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「ナマエさん、さっき言ってたのってこういうのー?」
「バッチリだよ、ありがとう園子ちゃん」

園子から何かを受け取って、ナマエが松田と安室のもとへと戻ってくる。

彼らのいる場所は鈴木財閥が出資したスポーツセンターの体育館だ。
急遽貸切にしたここで、これからナマエと京極の手合わせが行われる。
バイト中だった安室もまた、シフトの終わるタイミングで梓と交代してこの場所に来ていた。

「それ何?」

松田がナマエの手の中のものを指差す。彼女は「こうするの」と言って、それを首元に装着した。

「!」

チリン、と彼女の首元で可愛らしい音を立てたのは、黒いチョーカーの中心に付けられた金色の鈴だ。
突然猫の首輪のようなものを身に着けた長身の美女に、なんとも言えない破壊力を感じて松田と安室は言葉を失った。

「懐かしいなぁ。こうやって鈴を取り合うの、子供の頃によくイルミとやったの」

ナマエは微笑みながらその鈴をいじる。

「……鈴の取り合い、ですか」
「はい、お互い鈴を付けて先に取った方が勝ちなんです。意見が対立した時にやったり、遊びでやって勝った方が好きなことお願いしたりしてました」

へえ、と相槌を打ってから、その光景を想像した安室は頬を引き攣らせた。
首元の鈴を取り合うということは、一撃一撃が常に急所狙い。どう考えても姉弟喧嘩なんて可愛いものではなさそうだ。

「それを京極さんと?」
「あ、付けるのは私だけです。私が手を出したら怪我させかねないので」

なるほど、鈴を狙うのは京極のみで、ナマエはそれを避けることに徹するらしい。

「それ手合わせって言えるか?」

バチバチのバトルが見たかったらしい松田はどこか不満そうだ。

「これができない相手と手合わせなんかしたら、それこそ殺しちゃうよ」

困ったように笑うナマエに、男二人は再び口元をひくりと引き攣らせる。
彼女は相手を傷つけないよう平和的な方法を提案しているだけなのに、その物騒な言葉選びのせいでたまに不穏な雰囲気が漂ってしまう。

「あ、ナマエ。こっち向いて」

そう言って松田が構えるのは案の定スマートフォンだ。

「? 向いたけど」
「ニャーンって言ってみ」

こいつマジか、と安室は半目で松田を睨みつけた。しかし松田は意にも介さず動画撮影を始めているし、ナマエもナマエで馬鹿正直に「にゃーん」と鳴いている。彼女に羞恥心はないのか。

「ナマエさん、嫌なら断っていいんですよ」
「え?はい」

どうやら特に嫌でもないらしい。ミルキのせいで彼女の羞恥心は麻痺しているようだ。
笑顔の裏で安室が頭を抱えたところで、ナマエは「行ってきます」と京極のもとに向かっていった。

「……松田さん」
「なーその呼び方どうにかなんねぇの?気持ち悪ぃ」
「………」
「いってぇ!」

全員の意識がナマエと京極に集中する中、うっかり足を踏まれた松田を気にする者はいなかった。




***




今回、時間制限は特になし。
京極が鈴を取る以外に、どちらかが負けを宣言するか行動不能になっても終わりだ。

「じゃあ、いつでもどうぞ」

コートの真ん中で、ナマエは特に構えもせずゆらりと立った。裸足で足裏が冷たいが、室内なので致し方ない。
一方の京極は深呼吸をして精神統一を図り、それから丁寧に一礼をして、ピシッと無駄のない構えを取る。

「―――いざ!」

ダッと踏み込んだ京極が、ヒュウッと空を切りながら鋭い突きを放つ。半歩ずれてそれを避けたナマエは、続く回し蹴りも一歩下がって避けた。
京極は素直に鈴のある首元を狙っているようだ。

決して走りも跳びもしないのに、最小限の動きで京極の連撃を避け続けるナマエに蘭や園子が驚く声が聞こえてくる。
始まる前までは無事を祈るように手を合わせていた二人だが、まさか一発も当たらないとは思いもしなかったらしい。
ナマエの動きに合わせてチリンと可愛らしく鳴る鈴が、どこか場違いな雰囲気を醸し出していた。

(一発が鋭いし重い……生身の人間ならそう何発も受けられないだろうな)

ナマエはナマエで、想像以上に質の高い攻撃に感心していた。相当な鍛練を積んだのだろう。迷いがなく、咄嗟の判断も早い。
一撃ごとに空気を裂く音が鳴り、その風圧にナマエの髪がばさりと遊ばれる。

渾身の中段回し蹴りを軽く屈んで避けながら、京極の背後に回り込んだナマエが軸足の膝裏にトンッと足を当てた。

「!」

ガクンと体勢を崩しながらも、追撃を避けようとして京極が飛び退く。ナマエが追わないのを確認して、彼はまた間合いに飛び込んできた。

(素直だなぁ。絶対強化系だ)

"纏"をしているナマエを殴れば彼の拳はただでは済まないし、かといって"纏"を解いたらナマエが痛い。
そのためこれを平和に終わらせるには、ナマエが全ての攻撃を避けつつ彼の戦意を削ぐしかないのだが。

(……削げなそうだな)

実直な強化系は他の系統と違って、精神的ダメージを与えにくいタイプが多いから厄介だ、とナマエは完全に彼を強化系扱いしていた。

攻撃を避けながら再び背後に回り込み、両足の踵を足先でパンッと払う。
背後からの鋭い足払いに京極が危うく尻もちをつきかけるが、彼は空中で体を捻ってから床に手をつき、側転の要領で巧みに距離をとった。

攻撃を全て避けられ、なおかつ決定的な反撃をしてこない相手に普通なら焦れてもおかしくない。にもかかわらず彼は終始一貫して冷静だ。

「長くなりそうだな、これ」

同じことを思ったのか、松田がつまらなそうにぼやくのが聞こえる。

「いえ、ナマエさんはまだ一度も手を使っていません」
「え?あーホントだ」
「それって、手加減してるってこと?」

コナンが男二人に近付き、子供らしい声色で問いかけた。

「それはもちろん、してると思うよ」
「怪我させないようにって言ってたしな」

へえ〜!とコナンは興味津々だ。

「じゃあ手を使ったらもーっと強いんだね!」

そのよく通る声に、ナマエの目の前で京極がピクリと反応する。

(相変わらず余計なことを)

ナマエの本気が見たいのかわからないが、コナンはあからさまに京極を煽った。
素直な彼は見事に煽られ、ナマエに手を使わせようと動きがさらに鋭くなる。
首元一点狙いもやめて、とにかく一撃を入れることに注力し始めたようだ。

(長引かせたくないんだけど……)

この程度で疲れることはないが、うっかり集中が途切れて怪我をさせてしまっては堪らない。
そろそろ終わらせようと、ナマエは心の中で「手加減、手加減」と繰り返し唱える。

そして京極の突きをあえて踏み込むことで避け、下腹辺りに足裏を当てて前蹴りで押し出した。強制的に体をくの字に折られた京極は、押された勢いで後方に数歩下がる。
そこにすかさず差し出されたナマエの足先が、彼の顎先を掬うように上方向に蹴り上げた。

「―――!」

むち打ちにならないよう加減はしたものの、勢いよく脳を揺さぶられれば立っていることもままならないだろう。
彼は体勢を整えられないまま膝をつき、そのまま床に倒れ込んだ。

「! ま、真さんっ!」

悲鳴じみた声を上げながら園子が駆け寄る。
それとすれ違いながら、これで終わりだとナマエはコート外に向かう。すると背後で素足が床を踏みしめる音が聞こえた。

「ま……、待ってください……」

えっ、とナマエが振り向くと、まだ視界も揺れているはずの京極がぐらつく体で立ち上がろうとしていた。どんな猛者だ。

「えっと…無理しない方がいいよ?しばらく横になってればよくなるから」
「いえ、大丈夫です……」

そしてついに彼は立ち上がった。

「うわ……す、すごいね…?」
「ナマエさんこそ。自分では手も足も出ませんでした」

ありがとうございました、と差し出された右手を握り返す。

「この日本で、自分にはまだまだやれることがある……それがわかりました」
「ん?うん」
「ナマエさん」

ん?と再び首を傾げたナマエに、京極は手を握ったまま衝撃的なことを言い出した。

「あなたに師事させていただけませんか」

ぱちりと目を瞬かせたナマエが「いやそれは無理」と即答する前に、園子たちの絶叫が響き渡る。

「まっ、真さん!?どういうこと!?」

園子がずりずりと京極を引きずっていき、少し離れたところで彼を追及し始めた。
そこに蘭やコナンも加わってやいのやいの騒いでいる。

(いや、無理だけど……)

人に教えるなんて柄じゃないし、そもそも自分が教えられてこなかったのだから教え方なんてわからない。ゾルディックは代々体で覚えるタイプの家系だ。

ため息とともにチリンと鈴を鳴らしながらコートを出ると、松田と安室が出迎えてくれた。

「ナマエさん、お疲れ様でした」
「ありがとうございます」
「お疲れー。またなんかすごい展開だな?」
「無理無理、帰ろう」

そう言ってナマエがチョーカーに手をかけたところで、背後から園子に名前を呼ばれて振り向いた。

「ナマエさん、私からもお願い!」
「えっ?」
「真さんがナマエさんに弟子入りするってことは、これからずっと日本にいるってことだしぃ……」

園子は頬を赤らめて隣の京極を見上げる。なるほど、上手く説得されてしまったらしい。

「でも私格闘技経験ないし、参考にならないと思うよ」
「いえ、体捌きや緩急の付け方など、吸収できる部分は山程あります」
「いや教え方もわからないし……」
「実践で覚えます」
「ええ……」

裏のない真剣な眼差しで見つめられて思わずたじろぐ。

「報酬は鈴木財閥が責任もって払うわよ!」

胸に手を当てて高らかに宣言した園子に、ナマエは「うーん」と考えてから彼女に向き直った。

「じゃあ例えばね?例えばなんだけど」

こそこそ、と園子に耳打ちをする。

「そのくらいなら全っ然大丈夫よぉ!だってそれで真さんが日本にいてくれて、しかもさらに強くなるんだから!」

パパもママも喜ぶわよ!と園子は興奮気味に頬を紅潮させる。
結論から言うと、鈴木財閥はナマエの実家とまではいかないものの、黒の組織と比べれば桁違いに金持ちだった。

「えええ……」

これ、断り切れるのかな?と、思わず遠い目をするナマエだった。




***




結局次の大会が終わるまで弟子入りの件は保留にして、大人たちは先に帰ることにした。
ちなみに松田は弟子入り云々のやりとりに早々に飽き、体育館を出て喫煙所に向かったようだ。

今度こそチョーカーを外すべく手をかけたナマエだったが、次は安室から話しかけられてその手を止める。

「この鈴取り、禁じ手とかあるんですか?」
「うーん……特になかったかな」
「たとえば第三者の乱入とか」

それもアリです、とナマエは笑う。

「祖父が乱入して二人とも取られたことならあります」
「なるほど」

想像したのか、安室もまた笑った。

「不意打ちとか、なんでもありなんですか」
「なんでもありです」

へえ、と感心したように頷いた安室だったが、ふと「あっ」と思い出したように手を打った。

「そういえば僕が見たいって言ったのに、ナマエさんにちゃんと感想をお伝えしてませんでした」
「え?」
「とっても格好良かったです、ナマエさん」

そう言ってにっこり微笑む安室に、ナマエは目尻がじわりと熱を持つのを感じて視線を逸らす。

「あ、ありがとうございます…」
「彼も凄かったですけど、やっぱりあなたは別格ですね」
「う…どうも」
「あなたならきっと、この世界では敵なしですよ」
「ん、んんー、どうですかね…」

安室の顔を見れずにいると、ふっと笑った彼が一歩距離を詰めてくるのがわかった。
ナマエは思わずビクッと体を揺らす。

「僕のお願いを聞いてくれて、ありがとうございました」
「ひっ、ど、どういたしましてっ」

安室が顔を覗き込んでくるのがわかって思わず身を固くする。
近い。そう思ってぎゅっと目を瞑ったナマエに、プチンという小さな音が聞こえた。続けざまに鳴ったチリンという鈴の音に「え?」と顔を上げる。

「…これ、僕の勝ちってことでしょうか?」

顔の横に持ち上げた金色の鈴を、チリンチリンと揺らしながら安室が笑う。

「あっ……」
「第三者の不意打ちもセーフなんですよね」
「そ、そうですけど」
「勝った方が好きなことお願いしたり…って話でしたっけ。僕にもその権利あります?」
「え、あ」

ある。あるが、まさか取りにくるとは思わなかった。ナマエは目を白黒させて目の前の彼を見上げている。
その表情を見た安室が、ふっと優しく目を細めた。

「お願いごと、考えておきますね」

―――どうしよう、彼のお願いならなんでも聞いてしまいそうだ。嬉しそうに笑う安室を見ながら、ナマエはぼんやりと考えた。


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