07


「……いらっしゃいませ。二名様でよろしいでしょうか」

 なんか、デジャブだなぁ?と、名前は眼前の二人を見ながら口元を引き攣らせた。



 青春濃度高めの夏も過ぎ去り、季節は秋。
 大学生活の目玉である学園祭が目前に迫り、東都大には夜となく昼となく慌ただしい雰囲気が漂っている。しかし名前にとっては学園祭も所詮一イベントに過ぎない。そんなことより自分の生活の方が優先だ―――と、準備もそこそこにバイトに抜け出す毎日だった。

「……学園祭の準備はいいの?」
「ちゃんと必要な時には顔を出してる」
「オレもゼロも、今のところそれで文句も言われてないしなー」

 だとしても、この忙しい時期に制服フリフリの喫茶店でお茶してるとなれば文句も出るのでは?とは言わない。名前も人のことは言えないし、一応大切なお客様だ。

「まぁ、問題ないならいいけど。……では少々お待ちくださいませ」

 オーダーを取り終え、お辞儀をして戻る。
 ここ最近、降谷と諸伏の来店頻度が異様に高い。彼らに限ってないとは思うが、まさかフリフリエプロンが目当てなのだろうか。制服の件がなくともコーヒーには定評がある店なので、味が気に入ったと言われてしまえばそれまでだが。

「苗字さんっ」
「はい?」

 話しかけてきたのは同僚の女性だ。

「あのテーブルの二人、知り合いだよね?どっちか彼氏だったりする?」
「いや、違いますよ」

 この質問ももう何度目だろうか。見目のいい二人は、来店のたびに女性客や店員の注目の的だ。

「じゃあ、私コーヒー持ってってもいい?」
「どうぞどうぞ。喜ぶと思います」
「ありがとー!」

 女性はきゃっと頬を染めて空のトレンチを抱え込んだ。アイドル顔負けの人気である。
 名前は女性の代わりに別のテーブルのオーダーを取るため、伝票片手にカウンターを出た。

「ご注文はお決まりでしょうか」
「ダッチコーヒー」
「かしこまりました。以上でよろしいでしょうか?」
「ねえ普段はどんなカッコしてるの?」

 来たな、と名前は笑顔を強張らせた。白髪交じりのサラリーマン風の男だが、実は若いのよりこういう年頃の方が厄介だしねちっこい。

「いつもそういうフリフリしたやつ着てる? 寝る時も?」
「いえ……コーヒーすぐにお持ちしますね」

 早々にカウンターに戻った名前は、伝票に付箋を貼って「エロもくなので苗字担当します」とメモ書きを残した。もはや用心棒である。

 出来上がったコーヒーを運ぶと、案の定エプロンをぺらっとめくって「あー下は普通のスカートなんだ」と絡まれるが、この程度ならまだいい。ひどいやつはうっかりスカートまでめくって「あーペチコート履いてるんだー」とかやる。

(よかった、今日のは小物だ)

 もはや歴戦の猛者のような雰囲気を漂わせる名前だった。




***




 そんなこんなで無事に学園祭も終わった頃。バイト先に出勤しようとした名前のもとに一本の電話が入った。

「もしもし?あ、はい。…ん?………え?」

 耳元で通話終了を告げるビジートーンを聞きながら、名前はたっぷり30秒は立ち尽くした。

「……えっ?」

 改めて声を上げてから、自宅の床に膝からくずおれる。

「…………えっ?」

 まだ上手く状況が認識できない。おぼつかない手つきでスマートフォンを操作し、五十音順を辿って降谷に電話をかける。

『もしもし』
「あ、ね、ねぇ…いま……」
『……ああ』
「ちょ、どうしよ……、え………」
『今からヒロと行くから、家で待ってて』

 近くなったらまた連絡する、そう言い残して通話が終了する。名前はそのままスマートフォンを床に転がし、自身もまたその場に蹲った。

「……うぁー!なんでだー!」

 バイト先が潰れた。

 その事実に打ちひしがれていた名前は、降谷がすでに事情を知っているような態度だったことに気づくことはなかった。




***




「まあまあ、元気出しなって苗字さん」

 ドリンクバーで名前の分の飲み物を入れてきた諸伏がグラスを置く。
 名前はそれに目もくれず、ファミレスのテーブルに頬をぺたりとつけた状態で脱力していた。

「………」
「どう考えても時間の問題だっただろ、あの店は」

 降谷の追撃を受けても名前の反応はない。
母親からの仕送りを受けていない彼女は、喫茶店が潰れたことで一時的に生きていく術を失ってしまったのだ。早々に次のバイト先を探さなければならないが、肉体労働以外であそこまでの高時給は望めないだろう。

 はぁ、と向かい側に座る降谷のため息が聞こえる。

「……家庭教師は?」
「…?」

 唐突に話題が変わり、名前はその体勢のまま降谷の言葉に耳を傾けた。

「一科目一時間で時給3,000円。週に三科目希望の高校二年生が三人いる。定期考査や模試で目標点数を達成するごとにインセンティブがあって、成績の上がり具合によっては昇給も、」
「やる!」

 バッと顔を上げた名前が、テーブルに身を乗り出す勢いで降谷に迫った。ぐぐっと顔を近づけられた降谷が若干後退する。

「……そうか」
「え、むしろいいの!?やっていいの!?」
「ああ、紹介する」

 間にテーブルがなければ降谷に抱き着いていただろう。
 そのぐらい感激した名前は、感極まったようにガッツポーズを決めながら店に迷惑をかけない程度の声量で「くぁーっ」と謎の奇声を発した。

「降谷くんすごい……マジで神だ、神様ありがとう」
「どういたしまして」
「中も外もイケメンだ」
「光栄だな」

 よかったね苗字さん、と笑う諸伏ももはや天使に見える。名前は大げさでなく人の優しさに感動していた。

「本当にありがとう。私にできることがあったらなんでも言ってね。もう、降谷くんのためならなんでもする。なんでもできる」

 拳を握って力強く言い放った名前に、降谷はどことなく微妙な顔をして「それはどうも」と答えた。

「早速何すればいい?メル友紹介?合コンセッティング?」
「……いや、落ち着け」
「諸伏くんも、降谷くんが喜びそうなこと後でメールしといてね」
「えっ」

 そして君も何かリクエストがあったら教えてね。

 本気の表情を浮かべる名前に、諸伏もちょっと引いた様子で苦笑を返した。




***




「今日はほんとーにありがとう!」

 ファミレスを出てすぐ、名前は二人に深々と頭を下げていた。

「ああ、もうわかったから」
「今日の苗字さんは圧がすごいな」

 苦笑する二人に繰り返しお礼を言い、名前は「じゃあまた大学で!」と手を振りながら去っていく。
 完全に浮き足立っていた彼女は、背後で交わされた会話に気づきもしない。

「……本当によかったのか?あれ、ゼロが教授から頼まれたバイトだろ」
「ああ、僕はどうとでもなる。それに返済不要の奨学金を受けられるくらいだから彼女も十分優秀だし、受講態度もいいからって教授も快諾してくれたしな」
「そっか、喜んでくれてよかったな。……ゼロがあの店潰すって言った時はどうなることかと思ったけど」
「不動産の所有者が法人じゃなくお堅い職業の個人だったから、店の実情をまとめてタレ込んだだけだ。大したことはしてない」
「いや、めちゃくちゃ情報集めてたじゃん」
「……手伝わせて悪かったな」
「いや、オレはいいよ。結果的に苗字さん喜んでたし。彼女が心配だったんだろ?」
「まあ……友達だしな」
「ふーん?」
「なんだその反応」
「いや別に」
「?」
「ふは」


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