37
ナマエが安室を警視庁で目撃した翌日。
夕食を食べ終えたナマエと諸伏が、ソファに並んでテレビを見ている時のことだった。
突然テレビからバチバチと火花が走り、爆音を立てて煙が出る。同時に画面も暗転した。
「えっ!?」
慌てて駆け寄った諸伏が、テレビの状態を確認する。
「ダメだ、壊れてる…どうしたんだ?急に」
「なんだろうね」
困った様子でポリポリと頭を掻きながら、「仕方ない、新しくするか」と諸伏がスマートフォンを取り出した。早速新しいテレビを注文するのだろう。
「あ」
手元の画面を見て、諸伏が目を瞬かせる。
「夕方くらいから、あちこちで起きてるみたいだな」
彼が見せてきたのはニュースアプリだ。そこには都内のいたるところで同様の現象が起こっているという速報記事が表示されていた。
ふーん、と興味なさげに呟きながら、ナマエが掃き出し窓を開けてベランダに出る。
外はすっかり真っ暗だが、眼下の通りがいつもより少し騒がしい。
「外も混乱してる。窓から煙が出てる車もあるし、同じことがカーナビにでも起こってるんじゃないかな」
「! それ、めちゃくちゃ危ないだろ」
続いて出てきた諸伏が通りを見下ろす。
「カーナビが突然爆発なんかしたら、大事故に繋がりかねない」
「あ、信号が」
ナマエの目線の先で、今まさにトラックが信号に突っ込んだ。
それをきっかけに次々と車が追突し、辺りにクラクションの音が鳴り響く。
「くそ…!何が起こってるんだ!?」
何もできない悔しさからか、諸伏がベランダの手すりを強く握り締めた。
その表情を見たナマエが一度室内に戻り、またベランダに現れる。彼女はそこで、玄関から持ってきたショートブーツを履いた。
「ナマエ?」
「様子見てくる」
「え?」
重力を感じさせない動きで手すりに飛び乗ったナマエを、諸伏は目を丸くして見つめる。
「大丈夫。深追いはしないし、警察のやることにも首は突っ込まないから」
「ナマエ……」
「状況がわかったら連絡するね」
そう言ってナマエが消えた方向を、諸伏はしばらく呆然とした様子で見つめていた。
***
情報を得ようとナマエが向かったのは警視庁だ。
道中も多くの人や車が立ち往生し、辺り一帯に混乱が生じているのがよくわかる。
どうやらナマエと諸伏が住むマンションの辺りはまだマシだったらしい。警視庁付近は完全に交通機能が麻痺していて、彼女でなければスムーズに辿り着けなかっただろう。
目的地である警視庁を視界に捉えたところで、ナマエは一台の白い車がそこから飛び出してくるのに気付いた。
それは器用にも車と車の間を縫うように進みながら、彼女の横を猛スピードで走り抜けていく。
(……今の)
ナマエの目はそれに乗る二人の姿を捉えていた。
(安室さんとコナンくん……)
彼女は足を止め、一瞬逡巡する。
あの二人があれだけ急いで向かったのだ。その先にこの事態の原因があるか、もしくはさらに大きなトラブルが起きているに違いない。
それにこの状況も、ナマエが闇雲に走り回るより、後でコナンに聞いた方が正確な情報が得られるだろう。
そう判断したナマエは踵を返し、諸伏に電話をかけて「気になることがあるからちょっと回り道する」とだけ伝えた。
安室の車に追いついたナマエは、二人に気付かれないよう"絶"をしたままそれと並走する。
(ていうか、安室さんの運転怖い…!)
彼が見せたのは片輪走行やレッカー車を利用した大ジャンプなど、あちらの世界でもそうそうお目にかかれない驚異のドライビングテクニックだ。
そして今、モノレールの側面を片輪で走る車を見ながら、ナマエはすっかり遠い目をしていた。
(下手に手を出したら逆に事故るな、これ)
助手席のコナンはきっと怖い思いをしていることだろう。彼だけでも抱えて走ってあげたいところだが、正直あれに近付きたくない。
結局ナマエは彼らを乗せた車が建設途中のビルに入っていくのを、少し離れたところから見つめているだけだった。
(一体何しようとしてるんだろう…?)
***
「一ミリでもいい、ずらせるか?」
アクセルをふかして低音を響かせながら、安室は助手席のコナンに問いかけた。
「そのつもりさ……」
そこは建設途中のビルの中で、光源は月明かりのみ。
その薄暗がりで、二人は人知れず秒速10kmを超える飛来物に挑もうとしていた。
「5!4!3!」
発進のタイミングを知らせるため、コナンが鋭い声でカウントダウンを始める。
「2!1……ゼロ!」
同時に猛然と発進したRX-7が、あまりの勢いに車体前方を浮かせながら直進する。
「ダメだ!高さが足りない!」
「上等だ!」
高さが足りないなら上ればいい。
安室はスピードを落とさずコーナリングし、階段を使って宙空へと車体を飛び出させた。
その衝撃に炎と爆風が上がる中、射出ベルトから弾き出したボールをコナンが蹴り上げる。
「いっけぇーっ!」
炎の尾を引きながらカプセルに向かうボールを見届けることなく、コナンの体が重力に従って落下する。
「チッ!」
同じく落ちながらコナンの体を抱き込んだ安室は、上空で炸裂した花火の音を聞きながら、爆破された国際会議場に向かって落下していく。
しかしこのままでは屋上の側面を囲むガラスに突っ込んでしまう。彼は即座に拳銃を構え、そこに全弾を撃ち込んだ。
そして亀裂の入ったガラスを蹴破るために足を構え―――素通りした。
「!?」
それは接触の直前にガラスが忽然と消えたようにしか思えなかった。
しかしそれに驚いている暇はない。ガラスとの接触でスピードを殺すことができなかった二人は、このままでは落下の勢いのまま会議場の屋上に叩きつけられてしまう。
迫る床に安室が身を固くしたところで、彼は腹部に触れるものと軽い衝撃、それからほんのわずかな浮遊感を覚え、次の瞬間には落下が嘘だったかのようにそこに立っていた。
「………は?」
安室がバッと背後を振り向くのと同時に、その腕から離れたコナンも同じ方向を見た。
二人の目線の先では、蹴破るはずだったガラスがそこだけ綺麗に消え失せている。
取り除かれた部分はそのまま地上に落下したのか、床には着弾時の破片がわずかに散らばるのみだ。
「これは……」
安室が咄嗟に辺りを見渡すが、人影はない。
「…まさか」
彼の隣では、コナンもまた驚きに目を見開いている。
しかしその表情にはどこか確信めいたものが浮かんでいて、安室はすっと目を細めた。
「コナンくんは彼女を知っているのかい?」
「!」
半分はカマかけで、半分は確信だ。
今、安室の脳裏には一人の女性の姿が浮かんでいる。それはきっと彼も同じなのだろう。
コナンはハッとした様子で安室を見るが、探るような視線を向けるだけで質問に答える様子はなかった。
その警戒ぶりに、安室がふっと笑う。
「おっと、詮索は君の専売特許だったね」
追及はやめだと言わんばかりの安室をじっと見つめてから、コナンは口を開いた。
「安室さんが誰のことを言ってるのかわからないけど……今ボクが思い浮かべてるのは、いい人なのか悪い人なのかもよくわからない…不思議な人だよ」
「………」
「それでも、たまにこうやって損得関係なく人を助けるから……ヒーローみたいだって思うこともあるんだ」
真剣な表情で言い切ったコナンに、安室は困ったように笑って肩の力を抜く。
「……君には彼女がそう見えるんだね」
そしてコナンもまた、口元に小さく笑みを浮かべた。
「考えてるのが同じ人だとは限らないよ?」
「はは、そうだった」
「…それじゃ、次はボクの番ね」
え?と目を瞬かせた安室に、コナンは「まだ謎は解けてないよ」と続ける。
毛利小五郎を巻き込んだ理由を聞くまで、彼はここを離れるつもりはないようだ。
じっと見つめてくる小さな協力者の問いに答えるべく、安室は再び口を開くのだった。
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