05


 夜空を彩る大輪の花火を眺めながら、名前はレジャーシートに座って口いっぱいに焼きそばを頬張っていた。

「いやー苗字さん、美味しそうに食べるね」
「奢りがいがあるわ」
「ほれはほうも(それはどうも)」

 彼女を囲むのは顔も名前も知らない男子学生たちだ。
 一緒に来た女子たちは屋台に並ぶ降谷と諸伏を囲みに行っている。並んでいる列から出るわけにもいかず、逃げられずにいる二人の姿が少し遠くに見えた。

「苗字さんさぁ、彼氏いるの?」
「(彼氏は)いたことないなぁ」
「えっマジで?」
「やべー」

 どうもその返答が男たちに刺さったようで、彼らはわかりやすく目を輝かせた。

「じゃあさー……したことない?」

 ニヤニヤと下卑た笑いとともに問いかけられるが、名前は残念ながら下ネタ程度で恥じらう女ではなかった。

「(女としては)ないよ」
「くっはー!マジかー!」
「これだけ可愛くて処女ってやば、レアじゃん」
「SSR美少女やば」

 東都大生とは思えない語彙力だな、と名前は内心で嘆息する。

「彼氏ほしい?」
「いやぁ……」
「どんな奴がいい?」
「(聞けよ)……知性と清潔感と将来性があって高給取り」

 適当に答えた名前だったが、残念ながらその場にいるのは日本最高峰の大学に通う男たちだ。全員が「俺にも可能性ある」という顔をしていた。しくじった。

「苗字さん」

 ふと、モブ男たちとは段違いにいい声が聞こえて振り返る。そこに立つのは降谷だ。

「……こっちにも焼きそばあるけど」

 彼はそう言って手元のビニール袋を掲げた。無事行列と女子の輪を抜けて買うことができたらしい。
 焼きそばなら今食べたけど…?と首を傾げた名前だったが、もしかしたらこの下衆な連中から助け出そうとしてくれているのかもしれないと思い直す。

「ありがとう、今行くー」
「えっ苗字さん、行っちゃうの?」
「つーか焼きそばもう食べたじゃん…?」

 男たちに「ごちそうさまでしたー」と行儀よく頭を下げてから、名前は降谷に駆け寄った。

「ありがと降谷くん、なかなか低俗な空間だったから助かった」
「ふ、言い方」

 小さく吹き出した降谷と並んで歩いていれば、降谷の帰りを待っていたらしい諸伏が手を振ってくれる。

「おかえりゼロ」
「ああ」
「苗字さんも」
「ただいまー。降谷くん、わざわざ呼びに来てくれたんだね」

 見上げた先の降谷はちょっと気恥ずかしそうだ。いい奴すぎである。

「あっちに穴場あるからさ、花火見ながら食べよう」

 そう言いながら、諸伏は会場の出入り口を指差した。

「え、会場出ちゃうの?」
「どうせみんな散ってるし、メールしとけばいいでしょ」

 この二人、なかなか抜け目ない。花火に興味はないと見せかけてちゃっかり鑑賞場所を確保していたとは。

 彼らについて会場を出ると、どうやら高台の神社に向かうようだった。照明のないそこは夜になると真っ暗だし、人も寄り付かないので確かに穴場だろう。

「あー、階段の存在忘れてた」
「その浴衣じゃきついか」

 目的地の神社に至るには、長く急な階段を上らなければならない。降谷と諸伏が足を止めて階段と名前を交互に見た。

「え?大丈夫だよ、ほら」
「ちょーちょちょちょちょ!」

 浴衣の裾をガバッとたくし上げた名前を諸伏が必死の形相で制止する。降谷は隣で目を丸くしているようだ。

「えっなに、いつもワンピでこれくらい見えてるじゃん」
「いや、違うから、それとこれとは確実に違うから」
「ええ…?」

 めんどくさいな、という顔をする名前を二人が「ダメだこいつ」という目で見る。浴衣女子に色気を感じた記憶のない名前には二人の反応がいまいち理解できていない。露出多い方がエロいじゃん。

「よし、行き帰りをオレとゼロで分担しておんぶしよう」
「足が見えるのはダメでおんぶはいいの?」
「あぁ、その方がマシか」
「え、マジなの?」

 以前足首を捻った時とは違い人目もないので、仕方なく名前もその案に乗る。行きのおんぶは諸伏が担当し、しかも降谷が先行して上るらしい。この二人、一体どれだけ生足を見たくないのか。

「はい、乗って」
「……はーい」

 しゃがんだ諸伏の首に抱き着く形で、その広い背中に体を預ける。

「よいしょっと。行くか」

 その長身を生かして軽々と負ぶわれてしまった名前は、慣れない下駄で長い階段を上らずに済んだとポジティブに考えることにした。

「うわっ、高い!」

 2メートル近い視界はもはや未知の領域だ。上体を少し起こせば隣に立つ降谷のつむじが見える。なにこれちょっと面白い。なんだかんだで名前は神社で下ろされるまで上機嫌だった。



「あー、これは確かに穴場だわ」

 鳥居の手前にある大岩に腰掛けながら、名前はため息混じりに言った。
 辺りは暗いが月と花火のおかげで光源には困らないし、人気もない。高台なので花火を横から見ている感じも新鮮でいい。

「でしょ。ちょっと事前にリサーチしといたんだよね」

 見つけたのはゼロだけど、という諸伏に名前は「優秀か」と返す。褒められた降谷は当然という顔で焼きそばをがっついていた。

 周りに人がいないからか、真夏でも会場にいるより少し涼しく感じる。
 尾を引くように現れる光の筋も、音より早く散らばる大きな花びらも、スクリーンで観る映画のような程よい距離感があった。

「……来てよかったぁ」

 万感籠った呟きがぽつりと零れた。
 勉強とバイトに明け暮れる日々の中に、たまにはこういう贅沢な息抜きがあってもいいのかもしれない。

 特に夢もなく母親の希望をなぞるだけの名前にとって、高校までの息抜きといえばただ仲間に流されるままにケンカをしたり、彼らの非行を傍で見ていたり、それだけだった。楽しくも虚しくもない、ただ過ぎるだけの日々。

 ふと隣を見ると、諸伏と降谷が優しげな表情でこちらを見ている。花火に照らされたそれは鮮やかに色づいていて、なんというか―――悪くない。

「成人したらここでお酒飲みたいなー」
「お、いいな」
「じゃあまた来るか」
「うん、楽しみ」

 いつかの約束をして、三人で笑い合う。

 帰りのおんぶは降谷だったが、階段を下りながらのおんぶは一段一段内臓がふわっとなり、なかなかにスリリングな乗り心地だった。




***




 マンションに帰宅した名前は借りものの浴衣を慎重に脱ぎ、ネットで調べた方法で丁寧に畳む。
 下着姿になって髪もほどいたところで、スマートフォンが短く震えて新着メールを知らせた。送信元は先日連絡先を交換したばかりの女子だ。

「え、次は海?」

 ―――いや、余裕だな?


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