03


「ありがとうございましたー、またお越しくださいませー」

 フリルたっぷりのエプロンを揺らしながら、名前は完璧な笑顔でお辞儀をした。

 結局彼女は、制服が可愛いと話題の喫茶店をアルバイト先に選んだ。肉体労働以外ではここが一番時給が高かったからだ。
 フリフリのエプロンに最初は抵抗があったものの、せっかく美少女に変わったのだ。彼女はこのアドバンテージをフルに生かして楽な人生を送ってやろうと決めていた。

「お先に失礼しますー」
「お疲れ様でしたー」

 バイトを終え、その足で向かったのは駅前のドラッグストア。

(化粧水切らしたし、乳液合わなかったから新しいのに変えたいな)

 美少女を維持するため、スキンケアにも余念がない。苦学生のため高いものは買えないが、世の中にはプチプラの基礎化粧品で高い効果を得るためのハウツー動画というものもある。
 女というのはとにかく金も時間もかかる大変な生き物だ。名前は女になって三ヶ月ですっかりそれを実感していた。

(今なら過去の彼女たちといい友達になれる気がする……)

 ため息をつきながら、買い込んだスキンケア用品を片手に帰宅する。
 夕食はグラノーラとヨーグルトで簡単に済ませ、風呂は半身浴。トリートメントを塗り込んだ髪をシャワーキャップで覆い、ミルク系の入浴剤を入れた浴槽に浸かる。手足をギュッギュッと揉んでリンパを流し、口ずさむのは流行りのラブソングだ。

「……いや、女かっ」

 ツッコミが風呂場に虚しく響く。そして「いや、女だわ」と再び力なくツッコんだ。




***




「あ、苗字さん。今メシ?」
「うん。ここ座る?」

 大学構内のカフェテリアで、名前の正面に座ったのはトレーを持った諸伏だった。その隣には降谷が座る。相変わらず二人して顔がいい。

「苗字さんっていつも一人じゃない?」
「そこ、心に刺さること言わない」

 女の子と群れるというのは、女になってしばらく経っても慣れそうになかった。恋愛対象として一対一で付き合っている分にはよかったが、何人か集まると途端に面倒臭くなるのだ。一人でいる方が何百倍もマシだと名前は思っていた。

「相変わらず人助けしてるところもよく見るな」

 そう話す降谷に、カツカレーを食べていた名前の表情が気まずそうに歪む。
 彼女は相変わらず、女の子が困っていると手助けをしてしまう性分が抜けなかった。ちなみに男は自分でなんとかしろと思ってる。

「降谷くん、よく見てるよね」
「たまたまな」
「苗字さん、結構噂になってるよ」
「噂?」
「文科T類の苗字さんが王子様みたいだって」
「ふは」

 なにそれ、と名前が思わず笑う。

「周りが草食系男子ばっかだから、私が目立つのかな」

 しっかりしろよ男子〜、と笑う名前に眼前の二人が苦笑する。もちろん彼らが草食系かどうかは知る由もない。

「そういえばバイトには慣れた?」
「うん、もうすぐ二ヶ月だしね」
「今度見に行こうかな」
「げ、マジで?」

 諸伏と名前の会話に、降谷が「バイト?」と首を傾げる。

「あ、私今喫茶店でバイトしてるの。制服フリフリ系の」
「意外すぎるんだが」
「こないだメールで聞いてさ。ゼロも今度一緒に見に行こう」
「メール」

 再びきょとんとして呟いた降谷に、「ああ」と名前が気付いた。

「先週かな、諸伏くんと連絡先交換したの。降谷くんとはまだだったね」

 交換しよ、とスマートフォンを取り出した名前に降谷が倣う。無事に交換が終わり、名前の少ない連絡先に「降谷零」が追加された。

「ていうか白ワンピでカツカレーって。豪快すぎる」

 名前のトレーを見て諸伏が笑う。女子は夕食軽めがセオリーらしいので夜は適当だが、朝昼はガッツリ食べておきたい派だ。

「こないだ同じ服でカレーうどんも食べたけど」
「猛者がいる…!」

 諸伏が口元に手をやってくつくつと笑う。テーブルの下でそのスネを軽く蹴ると、彼は「いったぁ!」と大げさに喚いた。




***




「……いらっしゃいませ、二名様でよろしいでしょうか」

 口元を若干引き攣らせながらも、名前はかろうじて笑顔を保った。

「うわ、本当にフリフリだ」
「………」

 昼食を共にしてから一週間後、彼らは本当に名前がバイトする喫茶店へとやって来た。
 感動したように目を丸くする諸伏はまだしも、真顔でこっちを見る降谷の視線が痛い。いじってくれた方がよっぽど救われる。

 彼らを席に案内し、すぐ他の席の対応に回る。コアタイムで混み合う店内では、彼らの相手ばかりしていられないのが不幸中の幸いか。
 他のテーブルの注文を取り終えて戻ろうとすると、ふと不穏な光景が目に入った。

「きゃっ」

 客の男に足を引っかけられて転びかけた同僚を、そっと支える。彼女の手から落ちそうになったトレンチをさりげなく取り上げて、名前は客に向き直った。

「お客様、申し訳ございません。長いおみ足が邪魔ですぅ」

 浮かべたとはちょっとあざとい美少女スマイル。ニヤつきながら足を出していた男がグッと怯み、その足を引っ込める。

「ご協力感謝しまーす」

 それにニッコリと笑いかけ、名前は同僚をバックヤードへと引っ込ませた。
 店員の可愛らしさを前面に押し出した店だからか、こういう小さなちょっかいやトラブルが絶えない。そのせいかストレスで辞めてしまう同僚も少なくなかった。

 どうせ先程のも、彼女をよろめかせてスカートの中でも覗こうとしたんだろう。そういう店じゃないっつーの、と心の中で毒づきつつも、入店してすぐに高時給の理由を理解してしまった名前だった。

 ピンポーンというチャイムに番号を確認すると、液晶に示されたのは降谷と諸伏を案内したテーブルだった。名前は伝票を手に取ると、仕方なくオーダーを取りに向かう。

「ご注文はお決まりでしょうか」
「アメリカンとエスプレッソ。あとケーキ類でおすすめある?」
「ミルクレープとティラミスが人気です」
「じゃあそれ両方」
「かしこまりました」

 対応は全て諸伏で、降谷はじっとこちらを見つめている。だからその視線やめろって。

「そういえばさっきの大丈夫だった?」

 小声で問いかけてくる諸伏に「大丈夫大丈夫」と返す名前。

「ああいうこと、多いのか?」

次に聞いてきたのは降谷だ。

「たまにね。では少々お待ちくださいませ」

 ぺこりと愛らしくお辞儀をしてその場を離れる。なんか彼らの前ではいつもトラブルに巻き込まれてる気がするな?と遠い目をした名前だった。




***




 帰宅後、半身浴をしながらスマートフォンをいじる名前のもとには二通のメールが届いていた。送り主は諸伏と降谷である。

 フリフリのエプロンに触れつつ、コーヒーもケーキも美味しかったと褒めてくれているのは諸伏だ。
 一方の降谷は店側に労働環境の改善と制服の仕様変更を求めるための要望書について、作成方法と交渉時の注意事項を長々と書き連ねている。真面目か。

 返信は後でまとめてすることにして、名前は浴槽のフタの上にスマートフォンを置いた。そしてミルク系入浴剤のとろみを利用しつつ、今日もリンパを流すのだった。


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