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通報からほどなくして、警察が到着した。
有里のドリンクは鑑識に回され、混入されていた毒物がヒ素であったということがはっきりした。
それを躊躇いなく飲んだナマエにコナンや警察官が詰め寄るが、彼女は「代謝が早い体質なので大丈夫」の一点張りで押し通す。
そしてコナンや安室による推理の結果、ドリンクにヒ素を混入したのは諸岡の執事だということが明らかになった。
有里が自分の娘であることを諸岡が明かし、それに驚いた執事が自ら動機を告白する形で事件は幕を閉じる。
執事は主人が妻を亡くしたばかりにもかかわらず、若い女に現を抜かしていると思っていた。しかし諸岡は、昔駆け落ちした時にできた娘に会いに来ていただけだったのだ。
「それにしても、わざと痩せたり太ったりしてたって…よくわかりましたね」
諸岡は娘に会う口実を作るため、痩せたり太ったり転んだりしては店の隣の洋服店を訪れていたらしい。
感心したように言うナマエに、安室は昔を懐かしむように目を細めた。
「僕も昔、ある女医さんに会うためにわざと怪我をしては病院に通っていたので……それを思い出して」
「へえ」
「ナマエさんもそういうことありました?子供の頃」
「私ですか?失敗したら死にかねないので、ないですね」
それもそうだ、と思わず納得した安室が苦笑する。
「でも……」
「?」
引き上げのため慌ただしく動き回る警察官たちを眺めながら、ナマエがどこか遠くを見るような目をした。
「両親に自分を見てほしくて、必死だったのは覚えています」
ちらりと視線を向けてきたナマエに、安室は続きを促すように見つめ返す。それを確認してから、ナマエは伏し目がちに続けた。
「一人目が女で、両親もガッカリしたと思うんです。年子で弟が生まれたら二人の興味もすっかりそっちに移ってしまって……イルミから名前でしりとりが始まったって気付いた時は、結構キツかったですね」
私だけそこにいないみたいで。ぽつりと呟く彼女の声色は、いつもと変わらなかった。
「認めてほしくてずっと必死でした。特に父は実力重視なので…初めて褒められた時はビックリするくらい嬉しかったな」
彼女は、変化系と操作系ばかりの家系で自分だけ具現化系なのは、幼少期の記憶が関係しているのかもしれないと話す。
「漫画で読みましたけど……具現化系は神経質でしたっけ?あれ、あの頃の私には当てはまるなって」
今は家族同様にマイペースな自覚、ありますけど。そう言って彼女はふふっと笑った。
「あっ、もちろん今も昔も家族は大好きですし、蟠りも特にないですけどね」
空気を切り替えるように声のトーンを上げた彼女に、安室は思わず問いかけていた。
「会いたいですか?家族に」
言葉にしてから、ずいぶんと酷な質問をしてしまったと気付く。どう頑張っても二度と会うことは叶わないと、彼女が誰より理解しているというのに。
彼女はぱちりと目を瞬かせてから、何も言わず微笑んだ。
少なくともそこに悲しみの色は見えない。
何もかも理解した上で嘆きもせずに受け入れる彼女の姿は、どこまでも強く―――そして美しかった。
「あ、あの!」
突然かけられた声に安室はハッと我に返る。
声の方を見ると、高木刑事がどこか焦った様子でナマエに話しかけていた。
「もしかしたらと思ったんですけど……一年前に僕たちを助けてくださった方じゃないですか?」
「え?」
「猛スピードで歩道に突っ込んだ車を素手で止めて、知らないうちに消えてしまった女性に……あなたがよく似ている気がして」
間違いなくナマエだ。100%の確信を持って断言できる。と安室は思ったが、肝心の本人は「うーん?」と首を傾げている。
まさか自分以外にそんな猛者がいるとでも思っているのか。
「んー……一年前?」
「はい、確か二月だったかな。時間は明け方でした」
明け方、とナマエが繰り返す。
「ああ……そんなこともあったかも」
「ですよね!あーよかった、やっと会えた。ずっとお礼が言いたかったんですよ!」
感激したように言う高木に、ナマエは「いえいえ」と微笑んだ。
「私こそ、さっさと消えてすみません」
「いいんです!あっ、そうだ……ちょっと待っててもらっていいですか!?」
十分くらい!と言いながら高木がどこかへ走り去っていく。
ナマエはきょとんとした顔でそれを見届けて、それから「十分」と呟いた。
「じゃあ、今のうちに着替えてこようかな」
「え、着替えちゃうんですか?それ」
「え?」
ナマエが首を傾げるのに合わせて、頭上のウサ耳がぴこっと揺れる。
「せっかくとても似合っているのに、もったいないですね」
そう言って微笑みかけた安室に、ナマエは「うっ」と頬を染めた。
「で、でも、今日はもうお店も閉めるみたいだし……」
「それは残念です。目線も近くて新鮮だったんですが」
長身の彼女がハイヒールを履くと驚くほど様になる。
赤い顔がいつもより近くに見えるのも、正直気分がよかったのだが。
「ハイヒールなんて普段履かないので、確かにちょっと新鮮ですけど……」
「いつもショートブーツですよね」
「動きやすいので……。家にあるのも、ジンが買ってくれた一足以外全部ブーツです」
え?と思わず素で驚いた彼に、照れくさそうに視線を落としている彼女が気付くことはない。ジンがなんだって?
「とりあえず時間もないし、着替えちゃいますね」
そう言って彼女はバックヤードへと引っ込んでしまった。
ジンが彼女を気に入っているのはわかっていたが、物を買い与えるほどとは意外だった。
だがそれでは、仕事仲間ではなく女として彼女を気に入っていたようではないか。
彼女はもう依頼を受けないと言っていたし、まさかまだ個人的に付き合いが続いているなんてことはないだろうが―――
安室がそんなことをつらつらと考えていると、早々に着替え終わったナマエがバックヤードから出てくるのが見えた。
そこにすかさず駆け寄ったのはコナンだ。
「ねえナマエさん。どうして毒が入れられたってわかったの?」
それは安室も気になっていたところだ。
「ああ、だって見えたんだもん。あの人が何か入れてるところ」
「えっ!?」
「飲んでみるまでは何が入ってるかわからなかったけどね」
「それ、なんですぐ言わなかったの?」
コナンが咎めるように言うと、ナマエは驚いたように目を瞬かせた。
「えっ、ごめん…?コナンくんって推理がしたいんだとばかり……」
どうやら彼女は推理好きな彼によかれと思って犯人を黙っていたらしい。
それに思わず安室が吹き出しそうになったところで、店のドアが乱暴に開かれた。
「高木!」
よく響くその声は、安室にとっては聞き馴染みのありすぎるものだった。
「あの時の人が見つかったって本当か」
「はい!こちらで待ってもらっています」
声の主はナマエのもとへと案内され、自然とその途中にいる安室の前へと現れる。
「!」
昔と変わらない太い眉を驚きに跳ね上げて、伊達が安室を見た。
それは瞬きにも満たない短い時間だったが、確かに二人の視線が交錯する。
「……」
安室は何も言わず、その場を動かない。
そして伊達もまた足を止めることなく、安室の横を素通りした。ナマエに名を名乗り、助けられた礼を言う彼の声が安室の背に届く。
(さすが班長)
咄嗟の判断力と、状況に応じた巧みなフォローに定評のあった彼だ。連絡がつかずとも、そこから安室の所属や立場を察してくれていたのだろう。
「……本当に助かった。おかげでその後プロポーズした彼女と無事に結婚できてな、最近妊娠もわかったところなんだ」
「へえ、おめでとうございます」
「あんたが命を救ってくれたおかげだ」
伊達は記憶より少し大きな声で、聞き取りやすいようはっきりと話す。どうやらすぐ近くにいる同期に向けての近況報告も兼ねているらしい。
安室は自然と口元が緩むのを感じた。
本当に、彼女は知らないところでたくさんの人を助けている。
とりわけ自分の周りには助けられた立場の人間が多い。
それがまるで彼女に悲しみから守られているようにも思えて、胸の辺りが温かいような、くすぐったいような、そんな気分にさせられるのだった。
「ナマエさん、そろそろ帰りましょうか」
「あっ、はい」
毛利たちがコナンを呼んで店を出ようとしているのを見て、ナマエに声をかける。
すぐに駆け寄ってくる彼女の向こうで、こちらを見てニカッと笑う伊達と再び目が合った。安室はそれにペコリと会釈を返す。
店の出入り口に向かいながら、安室は隣を歩くナマエに問いかけた。
「バニーガール、楽しかったですか?」
「はい。着替えた時に写真も撮ってもらえたので、あとでヒロに送ろうかな」
「おや、それは朗報だ。僕も欲しいです」
え、と目を瞬かせるナマエに安室は「メール待ってます」と笑いかける。
そして店のドアを開けながら、少し意地の悪い笑みを浮かべてみせた。
「帰りは助手席に座ってくれますか?」
今度は譲りませんからね。
そう言って目を細める安室に、ナマエは赤い顔でヒッと肩を震わせるのだった。
***
**
ブチ、ぐじゅ、ズルッ……
月も街灯の灯りも届かない暗い路地に、何かを千切っては咀嚼するおぞましい音が響く。
暗闇の中でゴソゴソと動く影は人のようでも、人とは似ても似つかない別の何かのようでもある。
「………足りない」
ぽつりと落とされたのは、冷たさを伴ったか細い呟きだ。「足りない、足りない、足りない……」咀嚼音に混じって途切れ途切れの呟きが地に落ちる。
それはひどく困惑していた。自分はこんなところにいるべきではない。自分には居場所も、成さねばならぬ目的もあると、苛立ってすらいた。
早く力を溜めて元の場所に戻らなければならない。そのためには、こんな無意味で無価値な肉塊ばかりでは話にならないのだ。屑肉ごとき、腹の足しにもなりはしない。
「―――レアモノは、どこだ」
ズズ、と体躯を覆うオーラを円状に広げる。―――いない。掠りもしなければ、気配すらない。あの胸の奥がざわつくような、えも言われぬ高揚感を与えてくれるあの気配が、どこにもない。
あれがほしい。あれを食べたい。ここにはいないのか?もっと隅々まで探さねば。
あれをたらふく食べることができれば、きっと王のもとへの帰還も叶うだろう。
ぺたり、ぺたり。
濡れたような足音を立てながら、それは再び闇の中を彷徨い歩いた。
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