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コインパーキングに愛車を停め、安室はベルモットに指定された場所へと向かった。
最近、組織の仕事で呼び出されることが格段に増えた。組織による日本での活動が活発化し、構成員の数もさらに増えつつある。
彼らがこの国を主要拠点の一つと見ているのは、もはや疑いようもないだろう。

(一層気が抜けないな)

そんな状況だからこそ、組織の中核に迫る好機でもある。ここでしくじるわけにはいかない。

("彼女"についてもそろそろ踏み込みたいところけど……まだ危ないか)

スコッチを殺したという女。
彼女と一緒に仕事をしたのは、およそ一年前の話だ。そしてその後も組織から彼女の情報がもたらされることはない。それどころか「今回限り」という宣言通り、それ以降全く組織の仕事を受けてもらえていないようだ。
この状態で動くのは危険すぎる。

(あの得体の知れなさ、気味が悪い)

目撃されることなくビルに侵入した方法にしても、セキュリティ機器を軒並み無力化させた方法にしても。それから銃器を切断してみせた方法だって、何もかもわからないことだらけだ。

謎が何一つ解けないまま時が過ぎていくことに、安室はらしくもなく焦りを感じていた。

「―――ってこと?ヒロ」
「!」

不意に耳に届いた言葉に、安室は思わず反応した。
ちらりと視線を向けた先では、ゲームセンターの前に立つ女性が耳にスマホを当てている。

(落ち着け。ヒロなんてどこにでもいる名前じゃないか。第一あいつはもう死んだんだ)

そうは思いつつも、つい信号待ちをするフリをして耳をそばだててしまう。
ベルモットに指定された時間まではまだ余裕がある。少しくらいの寄り道は許されるだろう。

「え、そうなんだ。じゃあこれももう終わっちゃうのかな」

そう肩を落とす女性の目の前には、一枚のポスターがある。

「ん?うん、やったことない。店員さんに聞けばわかるかな……うん、うん。んー、やってみる」

電話を切った女性が店内へと入っていく。安室は再度時間を確認し、少し考えてからそれに続いた。

中では早速店員に声をかけたらしい女性がクレーンゲームの筐体に向かっている。どうやら操作方法を聞いているようだ。

(随分と整った顔をしてる)

安室の位置からは女性の横顔がよく見える。作り物のように整った顔立ちは、ともすれば冷たささえ感じるほどだった。

両替を済ませた安室は、女性の様子が窺える位置で別の筐体に向かう。
説明を受け終えた彼女もまた、硬貨を投入して遊び始めたようだ。そしてその様子を横目で見ていた安室は、一度目で的確にぬいぐるみを持ち上げた彼女に少しだけ驚いた。

「あ」

掴み方が甘かったのか、アームが上昇した際の振動でそれがぽとりと落ちてしまう。
そして二度目の挑戦でもまた正確なアーム運びでぬいぐるみを持ち上げた彼女だったが、今回も先程と同じタイミングで落ちてしまった。
彼女自身の空間把握能力は高いようだが、どうもアームに少し癖があるらしい。

彼女が向かっているのはハンターハンターのクレーンゲームで、先程から何度も持ち上げられては落とされている可哀想なぬいぐるみのキャラクターはイルミ=ゾルディックのようだ。

(懐かしいな、ハンターハンター)

安室自身、学生時代に夢中になっていた少年漫画だ。社会人になってからはそれどころではなかったが、幼馴染のセーフハウスには単行本が全巻揃っていた記憶がある。
それにしてもイルミのぬいぐるみとは、ややマニアックな気がする。

「うわ」

アームが他のぬいぐるみのタグに引っかかり、運よく最後まで運ばれる。しかし彼女は景品取り出し口から出したクロロのぬいぐるみに、嫌そうな顔で「いらない」と辛辣な呟きを零していた。

そんな彼女の様子を窺いながら、安室が操作する筐体では特に欲しくもないお菓子が延々と獲得され続けている。取り出し口に溜まったそれらを袋に適当に詰めて、安室は彼女のもとへと近づいた。

「こんにちは。イルミ狙いですか?」
「え?……あ」

安室を見た彼女の目が一瞬見開かれたのを見て、首を傾げる。

「…?どこかでお会いしました?」
「あー、いえ、気のせいでした」

すみません、と続けながら、彼女がクロロのぬいぐるみを袋へと雑に放り入れる。

「こちらこそ、いきなりすみません。女性一人というのが珍しくて」
「はあ……」
「このアーム、やりにくくないですか?」

知った風な口ぶりで言うと、ようやく女性が食いついた。

「そうなんです、全然取れなくて」
「掴む強さは設定次第なので、もしかしたら難易度高めにしてあるのかもしれませんね」
「え、そうなんですか」

目を瞬かせた女性に、安室はニコリと微笑んでみせる。

「よければ、お取りしましょうか」
「! いいんですか?」
「全然いいですよ」

場所を代わり、筐体に向かう。そして一度の操作で難なく目的の物を獲得した安室に、彼女は尊敬の眼差しを向けた。

「え、すごい…!」
「はい、どうぞ」

手渡したイルミのぬいぐるみはなかなかの大きさだ。女性は礼を言ってそれを受け取り、嬉しそうに顔をうずめる。その姿は純粋に可愛らしかった。

「あ、よければこれもどうぞ」

そう言って差し出したのは、無駄に取り過ぎたお菓子たちだ。

「え?」
「実は、店の前で見かけてからずっと話しかけるタイミングを窺っていて。それでうっかり取り過ぎただけで、別に欲しかったわけじゃないんです。…って、完全に怪しいやつですね、僕……」

そう言いながら、気恥ずかしそうに頬を掻いてみせる。

「はあ、ありがとうございます」

ベビーフェイスを自覚している安室にとって、今のは完全に狙いに行っていたのだが。女性は特に照れる様子もなく平然とそれを受け取った。残念、外したか。

「店の前でどなたかと電話されてましたよね。もしかして彼氏さんでした?」
「え?あー、いえ、うちで雇ってる人です。家政夫さんというか」

へえ、と相槌を打ちながら、安室は内心落胆した自分に驚いていた。

(何を期待してたんだ僕は。当たり前だ、ヒロのわけがない)

いくら組織が死体を確認していないとはいえ、間違いなく彼は殺されたのだ―――あの女の手によって。裏切り者を見逃すような組織ではないことくらい、安室自身よくわかっていた。

目的は達成されたという女性と連れ立って店を出ると、安室は女性に「では僕はこれで」と声をかける。そろそろベルモットに指定された時間だ。

「これ、ありがとうございました」

女性は安室が獲ったぬいぐるみを抱えて満足げだ。声をかけるタイミングを窺っていたと言いつつ、連絡先を聞くでもなくあっさり立ち去ろうとする安室との別れは特に惜しくないらしい。
これまでの人生、モテてきた自覚のある安室は少し複雑な気持ちになった。

と、今朝止んだばかりの雨でできた路側帯の水溜まりに、大型トラックが向かってくるのが見える。安室は咄嗟に女性を庇うように立った。
案の定水溜まりを掠めるように通ったタイヤが、バシャンと水を跳ねさせる。

「危ないな」

突然庇われた女性はきょとんとした表情を浮かべていたが、その視線が安室の足元に移る。

「あ、すみません、足……」

安室の靴とパンツの裾が、跳ね上げられた水で濡れてしまっていた。

「ああ、安物ですので。お気になさらず」

そう笑いかけて今度こそ立ち去った安室は、自分の背後で彼女がしばらく立ち尽くしていたことに気付くことはなかった。




***




「あ、おかえりナマエ」

UFOキャッチャーにイルミのぬいぐるみを見つけた、猫目の再現度が高いのだとソワソワした様子で電話してきたナマエが、無事に帰宅した。
その腕にはゲームセンターの袋が二つと、彼女が欲しいと言っていたぬいぐるみが抱えられている。結構でかいな。

「イルミ獲れたんだ」

よかったなー、と諸伏が笑いかけるが、ナマエが玄関から動く様子はない。長い髪が俯き気味の顔を隠し、表情も窺えなかった。

「ナマエ?」

どうしたんだろうと近づいて、長い髪に隠れた顔を諸伏が覗き込む。そして思わずぎょっとした。

「ど、どうした!?」

彼女の顔は真っ赤だった。唇はぎゅっと引き結ばれ、大きく開かれた目がゆらゆらと揺れている。

「…ヒ、ヒロ………」

そこでようやく視線が絡み合う。
揺れる瞳は今にも泣き出しそうに潤んでいる。困ったように下げられた眉尻が、彼女が珍しく動揺していることを表していた。

すぐにまた俯いてしまったナマエが、腕の中のぬいぐるみを所在なげにぎゅうっと抱え直す。

「……どうしよう…」
「どうした?何があったんだ?」

ナマエのこんな表情、見たことがない。外で何かあったのかと諸伏も焦る。

「あ…わ、わたし……う…わかんない…」

消え入るように語尾が小さくなり、とうとう彼女はイルミのぬいぐるみに顔をうずめてしまった。
これはなんだ。あのナマエ=ゾルディックがめちゃくちゃ動揺している。よくわからないがもしかして一大事では?

困惑したままの諸伏だったが、とりあえず事情を聞かなくてはと立ち尽くすナマエの手を引くのだった。


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