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結論から言うと、生活力ゼロのゾルディック家長女は恋愛偏差値もゼロだった。

諸伏はダイニングテーブルの向かい側で、両手で顔を覆ってしまったナマエを眺める。
手で覆いきれていない部分や耳はまだ赤い。

(うん、文句なしに可愛いです)

もはや反射のようにウンウン頷いて、諸伏は彼女から聞いた話を思い出す。
ぼそぼそ話す彼女の話は終始要領を得なかったが、どうやら彼女は普通の女性のように庇われたことですっかり心をやられてしまったようだ。

自分が汚れることも厭わずに初対面の女性を庇うなんて、確かにそうそうできることではない。きっと優しい人物なんだろう。
まあ彼女ならきっと自力で避けたんだろうが……とそこまで考えて、こういう考えがいけないんだな、と諸伏は納得した。

(オレの場合、出会いが出会いだったとはいえ……普通の女性として扱ってたかって言われたら頷けないもんなあ)

諸伏は彼女を「ナマエ=ゾルディック」として頼り切っていた自分を少し反省した。
ナマエは人に守られたり庇われたりしてときめいてしまうくらいには、普通の女性らしい部分もちゃんと持ち合わせているのだ。
ただし本人もこれが初めての経験らしいが。

(これが初恋だなんて可愛いがすぎるぞ、ナマエさん……)

経験も免疫もゼロらしい彼女は、生まれて初めての感情にすっかり戸惑ってしまっている。混乱している様子も可愛いが、このまま放置するのも可哀想だろう。

「あのさ、ナマエ」

意を決した諸伏が声をかけると、ナマエが顔を覆っていた両手をゆっくり目の下まで下げた。露わになった両目はまだ泣きそうに赤らんでいる。

「ナマエはその人とどうなりたいんだ?」
「……どうって?」

質問の意味がわからなかったらしい。

「色々あるだろ。友達になりたいとか、付き合いたいとか」
「つっ……」

衝撃を受けたように目を見開いてから、うろうろと視線を彷徨わせる。

「た、多分どっちも違うと思う……」
「え?」
「……顔見れたら、満足する、と思う」

(えっ……えーっ?)

その返答に今度は諸伏の方が戸惑ってしまった。純粋にも程がある。

「恋してますって顔してるけどなあ……」

思わず零れた言葉に、ナマエが「恋?」と首を傾げた。

「これがそうなの?」
「え?ああ、オレからはそう見えるよ」

そうなんだ、と小さく呟いてナマエが沈黙する。

「ナマエ?」

すると、すでに赤かった顔が熟れたトマトのように見る見る紅潮していって―――彼女はゴンッと机に額を打ち付けた。

「お、おい、ナマエ」

そのまま動かなくなってしまったナマエを、諸伏は呆然と見つめる。

(なんなんだ、この可愛い生き物は)

今写真撮ったら殺されるかな?
スマートフォンを構えたい気持ちを必死に抑え込んで、諸伏は弱ったナマエの貴重な姿を目に焼き付けた。




***




(……チッ、待ち伏せされていたか)

拳銃片手に建物の陰で様子を窺いながら、バーボンは苦々しげな表情を浮かべた。

ライがFBIのNOCだと発覚し、処分すらできずにまんまと逃げられてまだ日が浅い。組織内部には今にも戦争を起こしそうなピリついた雰囲気が漂っていて、特にジンはそれが顕著だった。

その腹いせなのか他のNOCを炙り出そうとしているのか。おそらくその両方だろうが、ここのところバーボンに下される指令も探り屋以外の荒事が多い。
信頼を獲得するためにもそれに応えるほかないのだが、さすがの彼にも疲れの色が滲んでいた。

(仕方ない。一度退いて態勢を立て直すか)

進行方向は武装した男たちで固められている。
退却ルートをシミュレートするため、再びその様子を窺おうとして彼は言葉を失った。

(………は?)

つい数秒前まで間違いなく立っていたはずの男たちが、見事に全員倒れ伏している。一体何が起きたというのか。

(罠か?)

しばらく様子を窺うが、倒れた男たちは微動だにしない。武器の類いも見当たらない。
バーボンはここで退いた場合の損失と進む場合のリスクを天秤にかけ、先に進むことを選択した。携行していたH&K P7を構えながら、慎重に歩を進める。
倒れ込んだ男たちを越え、周囲を警戒しながら十分な距離を取ったところで彼は口を開いた。

「……いるんですか?」

この状況、見覚えがありすぎる。こんな人外じみた芸当ができる人間は"彼女"しかいないだろう。
そう思って声をかけたバーボンだったが、その場は変わらず静寂に包まれている。

「目的はなんです?これで僕に恩でも売ったつもりですか」

そう続けるが、"彼女"が姿を見せることもなければ、問いかけへの返答が得られることもなかった。だんまりか、と忌々しげに舌を打ち、目的地に向けて踵を返す。

そして指令通りに事を終えた後、愛車に乗り込んだバーボンは助手席のベルモットに向かって切り出した。

「今回、僕以外にも誰か投入しました?」
「……いいえ?なぜそんなことを」

怪訝そうに眉を寄せたベルモットを見て、彼にもまた疑問が湧く。

「いえ…、予想以上にスムーズに事が進んだものですから」
「あら、よかったじゃない」

組織からの依頼でないなら、なぜあそこに"彼女"がいたのか。計り知れない能力を有する彼女のことだ。一幹部に恩を売ったところで、何かメリットがあるとも思えない。
彼は隣の女に仕掛けてみることにした。

「そういえば、いつになったら僕にも教えてくれるんです?」

―――"彼女"のこと。

言い終わると同時に、ベルモットから険しい視線が飛ぶ。

「あなた、まさか探ってるの?」
「いえ、ふと気になっただけですよ。お見かけしたのもあの一度きりですし……もしかしてまだフラれ通しですか?」

くす、と笑ってみせると、彼女は睨みつけるように双眸を細めた。

「それ、死にたくなかったらジンには言わないことね」
「相変わらずご執心ですか」
「ジンも、"あの方"もよ」

そもそも彼女のことはトップシークレット扱いなのだとベルモットは言う。

「存在を知るのはごく一部の幹部だけ。顔と名前を知るのはさらに少数……。あらぬ疑いをかけられたくなかったら、興味本位で近づかない方がいいわ」

そのベビーフェイスに風穴を開けられたいなら話は別だけど、と彼女は妖艶に笑った。

(なるほど、ベルモットは顔も名前も知っているらしい)

「ご忠告痛み入ります」

スコッチを殺した暗殺者。何が目的かは知らないが、近づいてくるなら絡め取るまでだ。
獣のような荒々しさを押し隠して、バーボンは完璧な笑みを貼りつけてみせた。




***




コンコン、とリビングの掃き出し窓を叩く音に気付いて、諸伏はカーテンを開けた。

「ナマエ!?」

慌てて窓を開けると、大量の荷物を抱えたナマエがベランダで靴を脱いで部屋に上がってくる。

「ごめん、エントランスの監視カメラに映りたくなくて」
「えっ、ていうかそれ……」

ナマエの両腕に抱えられていたのは銃火器類だ。自動拳銃にリボルバー、サブマシンガンまである。肩にかけているのはライフルだ。

「悪い人たちから取り上げたの」

彼女はそう言って微笑んだ。

「切るのも丸めるのも目立つから持ってきちゃったけど……どう処分しようかなあ」

それらを床に無造作に放るナマエを見て、諸伏は回らない頭でふわっと答える。

「ええ…?まあ明日は一応不燃ごみの回収日だけど……」
「本当?じゃあ丸めちゃう」

早速その場に座り込んで銃火器を素手で鉄塊に変え始めたナマエに、諸伏は考えることを諦めた。
彼女と暮らしていくには慣れと諦めが肝心だ。色々な意味で。

「…そういえばナマエって、試しの門はいくつまで開けられるんだ?」

試しの門とは、ゾルディック家名物でもある巨大な入り口のことだ。一番軽い扉でも左右で4トンある。

「んー、念使って全力で5までかなあ」
「あーなるほど…64トンね……」

確か弟のキルアもキメラ=アント編終了時には5の扉を開けていたはずだ。
そりゃ銃火器も丸まりますよね、と諸伏は思わず遠い目をした。


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