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「ええ〜っ!」

ポアロに向かう途中、進行方向から聞こえた悲痛そうな声に、ナマエは足を止めた。

(あ、コナンくん。シェリーもいる)

そこは以前、雨の中倒れていたシェリーを連れて行った家だ。
その家の前に集まった子供たちが何やら騒いでおり、家主と思しき白髪頭の男性が困ったように頭を掻いている。

「それじゃあ子供スポーツ大会に出られないじゃないですかぁ!」
「五人いなきゃダメなんでしょー!?」
「いやー、仕方ないじゃろ?元太くんだって好きで風邪を引いたわけじゃないんじゃから……」
「まあ実際問題、今からもう一人っていうのも難しいだろーしな」
「今回は諦めましょう……あ」

ため息をつきながら振り向いたシェリーが、ナマエに気付く。目が合ったナマエが手を振ると、彼女はほんの少しだけ表情を緩めた。

「灰原、どうし……あっ、ナマエさん」

同じくナマエに気付いたコナンが、小走りに駆け寄ってきた。

「怪我はもう大丈夫なの?」
「うん、バッチリ」

ナマエが親指と人差し指で丸を作ってみせる。コナンの後ろから近づいてきたシェリーは、二人の会話に眉根を寄せた。

「怪我…?あなた、何したのよ」
「灰原、お前知らなかったのか?」
「だから何をよ」

ムッとした表情のシェリーに、どう説明すべきか迷ったコナンがナマエにチラッと視線を寄越す。

「東都水族館で観覧車が倒れた時…えーと、哀ちゃん…もゴンドラにいた?」
「? ええ」
「ゴンドラを下ろしたのも、観覧車倒したのも私なの。手荒なことしてごめんね」

ナマエの言葉にシェリー、もとい哀が珍しく鳩が豆鉄砲を食らったような顔になる。隣のコナンは呆れたように目を細めて「そこ言っていいんだ」という顔をしていた。
そこに、コナンと哀がいないことに気付いた子供たちが駆け寄ってくる。

「あれー、お姉さん誰ー?」
「コナンくんと哀ちゃんのお友達だよー」

自己紹介をすると、二人はそれぞれ歩美と光彦と名乗った。二人に遅れてきた家主の男性は阿笠博士というらしい。
どうやらもう一人の子供が風邪を引いてしまい、出る予定だったイベントへの参加を諦めざるを得ない状況のようだ。

「最低五人以上のチームでないと出られないんです…」

そう言って光彦はシュンと肩を落とした。その姿を見て、ナマエが少し考え込む。

「ふーん……ねえ、みんな」

ナマエが微笑みながら子供たちを見回すと、彼らはきょとんとした表情で彼女を見つめ返す。

「よかったら私の親戚の子、混ぜてあげてくれないかな?」
「えっ!?」
「いいんですか!?」

その提案に、歩美と光彦がパアッと顔を明るくした。

「ナマエさん、親戚の子なんているの?」
「いるの。うち大家族なんだから」

コナンの問いかけに軽く返していると、興奮した様子の歩美が「ねーねー!」と声をかけてくる。

「その子のお名前は!?」

ナマエは口元に手を当てて「んー」ともったいぶってから、ふふっと笑う。

「キキョウっていうの。よろしくね」




***




キキョウ。そう名乗った少女の正体はもちろん薬で縮んだナマエだ。
母の名を借りた彼女は、以前幼児化した際に買い込んだ子供服を着て、諸伏に結んでもらったツインテールをなびかせながら彼らの前に姿を現した。

哀にはバレるかと思ったが、彼女の様子を見るに幼児化したり戻ったりを繰り返すというのは通常あり得ないことのようだし、ナマエ本人であると指摘されることはなかった。
もちろん、効き目の短さは完全にナマエの耐毒体質の賜物である。

「キキョウちゃんすごい!足が速いね!」
「さっきのドッヂボールも凄かったです!」
「ふふっ、ありがとう」

子供たちの賛辞を浴びてキキョウは笑う。
子供スポーツ大会はミニゲーム形式でさまざまなスポーツを楽しみつつ、その最終成績を競うというもののようだ。
小学生は学年ごとに等級が分けられていて、彼らが出場しているのは小学一年生の部だ。

「キキョウちゃんって家はどの辺なの?」

あからさまに探りを入れてくるのはコナンだ。
幼児化を疑っているわけではなさそうだが、ここぞとばかりにナマエの情報を得ようとしてくる。

「内緒だよー」
「ナマエさんちに遊びに行ったことは?」
「内緒だってば」
「じゃあフルネームくらい教えてよ」
「ひーみーつー!」

子供というのは「内緒」「秘密」のゴリ押しが痛々しくないから楽なものだ。大人でこれを連呼するのは、なかなかに恥ずかしいものがある。

「…じゃあ、ナマエさんってお仕事何してるか知ってる?」
「知らないよー」
「じゃあ、」
「コナンくんしつこーい!」

ふふっと笑うキキョウに、コナンは口元をピクピクと引き攣らせた。
彼女は今日、ここに色々なものを発散しに来ているのだ。純粋にスポーツを楽しませてほしい。

(でも昨日はストレス溜まらなかったな)

今日もいつものルーティンでポアロに向かおうとしていたナマエだったが、よく考えたら昨日のバーボンとのやりとりは特にストレスに感じなかった。
彼の口調はいつも通りでも、なんとなく優しくされたように感じてしまったからだろうか。―――あれを優しいと感じるあたり、色々と麻痺しているような気もするが。

「……彼の知りたがりには困ったものね」

コナンを振り切ったキキョウが飲み物でも買おうと歩き出したところで、哀が呆れたような表情で話しかけてきた。

「コナンくん、探偵なんだっけ?」
「ええ、なんでも気になるみたい」
「哀ちゃんも大変だねー」
「もう慣れたわ」

そう言ってため息を吐く彼女はひどく大人びている。演技するつもりが微塵もなさそうなのが彼女らしい、とナマエは心の中で笑った。
自販機で飲み物を買い、哀と一緒にみんなのところへ戻る。

するとそこに見慣れた後ろ姿を発見し、二人は足を止めた。

「近くを通りかかったら見覚えのある車が停まっていたので。よかったらこれ、空き時間に皆さんでどうぞ」
「おおっ!これはすみませんな」
「いえいえ。実はランチタイムに余ったもので、一人では食べきれなくて……食べてもらえると僕も助かります」
「わーい!やったー!」
「ありがとうございます、安室さん!」

背の高い金髪の男が、阿笠博士に紙袋を差し出している。

「…私、ちょっとお手洗いに行ってくるわ」

隣にいた哀がスッと踵を返した。まあバーボン相手ではそうなるか。

「あ、キキョウちゃん!おかえりー!」

キキョウに気付いた歩美がぶんぶんと手を振る。それを無視するわけにもいかず、笑顔を浮かべて駆け寄った。

「この人、安室さんっていうの!ポアロで働いてるんだよ」
「へー……。キキョウです、初めまして」

挨拶をしながら見上げる安室は、子供目線だとおそろしく大きく感じる。
その距離感に思わず顔を引き攣らせていると、彼はニッコリ笑ってしゃがんでくれた。

「初めまして、キキョウちゃん。僕は安室透です。よろしくね」
「よ、よろしくお願いします…」
「安室さん。キキョウちゃん、ナマエさんの親戚なんだって」

コナンがすかさず彼女を紹介する。
以前は「安室さんが悪い人だったら…」なんて警戒心を露わにしていた彼だが、最近は探偵仲間としてわりと気さくに接しているように見える。

「へえ、ナマエさんもここに?」
「ううん。用事ができたからって、来れなかったんだ」
「そっか…それは残念だな。今日はポアロでも会えなかったから」

残念そうに眉尻を下げた安室の姿に、キキョウはウッと胸元を押さえた。

「でも、ナマエさんがポアロに来る日って決まってないよね?」
「まあね。でも会いたいと思った日に会えることが多かったから、つい」
「ふーん」

キキョウの足が小鹿のようにプルプルと震える。なんだこれ。聞いてていいのだろうか。

「もしかして安室さんってナマエさんが好きなの?」

コナンの直球質問に膝から崩れ落ちそうになる。この子はこんなところでなんてことを聞くんだ?もしかして幼児化バレてる?

「君の詮索好きは相変わらずだな」

ふっと笑った安室は、その問いに答えるつもりはないようだった。それに思わず安心していると、安室の視線がキキョウに向いた。

「キキョウちゃんからナマエさんに伝わるのも恥ずかしいし、そこは内緒にしとくよ」

そう言ってパチリとウインクを決めてみせた安室に、結局キキョウはへなへなとその場にくずおれた。

(この人のウインク、攻撃力高すぎない?)

それは常々思っていたことだった。

「キ、キキョウちゃん?」

コナンが心配そうに覗き込んでくる。

「……む、むねがいたい」
「おや、それは大変だ」

突然の浮遊感にキキョウが「わっ」と声を上げる。そして驚くほど近いところにある端正な顔に目をひん剥いた。

「医務室に行くかい?」

―――安室透に抱っこされている。

「いいいいいえ、大丈夫ですっ」
「そう?無理はよくないと思うけど…」
「本当に大丈夫です!次のフットサルもその次のバスケも楽勝です!」

全力でアピールすると、安室がプッと吹き出した。

「ははっ、タフな子だな。それだけ元気なら大丈夫そうだ」

いつもよりどこか人間味のある笑顔に、やっぱり心臓止まるかも、とナマエは思った。
安室は笑いながらキキョウを地面に下ろし、「うん、確かにナマエさんそっくりだね」と感心したように頷く。
それが顔のことなのか、安室への反応のことなのかは怖くて聞けない。

結局その後、色々なものを競技にぶつけたキキョウの活躍もあり、彼らは小学一年生の部で優勝した。

そしてキキョウは、その日のうちに元のナマエに戻った。
薬の効き目が前回よりさらに短くなっていたこともあり、彼女は今度こそAPTX4869を封印したのだった。


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