45


その日、ナマエは三時のおやつにポアロの半熟ケーキを食べてから、安室や梓との会話を楽しんでいた。
コーヒーと会話に夢中になっていれば時間が経つのもあっという間だ。ふと気付くと店のガラス窓から夕焼けが差し込み、店内を赤く染め始めていた。

「ナマエさん、僕はこれから毛利先生のところに差し入れに行ってそのまま上がりますが……ナマエさんはどうされますか?」

よかったら送りますよ、とサンドイッチの準備をしながら安室が言う。
送る?車?それは距離感的に無理だ、できるだけ避けたい。そう瞬時に判断したナマエは首を振った。

「家に帰っても暇なので、もう少しのんびりしていきます」
「おや、そうですか。残念です」

眉尻をわずかに下げ、安室は「お先に失礼します」と店を出て行く。

「…ナマエさん、よかったんですか?送ってもらえばよかったのに」
「いいんです。緊張しちゃうので……」
「くっ、かーわーいーいー!」

拳を握り締めた梓が、感極まった様子で唸るように言う。それを見たナマエは苦笑しながら、「三十路前の女が情けないですよね」とぼやいた。

「いや、本当に見えないですよ、ナマエさん。二十代前半に見えます。その落ち着いた雰囲気がなければ学生でもいけたかも!」
「ふふ、ありがとうございます」

ナマエは笑いながら流すが、決して謙遜しているわけではない。
熟練の念能力者は老化が遅く、往々にして若く見られるものだ。彼女自身、こちらに来る少し前から見た目が全く変わっていない自覚はある。学生はさすがに言い過ぎだが。

「安室さんも童顔ですよね」
「ホント!肌荒れしてるところも見たことないし、羨ましい限りですよー」
「ね、本当に」

なんなら松田も童顔だし、諸伏だって今は変装のためにヒゲを剃っているのでかなり若く見える。
なんだかんだで周囲の人間みんな三十路感がないな、とナマエがぼんやり考えたところで、ポアロにコナンが駆け込んできた。

「ねーねー、ナマエさんも行こうよー!小五郎のおじさんの依頼!」

唐突な誘いにいつもの協力要請かとナマエが目を瞬かせる。するとポアロのガラス窓越しに安室と毛利が話しているのが見えた。

「コナンくん、もしかして安室さんも一緒?」
「うん!」

事情はよくわからないがコナンと安室は仲良さそうに見えて時たま探り合っているし、今回もナマエを連れて行くことで隠れ蓑にでもするつもりなのだろう。

「いいけど……どこに行くの?」
「えーっと、確か料亭だったかな?」
「ふーん、わかった」

梓に声をかけて会計を済ませ、ナマエはコナンを伴ってポアロを出た。

「ねぇおじさん!ボク、ナマエさんと一緒に行きたーい!」

まだ許可得てなかったのか、と目を丸くしたナマエだったが、心配は無用だった。毛利は美女の同行は大歓迎だとあっさり彼女を受け入れてくれた。

「じゃあナマエさん、僕の車へどうぞ」
「え、あ」

安室の誘いに二度目はさすがに断りづらいと考えたナマエは、「じゃあコナンくんも一緒に」と彼を抱き上げる。

「仲がいいですねぇ」
「そうなんです。ね、コナンくん」
「うん!ボク、ナマエさんだーいすき!」

コナンのおかげで後部座席に座れたので、もう彼のぶりっ子にツッコむのはやめてあげようと思ったナマエだった。




***




「ちょっとちょっと…ここって料亭なんかじゃなくて、バニーガールのクラブじゃない!」

依頼人に指定されたという黒ウサギ亭で、蘭は戸惑ったように声を上げた。
毛利はその店名から勝手に料亭だと思い込んでいただけで、実際はバニーガール姿の女性店員が接客する、少なくともコナンのような子供には早すぎるだろう店だった。

「僕なら平気だよ!玉子焼きとかカレーもあって美味しそうだし」

メニューを開きながら、特に動じた様子もなくコナンが言う。
ここの常連である諸岡という男に脅迫状が届いたとかで、コナンはどうしても依頼に首を突っ込みたいのだろう。

すぐに諸岡とその執事が現れ、新聞を切り貼りしたような脅迫状を差し出した。探偵である毛利と安室、それからコナンがそれを覗き込む。
『命が惜しくば黒ウサギ亭には近づくな』―――そんな脅迫状が届いたというのに店に来るとは、なかなか豪胆な男である。

「諸岡さん、いらっしゃーい!また来たのね!」
「おお、有里ちゃん!今日はワケありでね」

そこに登場したのは明るい色のボブヘアーが似合う、二十代半ばくらいのバニーガールだった。諸岡の指名嬢のようで二人は親しげな様子を見せる。
舞い上がった毛利が彼女のヒップに触れるという衝撃的な一幕がありつつも、諸岡が彼女や店のバニーたちにフードやドリンクを大盤振る舞いして店内は一気に盛り上がった。

その時、ナマエはかすかに聞こえてきた会話に耳を澄ませ、おもむろに立ち上がった。

「ナマエさん?」
「ん?ちょっとね。脅迫状の件は私できることないし…少しだけ席外してもいいかな?」
「え?」
「すぐ戻るから」

ナマエはコナンに声をかけてからソファ席を立ち、正面の椅子に座っていた安室の横を通り抜ける。
そして少し離れたところで何やら揉めているバニーと男性スタッフのもとへ向かった。

「あの……」
「え?」

突然話しかけられた二人はぱちくりと目を瞬かせる。そこにナマエがあることを申し出ると、彼らはその目を大きく見開いた。




***




「コナンくん、ナマエさんは何を?」
「さあ…?すぐ戻るとは言ってたけど」

コナンも詳しくは聞いていないようだ。
先程少し離れたところにいたバニーと男性スタッフに声をかけた彼女は、そのまま彼らとバックヤードに引っ込んでしまった。一体何をするというのか。

その時、何か硬いものが折れるようなバキッという音が聞こえた。

「うわっ、眼鏡が!?」

床に落とした自分の眼鏡を踏んでしまったらしく、諸岡の執事が狼狽する。
眼鏡がないとほとんど何も見えないという彼の代わりに、主人である諸岡が替えの眼鏡を取りに車へと向かった。
直後、その執事がスマホ操作を誤ってけたたましい警報音を鳴らしてしまうが、こちらも即座にコナンが取り上げたことで大した騒ぎにならずに済んだ。

「気を付けてください!そのタイプのスマホは電源ボタンと音量の+ボタンを同時に長押しすると、警報音が鳴るようになっていますので」
「は、はい…本当に申し訳ない……」

安室の説明に執事が恐縮した様子でペコペコと頭を下げたところで、突如店内にざわめきが走った。

「…えっ!?」

ざわめきの正体を早々に目にしたらしいコナンが目を見開くのを見て、安室も後ろを振り返る。

「……は?」

思わず素で声が漏れてしまったのも無理はないだろう。
一体何がどうしてそうなったのか、バニーガールの衣装に身を包んだナマエがこちらに手を振りながら近づいてきたのだ。

「わぁっ、ナマエさんかわいー!」
「ぐぉぉっ、たまんないっすなー!も、もっと近くに!」

毛利親子が興奮気味に声を上げるのを微笑みながら流して、テーブル脇に立ったナマエが口を開く。

「人が足りないみたいだったので、今夜だけ体験入店をお願いしちゃいました」
「えっ?た、体験入店?」
「うん。この衣装着てみたかったから、ちょうどよかったよ」

そう言ってコナンに微笑むナマエは、控えめに言っても凄まじい完成度だ。
日本人離れした美貌は全く衣装負けしていないし、それどころか長い手足が露わになることで、彼女のスタイルが抜群にいいことがわかる。
引き締まった体と豊かなバストとの対比がなんとも艶めかしく、安室はぽかんと開いていた口を慌てて引き結んだ。

「他のテーブルに付かなきゃだからちょっと離れるけど…何かあったら呼んでね」

コナンにそう声をかけて、彼女はウサ耳を揺らしながらその場を離れていく。
ハイヒールで足音がしないのはどんな原理だろうと考えながら、コナンと安室は呆然とした表情でそれを見送った。

「……自由な人だよね、ナマエさんって」
「ハハ……」

安室の呟きに、コナンからは乾いた笑いが返ってくる。
それからしばらくして、バニーガールたちが頼んだフードやドリンクが続々とテーブルに運ばれてきた。

「あー!フルーツ盛り!」

美味しそー!と、それを注文した有里が目を輝かせる。

「じゃあまずは、注文した君から召し上がれ!」

有里を促す諸岡に、彼女は笑顔でフルーツを口に運んだ。「美味しいー!」と頬を押さえた彼女が、自分のドリンクは、とテーブルを見渡す。
コースターを乗せておいたグラスを発見し、それに手を伸ばした彼女だったが―――誰かが先にそれを持ち上げてしまった。

「えっ?」
「あれ?ナマエさん、戻ってきたの?」

それは相変わらずバニーガール姿のままのナマエだった。

「うん、ちょっと気になったから」
「気になったって何が?」
「あの!それ私のグラスだけど!」

咎めるような有里の声に、テーブル中の視線がナマエに集まる。

「…ナマエさん?」

窺うように問いかける安室の声にも、彼女は何も答えない。
グラスを手にしたナマエは赤いリップの塗られた唇を弓なりにして、安室に向かって驚くほど妖艶に微笑んでみせた。

(え…?)

そしてグラスに乗るコースターを外した彼女が、流れるような動作でそれを口に運ぶ。
何をしているのかと全員が目を丸くして見つめる中で、執事だけはガタリと腰を浮かせた。

ナマエはグラスの中身を半分ほど飲んでから、その味を確かめるように「うーん」と目を閉じる。

「無味無臭だけど……多分ヒ素かなあ」

え?と呟いたのは誰だったか。
ナマエは瞼を上げ、グラスを見つめて可笑しそうに笑う。

「これ、毒が入ってるよ」

いち早くハッと我に返ったコナンが、「警察に通報して!」と鋭く叫ぶ。
彼はナマエの正体を知らないが、彼女がこんなところで嘘をつく人間じゃないということはわかっていた。
そして騒然とする店内で顔を青褪めさせる執事の姿を、コナンと安室だけがじっと見つめていた。


prevnext

back