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「家のことには慣れました?」
「まだできないことだらけですけど……自分が使ったお皿を洗うくらいなら、面倒じゃなくなりました」
「偉いじゃないですか」

カウンター越しの安室に褒められ、ナマエは照れくさそうに笑う。

諸伏が出て行ってしばらく経ち、暇を持て余した彼女はポアロへの来店頻度が一気に増えた。そうでもしないと会って話せる相手がいないのだ。
ここなら安室がいなくても梓が相手をしてくれるし、たまにコナンや、コナン繋がりで知り合った蘭や園子も話しかけてくれる。

元々一人で行動することの多い彼女だが、諸伏と長く暮らしたことで一人を寂しく思う気持ちを知ってしまったらしい。
果たしてこれがいいことなのか悪いことなのかは、彼女にはよくわからないが。

「洗濯はコインランドリー、掃除はロボット掃除機ですけど」
「賢いと思いますよ。家事は毎日のことですし、できるだけ楽をした方がいいです。続かなくなるのが一番困るので」
「はー、なるほど」

納得はしたものの、生活力ゼロのナマエが暮らせているのは間違いなく諸伏が通ってくれているおかげだろう。
今は報酬も受け取ってもらえないので、近々ちゃんとお礼をしなくては。

その時、ポアロのドアベルがチリンと音を立てた。
入ってきたのはコナンと、ナマエの知らない色黒の少年だ。後者は高校生くらいだろうか。

ナマエと目が合ったコナンが手を振ってくれたので、こちらも振り返す。続く色黒の少年がペコリと会釈してくれたのを見て、それにも同じように返した。
席に案内した安室に二人は注文を伝え、頭を突き合わせてコソコソと話し出す。歳は離れているがずいぶんと仲がよさそうだ。

「…日付だよ!」

ナマエが松田にメールを返していると、ふと大きくなったコナンの声が聞こえてきた。

「ああ、せやったなァ……よりによって今日は……」
「13日の金曜日……だからですか?」

色黒の少年が独特のイントネーションで答えたところに、続く言葉を奪うようにして安室が話しかけた。
聞いたことのない表現にナマエはちらりとそちらに視線を向ける。

(13日の金曜日?)

そのまま耳を傾けると、どうやら13日と金曜日という組み合わせは不吉とされているらしく、その根拠を安室がつらつらと並べ立てる。
すると他のテーブルの客がそれを後押しするように付け加え、いかに今日という日が縁起の悪い日であるかを主張した。

(ぶつめつ)

また知らない単語だ。気になったナマエがスマートフォンで調べようとしたところで、再びドアベルが鳴って一人の男性が来店し、その男性は早々にトイレへと籠ってしまった。

「ナマエさん?どうかしました?」

安室が話しかけてくれたので、ナマエは彼に聞いてみることにした。

「ぶつめつってなんですか?」
「ええっ」

驚くような声を上げたのは、テーブル席でコナンと向かい合っていた色黒の少年だ。

「なんや姉ちゃん、仏滅も知らんのか」
「え?うん」
「ナマエさんってやっぱり日本の人じゃないんだね?」

コナンの問いかけに「まあね」と答える。
そういえば追及されると面倒だと思ってはぐらかしていたんだったか。

「どこの出身なの?」

ほらきた、とナマエは本日一回目の「内緒」を繰り出した。それを聞いたコナンが見慣れた呆れ顔になる。
正体を明かすのは別にいいが、彼の場合はなんだか面倒臭そうだと思ってしまうのはなぜだろう。

「ナマエさん、仏滅というのは六曜と呼ばれる暦注の一つですよ」

助け船を出すように安室が説明してくれる。
六曜?暦注?と首を傾げるナマエに、彼はわかりやすく噛み砕いて教えてくれた。

「なるほど。じゃあ今日は13日の金曜日で仏滅で、とにかく縁起が悪い日なんですね」
「うっ……」

色黒の少年が頭を抱える。
何か大切なイベントでもあるのか、今日がどんな日かがずいぶんと気になるらしい。

「やっぱ姉ちゃんもそう思うか?」
「え?」
「聞くけど、例えば……例えばの話やで?今日みたいな日に告白ってアリやと思うか?」

なるほど、好きな子に告白がしたいのか。ナマエは納得してから「うーん」と考え込む。

「私は縁起とか気にしたことないからなぁ」
「そうなの?全く?」

目を瞬かせたコナンに「うん」と肯定する。

「大安にも人は死ぬし、仏滅にも人は生まれるでしょう。人の生き死には暦なんかに左右されないよ」

あちらでのことを思い起こしていたせいか、つい表現が物騒になる。
突然生き死ににまで言及したナマエに、コナンと少年はぽかんとした表情を浮かべた。

「い、生き死に……?」
「ああ、ごめん。重かったね。つまり暦より人が大事だって言いたかったんだけど」

呆気に取られた様子の二人に、ふふっと笑いが零れる。

「告白もいつ言われるかより、誰に言われるかが大事なんじゃないかなって」

そこまで言うと、ようやく二人は「なるほど」と感心したように頷いてくれた。

「告白、成功するといいね」
「…ハァ!?せやから例え話やって……」
「諦めろ服部。おめーわかりやすいんだよ」

コナンにツッコまれてギャーギャー騒ぐ少年はどうやら服部というらしい。

「なるほど、ナマエさんはそういうお考えなんですね」
「え?はい」

なぜかにっこりと笑う安室に首を傾げながら肯定したところで、再びドアベルの音が鳴り響いた。

「おいおいマジかよ?まさか俺達が一番乗りとはねぇ……」

予約していたという男女やその連れが続々来店し、ポアロの店内はにわかに騒がしくなったのだった。




***




新たにやってきた客たちのやりとりを気にしながら、服部がコナンにコソコソと話しかける。

「なあ工藤、あのナマエとかいう姉ちゃん何者なんや?ミステリアスすぎひんか」
「ああ、ナマエさんな……」

服部が疑問に思うのも無理はない。
日本人ではなく仏滅も知らないのに、日本語はペラペラ。穏やかなのにどこか掴みどころのない雰囲気を纏う彼女は、コナンにとっても謎めいた存在だ。

「身体能力がめちゃくちゃ高くて、たまに助けてもらうんだけど……正直オレもよくわかんねーんだ」
「はあ?なんやそれ」
「知りたいことは山ほどあるけど、あんまり探りすぎて怒らせんのもこえーし」
「無謀が売りのお前が怖がるって、なおさら何者やねん」
「だからそれはオレも……」

小声で話す二人だったが、隣のテーブルの男が声をかけてきて会話が途切れる。

「ボクたち、ちょっと音出るけどー。よろしくちゃーん」

どうやらテーブルにセッティングしたノートパソコンで動画を視聴するようだ。
しかし男が電源ボタンを押してもパソコンが立ち上がらず、男は梓に「電気貸してくれる?」と声をかける。

梓はそれを了承し、延長コードの先を男に差し出した。

「あんがとー」

男がそこに電源ケーブルのプラグを差し込んだ時だった。バチッと火花が飛び、店内が暗闇に包まれる。
―――停電だ。

「!」
「梓さん、ブレーカーを」
「はい!」

即座に指示を出した安室に、梓がブレーカーへと走る。
その直後、暗い店内に「ぐぅっ」という低い呻き声が響いた。

「えっ?」
「うぁッ、痛ぇ……!!」

なおも続く悲鳴じみた声に梓が戸惑うが、安室の「早く!」という鋭い指示に慌ててブレーカーを上げた。
そして照明が点いた店内で一同が明るさに目を瞬かせると、そこには驚きの光景があった。

「ちょ、ちょっと……大積くん!?」
「…オイ、何してんだ!?」

全員の視線の先では、先に来てトイレに籠っていたはずの男―――大積が、ナマエにギリギリと腕を捻り上げられて痛みに呻いていた。

力の抜けた手からガランと落ちたのは刺身包丁だ。その刃にはトイレットペーパーの芯が嵌められている。

「暗闇に乗じて人を刺そうとしてたから、止めたんだけど」

表情を変えずに言うナマエに、その場の全員がハッとした。大積の正面にいるのはノートパソコンをセッティングしていた男、安斉だ。

「え、俺……!?」

安斉は顔を青褪めさせ、正面に座る山下という女性は息を呑んで口元を押さえた。
友人だという永塚もまた血の気の引いた顔をしている。

誰よりも早く動いたのは安室だった。
脱いだエプロンでくるむようにして包丁を拾い、誰にも触れられないようカウンターの隅に避難させる。
それからナマエに「代わります」と声をかけ、彼女が放した大積を後ろ手に拘束した。

そして脂汗が浮かび上がるほどの痛みから解放された大積が、堰を切ったように犯行の動機を話し出す。
それは優しい嘘によって起こりかけた、悲しすぎる凶行だった。




***




大学生四人と、ついでに他のテーブルにいた怪しい風体の客も店を出て行って、残されたコナンたちは安堵の息を吐いた。

刺殺未遂は安斉と山下の仲を疑った大積によるものだったが、なんと二人は腹違いの兄妹だった。
安斉が用意していた動画もそれを知らせるサプライズムービーだったというから、未遂で済んだのは不幸中の幸いだろう。

安斉は大積の凶行を笑って許し、彼らはポアロを後にしたのだった。

「お手柄でしたね、ナマエさん」

安室の声にコナンがそちらを見ると、にっこり微笑んだ安室にナマエがいつも通り頬を染めている。

「あ、いえ、別に…ポアロが汚れたら嫌だなって思って」
「本当にありがとうございます。……本来なら、店員である僕が先に動けなければいけないところなんですが」

苦笑した安室が頭を掻くが、あの暗闇でナマエ以上に早く動くのは常人では無理だろう。
そもそも彼女に暗順応や明順応という概念はないのだろうか、とコナンは疑問に思う。

「…なあ工藤、あの人ホンマに何者やねん」

脱力したようにテーブルに戻った二人は、再び小声で話し始めた。

「だからそれはオレも聞きてーんだって。盗聴器も発信器もバレるし、腕時計型麻酔銃の麻酔針も刺せなかったからな」
「おまっ、相変わらずやることがえげつないのぉ……って刺せなかったってなんやねん」

服部の問いかけに、コナンはその時のことを思い返しながら説明する。

コナンは以前、ナマエと二人で偶然殺人事件に居合わせたことがある。
その時ふと思い立ったコナンはナマエを探偵役にしようと麻酔銃を撃ったのだが、彼女が眠ることはなかった。
外したのだろうと思ったコナンは、結局駆け付けた警察官にヒントを与える形で事件を解決させた。そして帰ろうとしたところで、ナマエが手を差し出してきたのだ。

―――これ、返すね。

彼女が指先で摘まんでいたのは、紛れもなくコナンが撃った麻酔針だった。

「な、なんやねんそれ……コワッ」
「だろ?こえーんだよ」

つまり彼女は麻酔針が刺さる前に掴んだということになるが、果たしてそんなことが可能なのか。

と、そこに探偵事務所で蘭と料理をしていた和葉から電話がかかってくる。料理が終わったらしい。

「頑張ってこいよ、告白」
「うるさいわッ!」

途端に赤面した服部に、これは今日も言えそうにないな、とコナンは確信する。

「つーか気付いたんやけど、あの姉ちゃん……あれは完全に恋しとるやろ」

服部の視線を追いかけると、そこには安室にまた何か言われたのか、可哀相になるほど顔を赤くしたナマエの姿があった。
正面の安室は楽しそうに微笑んでいるが、彼女の気持ちをわかっていてあえて翻弄するとは鬼の所業である。

(それともやっぱり、安室さんも?)

「ミステリアスやと思ったけど、ああしとるとわかりやすいなぁ」

そう言って服部はニヤッと笑う。
いや、おめーも充分わかりやすいぞ?と心の中でツッコミを入れるコナンだった。


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