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年が明け、また新たな一年が始まった。

新年を祝うという習慣のなかったナマエにとって、諸伏の作ったおせちはもちろん、「あけましておめでとうございます」という定番の挨拶ですら新鮮で仕方がない。
餅をにょーんと伸ばして食べるその姿を、諸伏は微笑ましげに見守っていた。

そんな平和なひとときに、ナマエのスマートフォンが着信を告げる。ナマエは口の中の餅を咀嚼して飲み込み、一拍置いてそれに出た。

「もしもし、ジン?」

諸伏の微笑みがピシリと固まる。

「あけましておめでとうございます」

電話の向こうに新年の挨拶をするが、思うような返事が得られなかったらしい。息を殺して見守る諸伏の対面で、ナマエは再び「あけましておめでとうございます」と繰り返した。

「挨拶は基本でしょう? 普通に返してもらえたら話くらい聞きますよ」

その後少しの沈黙があり、スマホを耳から離したナマエが「切れちゃった」と呑気に呟いた。

「そんなに言いたくなかったのかな」
「いや、素直に言われても怖いけどな?」

想像してみようとした諸伏だったが、さすがに似合わなすぎて脳内再生すらできなかった。

「なんだか最近、組織の活動が活発化してるみたい」
「! そうなのか?」

スマホを置きながらさらりと話すナマエに、諸伏が思わずテーブルに身を乗り出した。潜伏中の身では組織の動向を知るすべはない。ナマエから気まぐれにもたらされる情報が彼のすべてだった。

「拠点も構成員も増やしてるみたいだし、依頼の電話もまた増えてきてるの。もう受けないって言ったはずなんだけど」

そう言う彼女は面倒臭そうだ。勧誘されることも未だにあるらしいが、組織の一員となるつもりは相変わらずないようで諸伏は安心する。

「そうか……それならオレはまだ戻れそうにないな」
「そうなの?」
「組織にまだ潜入中の仲間がいるんだ。今頃そいつの負担も増してるだろうし、オレっていうリスクまで背負わせられない」
「ふーん。そういうものなんだ」

私は助かるからいいけど、とナマエが小さく笑う。どうやら生活力ゼロのナマエにとって、諸伏の存在はちゃんと助けになっているらしい。

「戻れる目処が立つまで、家政夫として尽くさせてもらうよ」

そう言って冗談っぽく笑いかければ、ナマエもまた穏やかに微笑んだ。




***




つい最近中学三年生に上がったばかりの工藤新一は、その日、父親である工藤優作に連れられてとある宝石店を訪れていた。
目的は今年の結婚記念日に贈るというネックレス。フルオーダーメイドにも対応しているその店で、父は今回、ネックレスに使う石もデザインも自分で考えたいのだと言う。

「では、こちらの案で一度お預かりいたします」
「ええ、よろしくお願いします」

通された個室でデザインの打ち合わせを終える。後日また来店し、今度はメインに使う宝石を選ぶらしい。記念日はまだ先とはいえ、なんとも気の遠くなりそうな話である。

店長である女性に促されて二人が個室を出ると、ちょうど別の個室から一人の女性が出てくるところだった。

「今日もありがとうございました」
「あんなにインクルージョンの少ないルビーは初めて拝見しました。さすがナマエさん、ダイヤ以外もいいものをお持ちで」
「ふふ、次はカボションカットのも持ってきますね」

どうやらその女性は宝石を売りに来ていたらしい。
男性店員とその女性に続く形で、新一と優作も店の出口へと向かう。その途中で父が小さく「ふむ、ルビーか。それもいいな」と呟くのを新一は聞いた。この男、まさか今からまたデザインを変える気だろうか。

通路を抜けた面々は、ショーケースが立ち並ぶ店内へと戻ってくる。この先が店の出入口だが、ちょうどそのタイミングで来店した人物がいた。

(ずいぶん小汚いっつーか、怪しい感じの男だな)

無精ひげをまばらに生やし、お世辞にも綺麗とは言えない身なりの男は高級宝石店ではおそろしく浮いている。
男は入口付近でキョロキョロと辺りを見回しているが、その視線がジュエリーの並ぶショーケースに向いていないのが新一は気になった。どちらかと言うとカウンターや監視カメラなど、店そのものの造りを気にしているように見えて眉を顰める。

上客が退店する妨げにならないようにか、女性店長が男に声をかけた。

「お客様。スタッフがご案内いたしますので、どうぞ中へお進みください」

すると男が店長に視線を向け、おもむろに上着のポケットに手を突っ込んだ。しかし次の瞬間、突然「ウッ」と呻いて胸を押さえたかと思うと、そのままべしゃりと床に倒れ込んでしまう。

「お客様!?」
「店長さん、ちょっとどいて」

そこに駆け寄ったのは先程ナマエと呼ばれていた女性だ。

「心停止を起こしてる。AEDはありますか?救急車も呼んで」
「は、はい、ただいま!」

店長が慌ただしく立ち去るのを見届けて、ナマエが心臓マッサージを開始する。
新一と優作もそこに駆け寄って彼女を手伝おうとした。が、それより早く男性の上着のポケットから何かが滑り落ちて、カシャンと物騒な音を立てる。

「! ナイフだ」

新一はハンカチ越しにそれを掴んだ。折り畳み式のナイフのようだ。先程男性がこれを取り出そうとしていたことを思えば、この場で強盗を働こうとしていたのだと容易に予測がつく。

と、そこにAEDを持った店長が戻ってきた。そこから先は店の人間に任せるようで、ナマエが男性からすっと離れる。
その後、AEDで男性は無事に心肺再開し、救急車によって病院へと運ばれていった。
そしてその間に警察への通報を済ませていた優作が、新一が拾ったナイフを駆けつけた警察に引き渡した。

(……あれ?あの人は…)

新一が気付いた時には、ナマエの姿はすでになかった。




***




「あの女性、興味深いな」

帰りの車の中で、優作はそう言って笑みを浮かべた。

「あの女性って、ナマエって人のことか?」
「ああ、創作意欲がかき立てられる」
「創作意欲ぅ?」

一体どこにそんな要素があったのか。胡乱な目を向ける新一に優作は楽しげに笑う。

「彼女、足音が全くしなかったぞ」
「は?」
「あの男性に駆け寄る時も、全くだ」
「んな忍者みてーな」

ふむ、と優作が一つ頷く。

「忍者という線もあるか。俺は殺し屋だと思ったんだがな」

何言ってんだ、このおっさん。
新一のその表情に気付いたのか、優作はさらに笑みを深めた。

「あの男性の症状は典型的な心臓震盪だ。何かが目にも止まらぬ速さで胸に当たって心停止……足音を立てない歩き方といい、まるで殺し屋みたいだと思わないか?」
「何かってなんだよ」
「さあ、なんだろうな。しかしおかげで…というのも不謹慎だが、結果的に宝石店強盗も防げたわけだ」
「それが全部あの女の人の仕業だっていうのかよ?」
「そうだったら面白い、という話だよ」
「はあ……?」

どうやら確証があるわけではないらしい。だからこその「創作意欲がかき立てられる」ということか。

「だとしたら彼女は男性のポケットの中身を誰より早く見抜き、それを彼が手にする前に昏倒させ、自ら救命処置を行い、そして人知れず立ち去ったということになる。うん、女性が主人公のダークヒーロー物というのもいいな」

楽しそうに語る父親の姿を、新一は「どこまで本気なんだか」と呆れ顔で眺めていた。

優作の話す仮定はおおむね正しかったが、もちろんナマエは正義の人ではない。人目があったためにテレビで見た救命措置を真似てはみたが、あのまま男性が死んでいても特に何も思わなかっただろう。
彼女はただ、生活のために馴染みの宝石店を守ったに過ぎない。

そしてその本人は帰路につきながら「やっぱり放出系は苦手だ」と嘆息しているのだが、もちろんそれを知る者はいなかった。


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