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 毎週金曜日に届くDMを手に、土曜日の午後にポアロに通う。それが名前の新しいルーティンになった。
 そしてそのDMを差し出すと安室に素早くかすめ取られ、会計時には必ず安室がレジに立つというのももはやお約束だ。
 ポアロでよく会う小学生や女子高生とも、会えば話すくらいには顔馴染みになった。

「名前さん、この後のご予定は?」

 カウンター越しの安室に問いかけられ、「特にないです」と返す。
 いつもなら土日の夜は婚活関係の予定を詰め込んでいるが、最近あまりにも瞬殺続きだったので今週はお休みだ。タフな名前もちょっと堪えた。

「僕ももうすぐ上がりなので、少し待っていてもらえませんか?よかったら送りますよ」

 その言葉に返事をする前に、安室の背後で梓がハッと口元を押さえるのが見えた。彼女はまだ安室が名前に好意を抱いていると思ってるらしい。

「……ありがとうございます。じゃあ、お願いしようかな」

 周囲の反応が若干気まずいが、名前にとって気心知れた友人と過ごせる時間は大変貴重だ。お言葉に甘えることにして、安室がバイトを終えると一緒に店を出た。

「うわ、カッコいい車ですね」

 駐車場に着き、彼の車を見た名前が目を丸くする。視線の先にあるのは真っ白なスポーツカー、マツダRX-7 FD3Sだ。名前が安室の愛車を見るのはこれが初めてだった。

「ありがとうございます」

 どうぞ、と自然な流れで助手席のドアを開けた安室にお礼を言って車内に乗り込む。

(すっかりスマートな男になって……)

 もはや何目線かはわからないが、名前はいちいち感心していた。
 運転は滑らかだし、車内での会話運びも上品で丁寧だ。これは絶対にモテるだろう。

 降谷とのキャラクターの違いに最初は戸惑った名前だが、きっと根本的な部分は変わらないのだろうと、今では安室は安室として受け入れていた。
 もちろん「降谷くん」と呼びかけてみたい気持ちはある。でもいざそうした時に、彼がどんな反応を見せるのかが怖い。

(もし無視されたら立ち直れない)

 結局はこの不思議な関係に甘んじるほかなかった。

「そうだ名前さん。よければ今度二人で食事でもいかがですか」
「えっ」

 突然の誘いに目を瞬かせる名前。

「美味しいお店を知ってるんです。…迷惑だったかな」

 前を向いたまま苦笑した安室に、慌てて「いえ」と返す。名前はその整った横顔を見ながら口を開いた。

「お誘い嬉しいです。……でも、」
「でも?」
「あの…心配しなくても、安室さんにご迷惑をおかけするようなことはしませんよ?」

 名前の言葉に、今度は安室が「え?」と目を丸くして視線を寄越した。

「DM、送ってくれてるの安室さんですよね。それも多分、私だけに」

 毎回素早く回収されるのも、梓に会計させないのもそのためだろう。

 名前は毎週ポアロからDMが届くのも、安室がこうして自分を誘うのも、自分がまたよからぬ取引に首を突っ込まないか監視する意味合いがあるのでは、と思っている。
 悪い言い方をすれば、「公安にマークされている」状態だというのが名前の予想だ。

 そんな考えを見透かしたのか、安室が困ったように眉尻を下げた。

「弱ったな……。今のお誘いはあくまで僕個人が、あなたと一緒に過ごしたいと思ったからなんですが」

 その甘いセリフに、名前は「へっ」と声を漏らしたきり言葉を失ってしまう。

(なんて気障なことを言うんだ、降谷くん…!?)

 どこで覚えたの!?と叫び出したいのを必死で耐える。ダメだ、経験値が違いすぎる。この男が仕事で何人落としてきたかは知らないが、未だペーパードライバーの域を出ない名前には手も足も出なかった。

「あ、あの、安室さん」
「はい」
「私、DMが来なくても毎週ちゃんと通いますから。ポアロのコーヒーもケーキも、もう私の生活の一部なので」

 なんとか言い切ると、安室がまた苦笑する。

「……それはよかった。でも結局、僕はフラれちゃいましたね」
「え?」
「いえ、いいんです。食事はまた誘わせてください」
「お誘い、本気だったんですか?」

 心外だな、と薄く笑ってから、安室は「冗談で誘いませんよ」と続けた。

(冗談でっていうか、仕事の一環で誘われたかと思った)

 あまりに降谷と違いすぎるせいで、どうも穿った見方をしてしまっていたらしい。名前は反省した。

「……すみませんでした。お食事、ぜひご一緒させてください」

 まるでこちらから誘っているようで気恥ずかしい。ついつい声が小さくなってしまったが、それでも隣の彼にはしっかり届いたらしく嬉しそうに笑うのが見える。

「よかった」

 その笑い方はやっぱり降谷のそれとは全く違うが、かといって作り物にも見えなかった。




***




 その翌日の日曜日。名前は珍しく二日連続で米花町を訪れていた。
 目的地は米花百貨店で、店を出てきた彼女の両手には大きな紙袋が三つずつ提げられている。

「あ、名前さん」

 名前を呼ばれて振り向くと、そこにはポアロでたまに会う小学生の集団がいた。
 いつも明るく元気に話しかけてくれる彼らだが、正直コナン以外の子供たちはまだ顔と名前が一致しない。

「あー、コナン君と…少年探偵団のみんな」
「お買い物してきたの?」
「すげー荷物だな」

 どうやら名前の両手を塞ぐ大量の荷物に興味津々のようだ。

「職場関係のね」

 短く答えると、ふーん、とあっという間に興味が削がれたのがわかる。わかりやすい。

「みんなは?保護者の方はいないの?」

 いつも一緒にいる博士の姿は見えない。聞くと今日は子供たちだけで遊んでいるらしく、どこを探検してきただの、これからどこに行くだのと口々に教えてくれた。

「でもこの辺り車通りも多いし、治安も悪いから早めに帰るんだよ」

 はーい、といい子に返事をする子供たちの後ろで、コナンと茶髪の少女が呆れたように見守っている。むしろこの二人が保護者だろうか。

 その時、辺りを引き裂くような鋭い悲鳴が聞こえた。

「引ったくりよ!!」

 叫び声の方向を見ると、片手に高そうなハンドバッグを抱え、もう片手にナイフを持った男がこちらに向かって走ってくるのが見える。
 名前の視界の端で、コナンが舌打ちをしてベルトに手をかけるのが見えた。

「みんな、下がってて」

 名前は両手の紙袋を下ろしてから、何かしようとしていたらしいコナンの肩に手を置いて下がらせる。彼は驚いたように「名前さん!?」と声を上げた。

 勇ましい子だなぁ、と呑気に考えながら、名前は紙袋を漁って商品タグがついたままのそれを取り出す。

「えっ?」

 後ろから呆気に取られたようなコナンの声がした。

「……どけぇッ!!」

 男が突き出してきたナイフの側面に向かってそれを振り抜くと、ピコンッと場違いなほど間抜けな音が鳴る。音の出所はピコピコハンマー、いわゆるピコハンだ。

「はっ?」

 ナイフを弾き飛ばすには至らなかったが、男が大きく体勢を崩したのを見て今度は持ち手を短く持ち直す。
 そして再び振りかぶり、男のこめかみに向けてその先端を勢いよく振り抜いた。その威力にプラスチックの持ち手がベコッと折れる。

「いっ……!!」

 今度こそナイフを取り落とした男が、頭を抱えてヨロヨロとふらつく。名前はそれに近づくとピコハンを捨てて男の髪を鷲掴み、俯いた顔に膝蹴りをぶち込んだ。
 男が鼻血を噴き出して蹲ったのを確認してから、ナイフを拾った名前が後ろを振り向く。

「えっと……誰か110番してあります?」

 すっかり静まり返っていた野次馬の中から、しばらくしてぽつりぽつりと声が上がる。どうやら通報は済んでいるらしい。
 何名かの男が進み出て引ったくり犯を押さえ込むのを見つつ、名前は折りたたみ式のナイフをパチンと畳んだ。

「あの……名前さん?」
「あ、コナンくん。危ないよー子供が飛び出そうとしちゃ」

 名前が注意すると、コナンは目を丸くしたまま「う、うん」と戸惑ったように頷く。

「すっ…ごーい!」
「姉ちゃん、仮面ヤイバーみたいだったな!」
「格好いいです!」

 目を輝かせて群がってくる子供たちに、名前は「仮面ライダー?」と首を傾げた。それから歩道に転がっているピコハンを拾い、あーあとため息をつく。

「職場の懇親会用に買ったのに、また買い直さなきゃ……」

 これって経費で落ちるのだろうか?とまた貧乏くさいことを考える。そこに再びコナンが声をかけてきた。

「名前さんって、安室さんと少し前からの知り合いだって言ってたよね?」
「え?うん」

 じゃあ、バーボンって知ってる?
 そう問いかける彼の目は、メガネの反射で窺えなかった。

「バーボン?聞いたことはあるけど飲んだことはないよ」

 私お酒めちゃくちゃ弱いの、と名前が顔を顰めるのを見て、コナンがふっと肩の力を抜く。

「……ありがとう。それならいいや」
「そう?」

 背を向けたコナンの向こうで、茶髪の少女が「あの人は違うと思うわよ」と話しかけているのが見える。

(あ)

 そういえば去年ホテルで安室がバーボンとか呼ばれてたな。と思い出した名前だったが、それをコナンに告げることはしなかった。


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