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「ねえ、ヒロ。ここなんて読むの?」
「ん?見せて」

ナマエのスマートフォンを覗き込んだ諸伏が、「"初詣"だよ」とメールの一部を読み上げる。

「はつもうで……なんか人がいっぱい集まるやつ?テレビで見たかも」
「神社とかお寺にお参りするんだよ。一年の感謝をして、新年の無事を祈願するやつ」
「ふーん…?」

説明を聞きながら、自分には縁遠そうなイベントだな、とナマエは思った。

「え、もしかして松田に初詣誘われてる?」
「うん」
「めちゃくちゃ仲いいな!?」
「そう?」

なぜか諸伏はショックを受けたような顔をしている。

秋に松田と再会して連絡先を交換して以降、彼からはこまめにメールが届く。漢字が苦手なナマエはメールも苦手だと伝えたのだが、ご丁寧にもひらがな多めで送りつけてくるのだ。
しかも彼はとにかく返信が早い。一生懸命打ち込んだメールを送信して達成感を味わっているうちに、すぐ次のメールが届くのだから心が折れる。
返信が滞ると電話がかかってくるので、最初から電話にしてくれとナマエは思っている。

「あ、もしかしてナマエの好きな人って」
「ちがう」

即答しながら、ふいっと顔を逸らす。
この話題になるとすぐに顔が赤くなってしまうからだ。

「(可愛い…)そういえば、その人とはその後どうなんだ?」
「……どうもないよ」
「会ったりは?」
「一回見かけただけ」

正確には、見かけて周囲の人間を昏倒させただけ。あとついでに武器も持ち帰った。

「名前は聞いたのか?」

その質問に、ナマエは思わず目を瞬かせた。
そういえば一緒に仕事をした時にコードネームを聞いたような気がしないでもなかったが、覚えていない。

「そういえば、知らない……」

考えてもみなかった、という顔で呟くナマエに、諸伏もまた驚いていた。

「え、そうなの?」

見るだけで満足、と言っていた彼女だったが、まさか本当にそのレベルだったとは。
最近なら小学生の方がまだ恋愛らしいことをしているのではないだろうか、と諸伏は失礼なことを考えた。

「何やってる人かとか、それも知らないのか?」
「あ、それは……」

答えようとしたナマエが、不意に口を噤む。
それから少し目線を下げて、「ヒロには言えない」と答えた。

「えっ」
「ていうか……お巡りさんには言えない、かな?」

そう言って小首を傾げたナマエに、諸伏はまた「えっ」と声を漏らした。

「ちょ、それって」

つまり犯罪者では、と口に出しかけて、オレは暗殺者相手に何を言おうとしてるんだ?と思い直す。
そして自分は今その暗殺者に匿われている警察官なのだと思い至って、諸伏は複雑な気持ちになった。

「……名前、聞けるといいな」

かろうじてそれだけ絞り出すと、ナマエは目元を赤らめて小さく頷いた。




***




「あけおめー」
「メールでも言ったけど」
「そういうもんなの」

ふーん、と相槌を打ちながら、ナマエは目の前の松田を眺めた。
黒いスーツもサングラスもない松田は、童顔も相まって27歳には見えない。学生でも十分通用しそうだ。
背も高く整った顔立ちをしているからか、周囲から視線が集まっているのがわかる。

「どうした?」
「みんな陣平を見てるなって思って」
「はあ?」

半目で片眉を上げた松田が、「人のこと言えんのか」と呆れたように返した。

「つーか薄着すぎだろ。寒くねーの?」

二人がいるのは早朝の神社だ。
初詣に訪れる人でごった返す中、薄手のコートを羽織っただけのナマエは目立つらしい。

「山育ちだし、寒さには強いよ」
「山って……山か…」

松田の脳裏には聳え立つククルーマウンテンが思い浮かんでいるのだろう。早朝の爽やかな空気に似つかわしくないものを想像したせいか、彼は萎えたように肩を落とした。

「まーとりあえず、お参りするか」

松田は参道の真ん中を歩くなだの、鳥居の前で一礼しろだの、参拝マナーをナマエに叩き込んだ。この男、意外と細かい。
手水舎で見よう見まねで手と口を清め、二人は拝殿へと向かう。

「えっと…一年の感謝と、新年の無事を祈るんだっけ」
「そーそー、そんな感じ。俺は普通に色々お願いするけど」
「お願いかあ……」

神頼みなんて経験がないので、正直思いつかない。
そうこうしているうちに順番が来てしまったので、とりあえず「一年ありがとうございました」と心の中で唱えて終わった。

「よし、次はおみくじだな」
「おみくじ?」
「運試し」

そう言う松田に促され、おみくじ売り場でおみくじを買う。
松田は大吉だったらしく開いて早々ガッツポーズをしている。ナマエが漢字ばかりで読めないと言うと、松田が代わりに読み上げてくれた。

「お、中吉。まずまずだな。えーと、まず願望がー、」

言い回しが難しくあまりピンとこないが、うんうんと頷きながら聞く。

「恋愛。良い人だが危うい、深入りは禁物」

えっ、と思わず声を漏らしたナマエに、松田が言葉を止めてこちらを見た。

「ん、何?もしかして好きなヤツいんの?」
「いない」

即答したが、例によって顔が熱くなるのを感じて顔を逸らす。

「えっ、何、マジで?」

松田の声のトーンが上がった。

「なんだよナマエちゃんー、可愛いとこあんじゃん」

覗き込もうとしてくるのを避け、距離を取ろうと歩き出す。すっかり面白がっている様子の松田がその後を追いかけた。
そして長い脚でナマエを追い越し、その顔を覗き込む。

「おい、待てってナマエ………え?」

眉間に皺を寄せ、唇を引き結んでいるナマエはどう見ても不機嫌だが―――なんせ顔が赤い。潤んだ目で鋭く睨みつけられ、松田は思わず硬直した。

「……あんまり調子に乗ってると、腕の一本や二本…もぐからね」

二本もがれたら生きていけませんけど、というツッコミも忘れて、松田が目を瞬かせる。彼女がやると言ったらやるのだろうが、顔が赤いせいか全く怖くない。

(なんだこの可愛い生き物?)

奇しくもそれは、彼の同期と全く同じ感想だった。




***




(ていうか、元々深入りするつもりはないんだった)

雑煮の餅をにょーんと伸ばして食べながら、ナマエは落ち着きを取り戻していた。
コードネームすら知らないような現状で、深入りも何もないだろう。

「え、これオレに?」
「うん、お土産」
「嬉しいよ。ありがとな」

諸伏が開けた包みには、無病息災のお守りが入っている。
彼には雇用終了まで健康で美味しいご飯を作り続けてもらわなくては。

「ヒロはもう外出する気ないの?」

大観覧車の爆発騒動以来、彼はまた引きこもり生活だ。染めた髪も剃ったヒゲもすっかり元通りになっている。
たまに高所散歩に連れ出してはいるが、普通に出歩きたいという願望はないのだろうか。

「うーん、トレーニングも部屋でできるしなあ」

彼の部屋にはルームランナーやエアロバイクなどのトレーニングマシンが揃っている。報酬の使い道が健全すぎである。

「ナマエが誘ってくれたら考えるけど」
「ふふ、また爆発騒ぎが起きないといいね」
「不吉なこと言うなよ……」

諸伏がげんなりした表情を浮かべたところで、ナマエのスマートフォンが着信を告げた。

「あ、ジンだ」
「げ」

雑煮のお椀と箸を置き、ナマエが電話に出る。

「あけましておめでとうございます」
『……ああ、おめでとう』

おっ、とナマエが目を丸くしたのを見て、諸伏も「まさか」という顔をした。どういう風の吹き回しだろうか。

「どうしたんですか?やけに素直ですね」
『てめぇは本当に一言多いな』
「ふふ、すみません」
『……まあいい。今から出てこい』

買ってやった服と靴で、場所も前と同じだ。それだけ言って電話はあっさり切れた。
仕事の依頼や勧誘ではなさそうなので、またバーで酒でも飲むのだろうか。

「なんか、今から出てこいって」
「組織関係の話じゃなさそうなのか?」

さあ、とナマエは首を傾げる。

「とりあえず行ってこようかな。依頼なら受けずに帰ってくる」
「わかった、気を付けてな」

ごちそうさまでしたと手を合わせ、自室で以前買い与えられた服に着替えた。
買ってもらってしばらく経つが、普段着る機会もないので袖を通すのはこれが二回目だ。

コートを羽織り、これまたしまい込まれていたパンプスを取り出して玄関で履く。

「あ、ヒロ」
「ん?」
「明日の朝ご飯、あれ食べたい。甘い玉子焼きが巻いてあるやつ」
「伊達巻きか。わかった、仕込んどくよ」

やった、と笑いかけてから、行ってきますと家を出る。

しかし残念ながら、彼女がそれを食べることは叶わなかった。


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