33


その日、ポアロで松田を待っていたナマエだったが、非番のはずが急な出動で来られなくなったというメールが入った。

(お巡りさんだし、仕方ない)

しかも彼は爆発物処理班という部隊に所属しているようだし、出動するということは彼の行く先に爆発物があるということだ。責任重大すぎる。

(がんばって、と)

短いメールを返すと、彼からは相変わらずおそろしい早さで返信が来る。

「おや?浮かない顔ですね、ナマエさん」

ハッとして顔を上げると、そこには安室がトレンチ片手に立っていた。

「あ、陣平……待ち合わせ相手が来られなくなっちゃって」
「…そうでしたか、それは残念ですね」

どこか棒読みでそう言いながら、安室はトレンチに乗っていた皿をナマエに差し出した。

「え?」
「そんなナマエさんにサービスです」
「また?」

皿に乗っているのは以前とは違う、これまた美味しそうなケーキだった。

「新作なんですけど、まだお店には出していなくて。よかったら感想を教えてもらえませんか?」
「……私でいいんですか?」
「もちろんです」

ニッコリ笑った安室を直視できずに視線を彷徨わせ、かろうじてお礼を言う。
カウンターの向こうに安室が戻るのを見届けてから、ナマエは松田からの一番新しいメールに目を通した。

(うわっ)

それを読んだ途端、目尻がじわっと熱を持つのがわかる。

(……うぅ……無理だから…)

ぎゅうっと目を閉じてそれをやり過ごし、少しして瞼を上げるとカウンター越しの安室とバッチリ目が合った。
思わずバッと顔を逸らしたナマエだったが、きっと真っ赤な顔も見られていたんだろう。恥ずかしさで死ねる、とウーウー唸りたい気持ちを抑えて奥歯を噛み締めた。

『埋め合わせは今度するから、今日の映画は安室サンでも誘えば?』―――なんて、無理難題にも程がある。

(陣平、絶対面白がってる……)

彼女は『むり』とだけ返して、目の前のケーキに向かうのだった。



一方の安室はメールを見て赤面したナマエにモヤッとしつつも、立場上、彼がそんな感情を認めるはずもなく。
相手がよく知る松田だから面白くないのだということにして、いつも通りの笑顔を貼り付けていた。

二人の距離は、まだ変わらない。




***




「キッド……って?」
「やっぱり知らないんだね……」

ナマエの世間知らずにも慣れたのか、コナンは呆れた表情を隠しもしない。

結局、地を這うような恋愛偏差値のナマエが安室を誘えるはずもなく、時間を持て余した彼女はコナンの呼び出しに二つ返事で応じていた。

「怪盗だよ。予告状の日時が今夜なんだ。相手はハンググライダーで滑空できるから、ナマエさんがいてくれたら助かると思って」
「私も空は飛べないけど」
「ビルからビルに跳べたら十分だよ」

つまり彼女はコナンの足だ。
話を聞くとどうやら彼と怪盗キッドは宿敵とも言える間柄で、度々こうしてやり合っているらしい。
キルアといい、どの世界にも天才っていうのはいるものだな、とナマエは呑気なことを考えていた。

「じゃあ目的の場所にコナンくんを連れて行ったら終わりでいい?」
「それでいいよ。後はボクがやるから」

なんとも頼もしい回答である。
ふーん、と軽く返しながら、ナマエの脳裏には見たこともない怪盗キッドの姿が浮かんでいた。
ビッグジュエルと呼ばれる巨大な宝石を狙う、神出鬼没の大怪盗。正直、財宝ハンターのナマエとしては探偵よりこちらの味方をしたいところだ。

そして夕方には現場の下見にも付き合わされ、そうこうしているうちに夜になった。
宝石が展示されている美術館には多数の警察官が配置されている。ナマエは暗号もトリックもわからないので、ただコナンの隣で待機するのみだ。

しばらくして予告の時間になると、辺りに煙幕が立ち込める。

「来たぞー!キッドだ!」

警察官たちが騒ぎ始める中、コナンはまだ動かない。
警察といえどナマエにとっては一般人の集まりだ。"円"なしでも近くの気配は読めるので、彼女も警戒はしていない。

「……ナマエさん、こっちだ!」

しばらく辺りに視線を走らせていたコナンが、ナマエを誘導する。それについていくと美術館の裏庭に出た。

「あのマンションだ!屋上に連れてって!」
「はーい」

彼が指差したのは背の高いビルの陰に隠れ、月明かりすら届かないマンションだった。
ナマエはコナンを抱え、軽快な足取りで走り出す。外壁を駆け上がって屋上に到達すると、確かにそこには人の気配があった。

「げっ……いつもよりはえーな、名探偵」

黒い服で闇に溶け込んでいた人影が、光の届く給水タンクに飛び乗ると同時に純白の衣装へと早変わりする。
その一部始終を目にしたナマエが、微かな既視感を覚えた。

「さーて、今宵も月下の追いかけっこと……えっ?」

タイミングよく雲が晴れて月明かりに照らされた二人―――おもにナマエの方を見て、怪盗キッドの口上が止まる。

「おい、いつものキザな台詞はどーしたよ」
「え?あー、いや……」

何やら動揺している様子のキッドに首を傾げつつ、ナマエはコナンに声をかける。

「私の仕事はここまででいいよね?」
「うん、ありがとうナマエさん」
「足なくなるけど平気?」
「この屋上から一歩も出さないから大丈夫」

コナンの視線はナマエの方を向くことなく、目の前の宿敵を鋭く見据えている。ナマエはその子供らしからぬ目つきに思わず感心した。

「じゃあ、頑張ってね」

短く声を掛け、ナマエは屋上から身を投げ出すようにしてその場を離れた。




***




ナマエが二人の前から去ってしばらく。
快斗は民家の屋根に座り、あちこち痛む体を揉みほぐして息を吐いた。

(あのボウズ、相変わらず容赦ねぇの……)

恐ろしいパワーで蹴り出されたボールは彼の右頬を掠め、チリチリとした痛みが今も続いている。あれが顔面に当たっていたらと思うとおそろしい。
ほうほうの体でなんとか撒くことには成功したものの、毎回「もう会いたくない」と思わせてくれる相手だった。

快斗は盗み出したビッグジュエルを月に翳すが、石にはなんの変化も見られない。

「……くそ、またハズレか」

これだけ体を張ってるんだ。そろそろ見つかってもいいんじゃないのか、と肩を落としながら宝石をしまい込んだところで、耳元で「何を探してるの?」という女の声が聞こえてバッと振り向いた。

「! アンタ、さっきの……!」

そこにいたのは、小さな名探偵と一緒にいた黒髪の女だ。

「ふふ…コナンくん撒いたんだ。すごいね」

女は口元に手を当てて、穏やかに微笑んでいる。それを見た快斗は自分の予想が正しかったと確信し、詰めていた息を吐いた。この人は―――

「……つーか、あんたナマエさんだろ」
「あれ、知り合いだったっけ」
「クラピカと引き換えにキルアとイルミあげたじゃん」

そう言いながら快斗はモノクルを外し、トレードマークのシルクハットを脱いだ。

「あ、一番くじの」

ナマエがそれを見てポンと手を打つが、そこまで驚いているようには見えない。
きっと怪盗キッドの正体に興味がなかったに違いない。

「やっぱり新一くんに似てるね、快斗くん」

私、一回間違えたの。と感心したように頷かれて、思わず「はあ?」と眉根が寄った。

「それ全然嬉しくねー」
「ごめんごめん」

全然悪いと思っていなそうな顔で笑って、ナマエがその場に座り込む。快斗も少し迷ってからその隣に腰掛けた。
隣を見ると、相変わらず整った顔を月が優しく照らしている。

「正体見せてよかったの?神出鬼没の大怪盗さん」
「だってナマエさんだし」
「なにそれ」
「ナマエさん絶対興味ないじゃん」
「え、なんでわかるのかな」

首を傾げた彼女に、快斗が再び口を開く。

「だってナマエさん……」

―――本物のナマエ=ゾルディックだろ。

そう告げた快斗に、ナマエはぱちりと目を瞬かせてから柔らかく微笑んだ。

「うん、そうだよ」

間違っているとは微塵も思っていなかったが、実際に肯定されてつい安堵のため息が漏れる。

「なんでわかったの?」
「だって前見せてもらったライセンス、グッズじゃなかったし」
「その言葉が嘘かもしれないのに」
「ないね」

自信たっぷりに言い切る快斗に、ナマエが目をほんの少しだけ見開いた。
ようやく見えた驚きの表情に、快斗が満足げに続ける。

「裏の認定ナンバー、あの後どれだけ調べてもヒットしなかったんだ」
「え、あれ覚えたの?」
「俺の記憶力なら楽勝だね」

IQ400をなめてもらっては困る。12桁くらい余裕だ。
それを聞いたナマエは「すごい」とすっかり感心しきっていた。

「ナマエさんが試験に合格したのって10代の頃だろ?ナンバーの下3桁から計算しても辻褄が合うし、本物なのかと思ってさ」
「へえ……」
「それにさっき探偵ボウズを抱えて突然屋上に現れたのも、今俺の背後に現れたのも、本物だと思わないと逆にこえーだろ」
「なるほどね」

ふふっと笑ってから、ナマエは楽しげに目を細めた。

「でも……怪盗の正体に興味はなくても、快斗くんの探し物には興味あるよ」
「財宝ハンターだから?」
「うん。見たところ曰くつきの宝石を探してるみたいだけど」

言い当てられてグッと言葉に詰まる。
確かに彼女の世界には曰くつきの謎めいた代物がゴロゴロ存在しているし、彼の探すパンドラのような物もきっとあるんだろう。

もしかしたら何かアドバイスがもらえるかも、という期待めいたものを感じながら、快斗は自身の目的を告げた。

「……なるほど、不老不死ね」
「そういうの見たことある?」
「あるよ、いっぱい」
「マジか」

想像以上にカオスな世界らしい。

「まあ眉唾物も多いし、本物は"凝"をすれば一発なんだけど…」
「……できねーし」
「だよね」

ふふっと笑うナマエに、快斗は肩を落とした。

「まあ、もし見つけたら教えてあげるから」
「! マジで!?」
「うん。見つけた後どうするかは興味ないけど、探すこと自体は結構好きだし」

元いた世界でのことを思い起こしているのか、遠い目をしたナマエが月を見つめる。
快斗が「ハンターだから?」と聞くと、彼女は「ハンターだから」と嬉しそうに笑った。


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