19
遠くで地響きのような音が聞こえて、コナンはボールを蹴ろうとした足を止めた。
「あれは…!?」
杯戸町の方向で、土煙のようなものが濛々と上がっている。すぐさまスマートフォンを取り出すと、少年探偵団の面々もそれを覗き込んできた。
少しして、ニュース番組に速報のテロップが流れる。
「開業を控えた杯戸町のホテルで爆発……」
「江戸川くん、そこって」
「ああ、名前さんが向かった場所だ!」
コナンの言葉に、歩美らが「ええっ!?」と驚きの声を上げる。
「俺は安室さんに知らせてくる。オメーらは博士に車を出してくれるよう伝えてきてくれ!」
わかった!という力強い声を背後に聞きながら、コナンはスケボーに飛び乗ってポアロに急いだ。
「安室さん!」
乱暴に開かれたドアがいつもより耳障りな音でドアベルを鳴らす。
「あれ、コナンくん。どうしたんだい?そんなに慌てて……」
「杯戸町のホテルで爆発が起こったんだ!」
勢いのまま店内に駆け込んだコナンに、安室が手を止めて眉を顰める。
「爆発が?」
「名前さんもそこに…!」
ヒュンッと体の横を吹き抜けた風に、コナンは言葉を止めて目を丸くした。バッと振り向いて外に出ると、カウンターを飛び越えたらしい安室の姿はもう見えない。
コナンは呆気に取られている梓に簡単な説明をして、自身もまたポアロを飛び出した。
***
体が痛い。
ぼんやりとした意識の中で、名前が最初に思ったのはそれだった。
全身に打ち身のような鈍痛が走り、皮膚はヒリヒリと痛む。耳もボワンとこもった感じで違和感があるし、体は横たわっているのに頭がぐらぐらする。
「きっつ……」
かろうじて出た言葉はガラガラに枯れていた。まるで一瞬にして体中の水分が失われたような、最悪の気分だ。
「……あー…」
痛みに呻きながらのそのそと体を起こせば、何かの破片や土埃が体から滑り落ちていくのがわかる。
緩慢な動きで周囲を見渡して、思わず肺が空になりそうなほど長いため息が漏れた。
「…冗談でしょ……」
文字通り衝撃波が駆け抜けたパーティー会場は、一面が瓦礫の山だ。壁や天井は崩れ、テーブルや椅子をはじめとする調度品が無残にひしゃげた状態で散乱している。
損壊したシャンデリアが散らばる床には、今も天井からパラパラと破片が落ち続けていた。
壁に叩きつけられたらしい名前のほかにも、あちこちに倒れ込んでいる人影が見える。
名前はぐらつく視界に耐えながら立ち上がり、ドアが弾け飛んだらしい出入口から会場を出た。
一体どれだけの規模の爆発が起こったのか、廊下もまたひどい状態だった。もしかしたら複数の場所で爆発したのかもしれない。
散乱する瓦礫をまたぐようにして進むと、名前は壁際に座ったまま咳き込んでいる女性を発見した。
「あの、大丈夫ですか」
「ゲホッ、…あ」
涙目でこちらを見たのは、名前より少し若い女性だ。竣工式の受付で見た気がする。
お互いに何が起こったのかはよくわかっていないが、ひとまず落ち着くよう彼女の背をさする。
「ゴホッ…、ありがとうございます……」
「いえ」
「早く他の方も助けなきゃ……」
そう言う彼女に、名前は首を振った。
「急いでここから出た方がいいと思います」
「え?」
回らない頭を必死に動かしながら名前は続ける。
「ここは10階ですし、上にまだ40階ものフロアがあります。上がどうなってるかはわかりませんが、倒壊したらここも押し潰されます」
「あ……」
「素人が下手に救助隊の真似事をしても二次災害を招きかねませんし、ここは大人しく逃げましょう」
ひどいことを言っている自覚はあるが、そもそも自分たちが逃げられるかどうかもわからないのだ。意識のない人間のことはこの後来る救助隊に任せた方がいいだろう。
青い顔で頷いた彼女を見ながら、名前は融資の際に何度も見た見取り図を思い出していた。
「非常階段で下りましょう」
そう言って女性を誘導する。エレベーターが動いているか確認しに行くよりも、耐衝撃性に優れたドアを採用している非常階段に向かった方が確実だ。10階程度なら下りるのもそうきつくない。
「あ、よかった。非常階段は無事みたいです」
廊下の突き当たりに綺麗なままのドアが見えて、女性を振り返る。
と、その足元にビシッと大きな亀裂が走るのを見て、名前は咄嗟に彼女の手を引いた。
両手で力いっぱい引き寄せながら、遠心力を利用して後方へ放り投げる。その反動で亀裂の上に立った名前は、あっという間に崩壊した床に巻き込まれた。
落ちていく自分をスローモーションのように感じながら、名前は目を閉じる。
(……会いたかったな)
全身を強かに打ち付ける直前、彼女が思い浮かべていたのは彼らの姿だった。
***
「………」
「………」
遠くの方で誰かの話し声がする。
「………」
「………」
名前は暗闇を揺蕩う意識の端で、聞こえる声に耳を澄ませた。
「……全身の擦過傷と打撲、軽度の熱傷…あと左足首は多分骨折してる」
「頭部からの出血もある。慎重に運ぼう」
「ああ。担架がほしいな」
「上層の宿泊階ならリネン室があるだろうけど……」
「この状況では現実的じゃないな。仕方ない、左右から二人で抱えるか」
懐かしい声に誘われるようにして、名前の意識が浮上する。
一度ギュッと眉を寄せてから瞼を上げると、薄く開いた視界に二つの人影が入り込んだ。
「あ、苗字さん。目が覚めた?」
「大丈夫か。よく頑張ったな」
気遣わしげに覗き込んでくるのは、名前が会いたくて会いたくて仕方がなかった二人だ。
これは夢だろうか。そう思いながらも、名前の口は二人の名前を呼んでいた。
「……降谷くん……諸伏、くん……」
名前を呼ばれ、降谷が「よし」と頷く。
「意識レベルは大丈夫そうだ。倒壊の危険があるし急ぐぞ」
「オッケー」
名前を運ぶため、二人が彼女の両脇にしゃがみ込む。首にかけようと彼女の腕を持ち上げたところで、名前の目尻からぽろりと涙が伝った。
それに気付いた二人は一度腕を下ろし、再び名前の顔を覗き込む。
「名前さん、大丈夫だから」
「痛むだろうけど、すぐにでもここを離れないと。もう少しだけ我慢できる?」
仰向けの名前に目線を合わせ、優しく問いかけてくるのは諸伏だ。
「ん……」
頷けないので、目を伏せて合図する。その拍子にまた涙が零れた。
「あと少しの辛抱だ。頑張れ」
「大丈夫。絶対に助けるよ」
名前を安心させるためか、降谷も諸伏も柔らかい声色で言い聞かせるように話す。それがさらに彼女の涙腺を刺激した。
夢じゃない。これは現実だ。今、手の届くところに二人がいる。
「……ねえ」
「ん?…どうした?」
名前が痛む両腕をなんとか持ち上げると、二人はそれを見守りながら続く言葉を待っていた。
「……ぎゅってさせて」
その言葉に二人がピシリと固まった。
それから顔を見合わせた二人が、仕方ないな、という表情を浮かべて上体を屈め、名前の両腕にそれぞれの頭部を寄せる。
力の入らない腕で二人の頭をそっと抱き締めながら、名前は胸が鷲掴まれたように苦しくなるのを感じた。そして喉がぎゅうっと詰まって、目頭がじわりと熱くなる。
「……ううー…っ」
このまま外へ出たら、きっとまたすぐ会えなくなってしまう。ぼろぼろと涙を零しながら、名前は二人の体温を必死に記憶する。
たった10秒程度の短いハグだったが、名前にとっては何年も待ち望んでいた瞬間だった。
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