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「直近三件分の報酬ですね。確かに」

手のひらサイズのアルミケースを閉じ、紙袋に戻す。中に入っていた瓶にそれがぶつかってカチャッと軽い音を立てた。

「じゃあ、私はこれで」
「ナマエ」

背を向けたナマエをジンが呼び止める。彼が本名で呼ぶなんていつぶりだろうか。
ナマエが無言で振り向くと、ジンは細く紫煙を吐き出していた。

「昨夜、幹部の一人が警視庁からノックリストを盗み出した」

ノックリスト、とナマエが音に出さず繰り返す。ノック―――NOC。"Non Official Cover"の頭文字だ。
それが潜入捜査官を指す言葉だと赤井に聞いたのはつい最近のことだった。

「これで組織に潜り込んだキツネどもを綺麗さっぱり始末できる」
「……」
「……だが、残念ながらその情報は完全なものじゃなかった」

何が言いたいのだろうと、ナマエはじっとジンを見つめている。

「現時点でNOCと疑われている幹部はあと二人……キールと、バーボンだ」

ピク、とジンの死角でナマエの指先が動く。

「バーボンはお前の大事なパートナーサマだろう。疑いを晴らしてやりたいとは思わねぇか?」
「……私が?」
「ああ、奴とは長い付き合いだ…最後に弁解のチャンスをやろうと思ってな。お前は俺の指定する場所に奴を連れて来るだけでいい」

ナマエは表情を変えず、淡々と返した。

「あいにく私は彼が普段どこで何をしているか知りませんし……ベルモットの方が適任では?」
「そうか?」

煙草を咥えたままのジンが距離を詰めてくる。ナマエが避けずにいると、ジンは彼女の体を壁に押し付けた。
抱えていた紙袋の中身がガチャンと耳障りな音を立てる。

「俺の見立てじゃあ、バーボンを随分と気に入っているように見えたんだがな……」
「…合ってますよ。彼との仕事は楽なので」

一拍置いて、「でも」と続ける。

「私は組織とは関係ないですし……NOCとかNOCじゃないとか、内輪の話には興味ないです。ご勝手にどうぞ」

言い終えたところで、チャキッという金属音が鳴る。ナマエの顎先に押し当てられたのは冷たい鉄塊だ。

「あんまり調子に乗るんじゃねぇぞ……いくらお前でも、ゼロ距離で撃たれたらその澄ました顔が吹っ飛ぶぜ」
「……試してもらっても構いませんけど」

すっと細められたナマエの瞳と、ジンの冷たい瞳が交錯する。
少しして、舌打ちをしたジンが煙草を床にプッと吐き出す。それを足先で踏み潰してから、彼がまた顔を上げた。

「調子に乗るなと言ったはずだ。それともなんだ、鉛玉よりコッチの方がお望みか?」

銃口で強制的に顎を上げさせられ、上を向いたナマエにジンの顔が近づいてくる。
その薄い唇に噛みつかれそうになったところで、ジンの動きがピタリと止まった。

「チッ」

その顔が離れていくのを見届けてから、ナマエもまた爪先を尖らせた右手を下ろす。
ジンは銃を仕舞うと彼女に背を向けた。

「気が向いたら来い。あのいけ好かない顔に風穴が空くところを見せてやる」

そう言ってジンが告げたのは、バーボン達の尋問に使うらしい場所とその時間だ。
ナマエはそれに返事をすることなく、無言でその場を後にした。



(ビックリした……キスされるかと思った)

夜道を足早に進みながら、ナマエは自身の唇に触れる。
こちらの男ってやたらキザというか、手慣れている気がするのだが気のせいだろうか。あちらでは命のやりとりばかりだったナマエにとって、なんとも心臓に悪い世界である。

(……バーボン、疑われてるんだ)

彼がNOCであるかどうかなんて、そんなのはナマエにとってはどうでもいいことだ。
ナマエは組織の人間ではないし、彼がどんな思惑でそこにいようと関係ない。

それでも、彼が殺されてしまうのだけは困る。組織に対してはなんの思い入れもないナマエだが、彼に対してはあるのだから。

(うーん、どうしようかな……)

自宅へと向かいながら、ナマエはぐるぐると思考を巡らせていた。




***




ベルモットの案内でバーボンが連れてこられたのは、埠頭の倉庫街だった。
暗く埃っぽい倉庫にはひんやりとした空気が漂い、唯一の光源である天井のライトが彼らの顔を頼りなく照らしている。

そんな中、バーボンはキールとともに一本の鉄骨に拘束されていた。後ろ手に掛けられているのはシンプルな手錠だ。このくらい、時間さえ稼げれば抜け出せるのだが。

「我々にNOCの疑いがかかっているようですね…」
「キュラソーが伝えてきたノックリストに、お前達の名前があったそうだ」

バーボンの問いに、ライトを背に座ったジンが答える。キュラソーとは確か、組織のNo.2であるラムの腹心だ。

「僕達を暗殺せず拉致したのは、そのキュラソーとやらの情報が完璧ではなかったから。違いますか?」
「ふっ…さすがだな、バーボン」

バーボンの推測をジンは肯定した。逃走中に事故を起こしたキュラソーは記憶喪失となり、正確な情報が確認できないらしい。
それを聞いたキールはまずキュラソーを奪還し、情報の正誤を確かめるべきだと話す。
しかし残念ながらジンは、そんな悠長な話が通じるような男ではない。

「疑わしきは罰する。それが俺のやり方だ。さあ……裏切り者の裁きの時間だ」

向けられた銃口が轟音とともに火を噴き、容赦なくキールの腕を抉る。致命傷ではないものの、彼が本気であることを知らしめるには十分だった。
ジンはキールとバーボンに、生き残りたければ相手を売るよう告げる。そしてウォッカによる60秒のカウントダウンが始まった。

「ジン!まさか本気で…」

ベルモットが制止するが、カウントダウンは止まらない。

「まずは貴様だ、バーボン」
「3、2、1……ゼロ」

ジンが引き金を引く直前、一発の銃声とともにライトが落ち、倉庫内が暗闇に包まれた。

「なんだ、どうした!」
「ライトが!」

その隙に乗じて手錠を外したバーボンが、物陰へと身を隠す。

「バ、バーボンがいない!逃げたわ!」

スマートフォンのライトで照らしたベルモットがそれに気付くが、次の瞬間倉庫のドアが鈍い音を立てて開く。
バーボンが逃走したと見たジンがウォッカに指示を出し、ウォッカがそこから駆け出していった。

(こんなことができるのは……赤井…!)

一発で正確にライトを落とした手腕といい、あの男の仕業に間違いないだろう。
組織にいた頃から何かと反りの合わない男だった。奴に助けられたと思うと感謝より先に虫唾が走る。

「チッ……おい、キール」

舌打ちをしたジンが、キールに銃口を向けようとして息を呑むのがわかった。

「……これは…!」
「!ジン、銃が」

バーボンの位置からは窺えないが、どうやらジンの銃にトラブルが起こったようだ。
彼は銃を投げ捨てたらしく、ガシャンと大きな音が倉庫内に反響する。

「チッ、あの女…!おい、いるなら出てきやがれ!」

ジンが苛立たしげに声を上げるが、それに答える者はない。

(あの女……?)

バーボンにはジンを手玉に取れる女に一人だけ心当たりがあった。だが彼女がこんな場所に現れるだろうか。

「……ジン、ラムから連絡があったわ。キュラソーからメールが届いたそうよ。二人は関係なかったと」
「フン……」

ベルモットの言葉に、ジンが冷静さを取り戻す。
彼はキャンティに電話をかけ、なんらかの準備を指示する。そして公安とキュラソーの行き先が東都水族館であることを告げ、戻ってきたウォッカとベルモットを伴って倉庫を出て行った。

「キール」
「バーボン!」

彼らの乗った車が去ったのを確認し、バーボンが物陰から姿を現す。
彼らはどうやら、キュラソーを奪還するまでキールを解放するつもりはないらしい。

「すみません。怪我、手当てしたいのはやまやまなんですが……」
「仕方ないわ。掠っただけだし大丈夫」

そのまま倉庫を出ようとして、バーボンは足元に転がるジンの銃に気付いた。

その銃身は鋭利な刃物でギリギリまで水平に切り込まれていて、上半分が微かに反り返っている。そのまま撃てば銃弾がどう飛ぶかわからないだけでなく、最悪暴発の可能性すらあるだろう。
完全に切断しなかったのは、切り離されたパーツの落下音すら立てないようにするためだろうか。

これを引き金が引かれる直前―――つまりライトが落とされるのと同時かそれより早く、ジンに一切悟られずにやってのけたのだ。
こんな人外染みた芸当、彼女以外できない。

(……ギムレット。来ていたのか)

どうやら自分は嫌いな人間二人によって命を繋がれたらしい。
思わず眉間に皺が寄りそうになるのを堪えながら、バーボンは夕焼けで赤く染まる外へと飛び出した。


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