認したので説明します」

わかった、と頷いて椅子に座る。

「まず、スマホの連絡先は相変わらずお互いにしか繋がりませんが、今回はすでにネットにも繋がっています」
「お、それは助かるね」
「ええ。それも踏まえて説明しますね」

彼の説明によると結と零は中学三年生で、結はここでも長月姓だった。
二人は同じ孤児院で育ち、去年からここで二人暮らしをしている。そしてこのマンションの名義人と二人の後見人は孤児院の代表者…ということになっているらしい。
彼はすでにその孤児院への電話も済ませていた。さすが抜け目ない。

それから零は自室から持ってきたという、この部屋の売買契約書をテーブルに広げた。確かに零だったはずの名義人が見知らぬ男性に変わっている。

「複雑……」

それを見た結は思わず微妙な気持ちになった。

「…まあ、それはいいとして」

零もまた複雑そうな表情で続けた。

「この世界で一番重要なのがここです」

戸籍謄本のある箇所を指差した零に、結もそこを注視する。

「…個性?」

ええ、と零が頷く。個性欄には、二人とも"無個性"と記載されていた。
なんとも乱暴な言葉だが、無個性がいるということは有個性もいるわけで。戸籍に載るほどなのだからただの悪口ではないのだろう。

「個性についてはネットで調べましたが、なんというか…直接見てもらった方が早いかもしれません」

そう言った零が立ち上がり、掃き出し窓を開けてベランダに出る。
結もそれに続き、外の景色を眺めて絶句した。

マンション前の通りには大小様々な人間が闊歩していた。いや、大小どころじゃない。顔が動物だったり、手足が何本もあったり、羽が生えていたり───

「…なるほど、個性ね」

結と零は、文字通りの超人社会にやって来たのだった。




***




そこは世界総人口の約八割がなんらかの個性を持つ超人社会だ。爆発的に増加した犯罪件数に対応するため、「ヒーロー」という職業が公的職種として脚光を浴びているらしい。

結と零は、早々に個性届の修正申請をした。「ヒーローが公務員」という響きに零がごくわずかな反応を示したのを、結が見逃さなかったためだ。
二人はヒーローを目指すべく、名門である雄英高校を受験し、そして合格した。

念能力を考慮して、結の個性は「変化」とした。変身じゃなく変化としたのは、自分の身体能力も変化させられるという前提にすることで、高すぎる身体能力を誤魔化すためだ。零はそのままパワー増強系の個性として申請した。

そして二人のゴールはあくまで雄英卒業後、二人でヒーロー事務所を構えること。有名事務所にスカウトされることにも、高校で優秀な成績を残して注目を浴びることにも興味はない。
むしろ、戦闘能力がカンストしている二人がパワーバランスを崩してしまっては、子供たちの将来に悪影響を及ぼしかねない。その辺りは大人として上手くやらなくては。

「結さん、おはようございます」

雄英高校入学式当日。いつものように朝食の準備を終えて起こしに来た零に、結は体を起こしながらビシッと指差した。

「ハイ、減点」
「あっ」

プライドがエベレストのように高い男が、この世の終わりのような表情を浮かべて「僕としたことが」と項垂れる。

「家にいるとたまーに気が抜けるね」
「悪い……。ほら、朝食できてるぞ、結」
「はーい」

二人は同い年の高校一年生だ。敬語も敬称もなくさなければならない。零も外に出れば完璧なのだが、家ではたまに素が出てしまうようだ。

「いやあ……いいね、ブレザー」

ダイニングチェアに腰掛けながら、すでに着替えを終えている零をじっくり眺める。中学の学ランもよかったがブレザーはまた違う意味でいい。

「視線が変態くさい」
「外に出たらできないんだから許して」

そう、二人の関係は外では隠さなくてはならない。年頃の男女が二人で住んでいる以上、そういう関係であることが知られるのは不健全であるとして評価を落としかねないし、それで離れ離れにされるのも困る。

二人の関係はあくまで「幼少期から同じ孤児院で過ごしてきた幼馴染み」なのだ。

「それなら、結も早く食べて着替えておいで」
「言い方が変態くさいよ?」
「外に出たらできないからな」

ふっと笑う顔は相変わらずおそろしく整っている。これは雄英でもモテるだろう。

「…あークラス違うの寂しいなー」
「どうした、急に」

結はA組で、零はB組だ。ホグワーツでも同じ寮、こちらの中学でも同じクラスだったので、なにげにこの旅が始まってから初めて離れるのではないだろうか。

「だって結婚はまたなかったことになるしクラスは離れるし、寂しくない?」

味噌汁を手にブーたれる結に、零が目を瞬かせる。それから彼女の両手を外側から包み込んで、穏やかに笑いかけた。

「大丈夫。何度でも結婚しよう」

その言葉に固まった結だったが、少ししてじわじわと実感が追い付いてくる。

「……うっ、うわあ…」
「ん?」
「朝からシナプスが焼き切れそうなんだけど…」
「なんだそれ」

可笑しそうに笑う零を見ながら、結もまた吹き出した。


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