12


松田の視線の先で、タイマーの残り時間が三分を切った。これで解体の難易度が増したが、どうせこの爆弾を解体するつもりは毛頭ない。
禁煙のゴンドラで煙草をふかしながら、彼は落ち着いた表情で液晶画面を見つめていた。

爆発三秒前に表示される、二つ目の爆弾の設置場所。それをこの場で確認し、下で待つ同僚たちに伝えなければならない。
死んだ親友の仇を取るつもりだったが、どうやらその約束は守れそうになかった。

(わりーな、萩原)

フー、と吐き出した煙が、ゴンドラの天井に向かって真っ直ぐ伸びていく。
不意にそれがふわりと揺らいで、松田は目を瞬かせた。停止したゴンドラに風が入り込むわけがない。

「………は?」

何気なく視線を巡らせた松田が見たのは、ゴンドラの入口に立つ一人の女だった。

「いや……え?」

長い黒髪をなびかせた、やけに美形の女だ。
その右手にはゴンドラに取り付けられていたはずの扉が横向きに抱えられていて―――扉?

「お邪魔してます」
「……はっ?」

女は抱えた扉を二つ折りにしながら、行儀よくペコリと会釈した。折られた扉からパリンとガラスが弾ける。扉がなくなった入口からは風が吹き込んでいた。

「いや、ちょっ」

慌てて爆弾の水銀レバーを確認するが異常はない。この女、頂上付近のゴンドラに振動を与えることなく侵入したらしい。地上100m以上の高所にもかかわらずだ。松田には意味がわからなかった。

「あんた誰だよ」
「自己紹介してる時間があるならするけど」
「いや、ねぇけど……つーか、ここにいるとあんたも爆死するぜ?」

そう言う松田をよそに、女は至極落ち着いた様子で二つ折りの扉を座席に立て掛けた。
そして吹き込む風からゴンドラ内を守るように、扉のなくなった場所に立つ。
この時、タイマーはすでに二分を切っていた。

「あなたはここで何してるの?」
「あのな、人の話を……」

その先を続けようとして、「まーいいか」と溜息を一つ。
どうやって入ってきたのかはわからないが、説得したところでもうここから下りることは叶わないのだ。

「俺は爆発三秒前に出るっつーメッセージを確認したいだけだ。それでそれを下の警察官にメールして、お陀仏の予定だな」

そう、このゴンドラはまもなく爆破される。それは動かしようのない事実だった。
だからこそ、そんな場所で呑気に人と会話している自分が信じられないわけだが。

松田の答えを聞いても、女のすました顔は変わらなかった。

「そのメール、出てからでもできる?」
「はあ?」
「私ここで待ってるから、メッセージを確認したら一緒にここを出よう」
「いや、出るって」
「残り一秒もあれば十分だから、どうぞごゆっくり」

ダメだ、こいつ会話する気がない。
完全に呆気に取られている松田を気にも留めず、彼女は腕を組んで待ちの体勢に入ってしまった。

(マジかよ……知らねーぞ、もう)

マイペースすぎる女に思わず言葉を失くした松田だが、どうせすでに死を覚悟した身だ。見知らぬ女を巻き添えにしてしまうのは気分が悪いが、勝手に来た人間のことまでは面倒を見られない。
何もかも気にしないことにして、液晶画面に視線を戻した。爆発まであと30秒だ。

短くなった煙草の煙をこれで最後とばかりにたっぷり吸い込み、時間をかけて細く吐き出す。

あと10秒。9、8、7、6、……

爆発三秒前に液晶に現れた「米花中央病院」の文字を目にした次の瞬間、松田は空中にいた。

「……はっ!?」

まさか突き落とされた?いや、体はガッチリと抱え込まれている。誰にって?そんなの―――

「舌、噛んでも知らないよ」

涼しげに言う女の横顔が見える。なんだこれは。なんで自分は空中を自由落下しながら、女に横抱きにされているのだろうか。

「うっ」

内臓が浮く不快感に松田が青褪めたのと同時に、上空でゴンドラが爆発した。爆風と熱が落下中の二人にも届く。が、今は正直それどころじゃない。このままではどの道、地面にぶち当たってぺしゃんこだ。
近づく地面を想像して、松田がぎゅっと瞼を閉じる。それから何秒経っただろうか。ビュウビュウと鳴る風の音に身を竦めていると、突然全身に振動が走った。

「………?」

それは階段を三段飛ばしで降りたような、その程度の振動だった。
いやまさかそんなわけないだろ、100m以上落ちて来たんだぞ…と松田がおそるおそる目を開けると、確かにそこは地上だった。
どうやら野次馬の輪の外に着地したらしく、いくつもの背中が見える。

「は、あ………?」

女は松田をそっと下ろし、彼がよろめきつつも自分の足で立ったのを確認して口を開いた。

「じゃ、私は行くね」
「え?」

ゴンドラの爆発に意識がいっているためか、周囲の誰も二人に気付く様子はない。それにしても、人が空から落ちてきたのだからもっと注目されてもいいはずだが――

「いや、ちょっと待ってくれ」
「何?」
「よくわかんねーが、とりあえずあんたに命を助けられたんだ、」
「気にしないで。カニクリームコロッケのためだから」
「は?カニ?」

礼を言わせてくれ、と続けようとしたところで、なぜかカニクリームコロッケに遮られてしまった。

「お礼ならあなたの同期に言って」
「同期って」
「じゃあね」

どいつのことだと聞くより早く、こちらに背を向けた彼女が歩き出す。その存在感がどうも希薄に思えて、松田は咄嗟に目を擦った。
そして次に目を開けた時にはその姿がどこにも見当たらず、その場に呆然と立ち尽くすことしかできない。

「……マジで意味わかんねぇ」

結局何が起こったのか、松田には最初から最後までよくわからなかった。
しかし死ぬつもりだった自分が、彼女のおかげで生き延びたことは事実だ。もっとも、その礼すら言わせてもらえなかったわけだが。

「つーか俺、こっから戻りづれーんだけど」

視線を向けた先には、松田の死を悲しむ同僚たちの姿があった。中でも佐藤は大声で彼の名を呼びながら泣き崩れている。非常に戻りづらい。

はあ、と深い溜息を吐き出してから、松田は諦めたようにそちらへと足を向けた。




***




「ふふっ、サクふわとろとろだ」

その日の夜。
アツアツのカニクリームコロッケを頬張りながら、ナマエはすっかり上機嫌だった。

綺麗な俵型に成形されたそれは、一口噛めばみっちり詰まったクリームがとろりと溢れ出す。バターがしっかり利いて濃厚な味わいなのに、かに身特有の淡白な風味も全く失われていない。
目の細かいパン粉特有の、つるんとした見た目も彼女のお気に入りだ。

「どんどん食べてくれ」

そう言って、諸伏は揚げたてのそれを大皿に追加していく。

「やっぱりこれ好きだな。すっごく美味しい」
「そりゃよかった。松田の命が助かったんだ、このくらいお安い御用だよ」
「ふふ、これが食べられるなら何人でも助けちゃう」

柔らかく笑いながらname#がすごいことを言う。

それを聞いた諸伏の手が一瞬止まった。
もしかしたらこの流れで組織壊滅さえ頼めるのでは?と邪な考えが過ぎる諸伏だったが、万一それで彼女の逆鱗に触れた場合、暗黒の未来しか見えないのでグッと堪えた。

「…あれ?ナマエ、なんか顔色悪くないか」

できたてアツアツの料理を食べているというのに、ナマエの顔はどこか青白い。
外で冷えたのかとも思ったが、もう帰宅して時間も経つし、そもそも彼女は暑いのも寒いのも人より耐性がある。

「ああ、念の反動なの」
「念の?」

野菜たっぷりのスープを一口飲んでから、ナマエは続けた。

「私、具現化系能力者だけど変化系の能力も使えるの。練度は八割くらいに落ちるけど」
「あー……なんか漫画でそういう図見たことあるな」

念の系統を表す図で、確か自分の系統に近いものほど習得率が高く、離れた系統ほど身につきにくいんだったか。

「ゴンドラを止めろ、揺らすなっていう指示が飛んでたから、振動を与えると爆発するタイプの爆弾なのかと思って。扉を外す時にナイフのオーラに熱を加えたの」

ゴンドラに侵入する際、高温に熱したナイフで焼き切るようにして扉を外したのだと彼女は言う。
通常の"周"でも切れるが、確実に振動を抑えるためにそうしたらしい。

「そんなこともできるのか」

変化系はオーラの性質を変える系統だ。彼女の弟であるキルアはオーラを電気に変化させる。熱を加えるというのは一体どういう原理なのだろう。

うん、と頷いた彼女が続ける。

「私の場合は自分の体温を変換するイメージなんだけど、制約としてその後しばらく極端な低体温状態になるの。低体温の継続時間はまちまちで、今回は長い方」

久しぶりに使ったからかな、とナマエはなんでもないことのように言う。

「え、低体温って……大丈夫なのか?」
「うん」

頷いて再びスープを飲むが、少しして「ふわぁ」と無防備なあくびが零れた。

「ん、やっぱり長引くと眠いかな。一時間したら起こしてくれる?」
「あ、ああ、わかった」

ごちそうさまでした、と手を合わせたナマエがソファに向かう。自室に向かう時間すら惜しいのだろう。
ソファに置かれていたキルアのぬいぐるみを抱え込んで横になった彼女は、早々に小さく寝息を立て始めた。

しばらく呆気に取られていた諸伏だが、ハッとして自分の部屋から毛布を持って来る。それを彼女にかけてやりながら、思わずその寝顔を観察した。ナマエの寝顔を見るのはこれが初めてだ。

「……ありがとな」

顔にかかっていた髪をそっとどけるが、彼女が起きる気配はない。なんでもないように見せながらも、やはりそれなりに辛かったのだろう。
こんな状態になるとわかっていて能力を使ってくれるとは、少しは距離が縮まったと思っていいのだろうか。

それからしばらく髪を撫で続けていた諸伏だったが、ついに我慢の限界が来た。

(悪いな、ナマエ)

おもむろにスマートフォンを取り出し、そしてカメラを起動する。

(キルアのぬいぐるみを抱いて眠るナマエ……くっ、かわいすぎる…!)

この貴重な姿を残すのはもはやファンとしての務めではなかろうか、と諸伏は身悶えしながらスマホを構える。
カシャッというシャッター音にも、彼女が起きることはなかった。


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