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 名前が病院のベッドで目覚めた時には、爆発からすでに24時間以上が経過していた。

 頭を強く打っていた彼女だが、起きて早々X線やCT、MRIなどの検査が行われ、幸い異常は見つからなかった。
 それからの三日間は面会制限が掛かり、親族である母親のみ面会が許された。

「来てくれたんだ、お母さん」
「当たり前じゃない!爆破事件に巻き込まれただなんて、災難だったわね」

 概要しか聞かされていないが、爆発はどうやら竣工式に出席した某党派の議員たちを狙った一種のテロ行為だったらしい。
 死傷者は出たものの、開業前ということで被害者はホテルと竣工式の関係者のみ。三棟50階建てのホテルがギリギリ倒壊せずに済んだのも不幸中の幸いだった。
 ただしホテルとしてはもう使えないので、開業前ではあるが後日解体される予定だ。融資した東都銀行としても大損である。

「しばらく暇でしょう。ハイお土産」

 そう言って母親が置いていったのは大量の釣書だ。大怪我をした娘に即見合いとは鬼すぎる。名前はそれを開かないまま、そっとキャビネットに仕舞った。

 その後面会制限が解けると同僚や蘭たち、少年探偵団の面々など、知り合いが続々と見舞いに来てくれた。
 頭と足を怪我しているため車椅子は必要だが、病院内を動き回ることもできる。事件の被害者たちで病床不足なので、頭の怪我が治ったら早々に退院できるだろう。

(確かに、暇だなぁ)

 しばらくすると見舞客も減り、名前は暇を持て余し始める。
 その間、降谷や諸伏はもちろん現れなかったし、降谷が安室として彼女の前に姿を見せることもなかった。




***




「あれ、コナンくん。一人で来たの?」

 適当に買った雑誌を眺める名前のもとにやってきたのは、コナンだった。

「ううん、駐車場で阿笠博士が待ってくれてるよ」
「そうなんだ」

 じゃあどうして博士と一緒に来ないんだろう、と首を傾げる名前だったが、それを聞く前にコナンが答えてくれた。

「ちょっと、名前さんと二人で話したいことがあって」
「ふーん?」

 ベッド脇に備えられた椅子に座ったコナンに、名前が「そういえば」と声をかける。

「お手柄だったんだってね、コナンくん」
「え?」
「犯人を逮捕できたの、コナンくんのおかげだって聞いたよ」

 ホテルを爆破した犯人の正体と居場所を突き止めたのは、なんと目の前の彼なのだという。少年探偵は自称なのだと思っていた名前が顎が外れるほど驚いたのも記憶に新しい。

「えへへ、たまたまだよ」

 コナンが照れくさそうに頭を掻く。

「あ、それでね、名前さん」
「うん」
「安室さんのことなんだけど……」
「安室さん?」

 聞き返す名前に、コナンはどこか言いにくそうに続けた。

「安室さん、ポアロを辞めたんだ。…それと、小五郎のおじさんの弟子も」

 それを聞いた名前は数秒固まって、それから目線を落とした。

「そっか……じゃあもう会えないんだね」
「名前さん、あの人の“仕事”知ってたんだね」

 コナンはそう言いながらも、特に驚いた様子はなさそうだった。名前はむしろコナンが知っていることに内心驚いているくらいだ。

 返事代わりに微笑んでみせた名前に、今度はコナンが目線を下げた。

「安室さん、今大きな仕事を抱えてて、その関係でしばらく忙しくなるんだ。でもそれが全部終わったら、どんな形であれ……ちゃんと名前さんのところに戻ってくると思うよ」

 そう言うコナンだが、自信はなさそうだ。彼自身それが気休めだということはわかっているのだろう。
 名前にはその「大きな仕事」が何なのかはわからないが、安室透が公安の仕事のために作られた存在だということくらいは知っている。
 全てが終われば、また元のように二人に会えない日々に戻るだけだ。

「もういいの、最後に会えたから」
「え?」
「生きててくれれば、それでいいや」

 二人が元気に生きていてくれればそれでいい。彼女は今回のことで本当にそう思った。もしあのまま自分が死んでいたら、二人に触れることもできなかったのだから。

「うん……もう大丈夫」

 子供みたいに泣くのも、もうやめよう。彼らには彼らの守るべきものがある。
 かつて父を格好いいと思ったように、彼らだって最高に格好いい自慢の友達だ。その無事と活躍を祈って、名前は名前で生きていかなくては。

「私もそろそろ婚活成功させなきゃなぁ。目指せ三十路前の成婚!」
「いや、それは……」
「ん?」
「……しばらく婚活はお休みしない?」

 安室さんもいないんだし…とコナンは小さく呟く。

「え、安室さん関係なくない?」
「いやぁ…………」

 半目で遠くを見るコナンに、意味もわからず首を傾げる名前だった。




***




 無事退院した名前は、ギブスと松葉杖付きで日常へと戻った。
 足首の完治には結局リハビリも含めて三ヶ月ほどかかり、もちろんその間は婚活もお預けだ。しかし治った頃を見計らって母からの催促が入り、それに押された名前は見合いをして―――なんと初めて仮交際まで進んでしまった。

(ついに来たか…!もうこれで決めよう!)

 相手は真面目なサラリーマンで清潔感もある。すでにデートを三回済ませた名前は、そのまま本交際に進む気満々だった。

「苗字さん、機嫌いいね」
「えへへわかります?」
「もしかして婚活順調なの?」

 同僚からの質問に肯定代わりの笑顔を浮かべる。

「えっ、前見たすんごいイケメンは!?」
「まさか別れた!?」
「…だっ、だからあれは違うんですってばー!お疲れ様でしたー!」

 突然始まった追及から逃れるようにして退社する名前。

 電車を降りて自宅マンションに向かって歩いていると、ひらひらと雪が舞い始めた。

(うわっ、道理で寒いと思った)

 自分を抱き締めるようにしてコートの前をぎゅっと合わせ、歩く速度を上げる。
 そしてマンションが見えてきたところで、その前に佇む人影に気付いた。

「………え?」

 エントランスの明かりにぼんやりと照らされた金髪に、グレーのスーツ。同系色のコートを羽織った彼が、伏し目がちに白い息を吐いている。

「ふ……っ!?」

 思わず名前を呼びかけて、慌てて飲み込む。とりあえず近付くと、顔を上げた彼が「あ、名前さん」と呑気に声をかけてきた。
 その精悍な顔つきは間違いなく安室ではない。降谷だ。

「こんなところで何してるの!?」

 普通に現れてるけどいいのか公安警察。
 名前の質問に口を開いた彼だったが、言葉より先に小さなくしゃみが出た。

「と、とりあえず上がって」

 いつからいるのかはわからないが、雪の降る中で立ち話をするわけにもいかない。彼の腕を引くとコートがキンキンに冷え切っているのがわかった。
 エントランスを抜けてエレベーターで上階に上がり、自室の鍵を開けて招き入れる。

「どうぞ」
「お邪魔します」

 声をかけて足を踏み入れた降谷は、コートに続いてスーツの上着まで脱ぎ、慣れた手つきでネクタイを緩めた。

(……あれ?)

 部屋の暖房を入れながらそれを見た名前が違和感を覚える。この男さっき寒さに震えてくしゃみしてなかった?
 名前の視線に気付いた降谷がこちらを見て、数秒沈黙する。

「……………寒い」
「いや、雑だな!?」

(演技してやがった、この男)

 しかし招き入れてしまったものは仕方ないと、名前はため息をついて降谷の上着を受け取った。


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