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『昨夜未明、〇〇区在住の会社員、〇〇さんが遺体となって発見され―――〇〇さんは全身を強く打って死亡しており、警察では事件と事故の両面で捜査を―――』
スマートフォンでニュースを眺めながら、またか、とコナンは人知れず目を細めた。ここ数日、同じパターンの死亡事件が相次いでいる。
(相当猟奇性の高い犯人なんだとは思うが……)
「全身を強く打って死亡」とは、死体が原形を留めていない場合の婉曲的表現としても用いられる言い回しだ。
実際に高木刑事に探りを入れたコナンは、彼から「あんなおぞましい死に方」という言質を取っている。
猟奇的連続殺人と位置づけるのであれば、市民の安全のためにも早々に解決しなくてはならないところだ。
ただし目撃証言も物的証拠もなく、果ては現場に犯人の指紋すらないというから、捜査はさぞ難航を極めていることだろう。
(昨夜の事件現場を確認してこよう)
スケボー片手に探偵事務所を飛び出したコナンは、ふと思い立って一階の喫茶ポアロを覗き込む。
(安室さんも……ナマエさんもいねーか)
彼らとて常にここにいるわけではない。とりわけ公安警察のエースである安室は多忙だし、組織の仕事だってあるだろう。
ならばナマエはと電話をかけてみるが、あいにく通話中のようで連絡はつかなかった。
(ま、いっか。とりあえず現場だ)
スケボーに飛び乗り、足裏でアクセルを押し込む。一気に加速したそれで車道を縫うように走行し、ほどなくして事件現場へと到着した。
規制線が張られたそこは事件から一夜明けた今もなお多くの野次馬でごった返していて、捜査官や鑑識官が現場検証を続けている。
知り合いの刑事はいるだろうかと辺りを見渡すが、残念ながら今回はいないようだ。
仕方ない、いつも通り無邪気な子供のフリでこっそり現場入りしよう。そう思ったところで、コナンは現場から人混みに逆らうようにして離れていく一人の男から目が離せなくなった。
―――なんだ?この違和感は。
パーカーのフードを目深にかぶっているのはいい。スタンドネックのファスナーを限界まで上げて、口元を隠しているのもそこまで不審ではない。
ダボっとしたジャージを履いているのも普通だが、サイズが合っていないスニーカーがパカパカ音を立てているのは少し怪しいか。
しかし何より気になるのは―――
「ッ!?」
目を細めて男を注視していたコナンは、突然感じた腹部の圧迫感に呼吸が止まった。
呻き声は口元を覆う手のひらに吸い込まれ、足が浮く。
連れ去られたコナンに気づく者はなく、そこには持ち主を失ったスケボーが取り残されていた。
***
「プハッ!」
口元を覆う手が外され、コナンは咄嗟に息を吸い込む。しかし全身に感じる風やビュウビュウと鳴る風切り音は止むことがない。
何者かの体の前で進行方向を向くように抱えられていた彼は、抱え直されて体が反転したことでその人物の顔を確認した。
「ナマエさん!」
「あんな熱視線送ってたら、殺されても文句は言えないよ」
「え?」
いつになく真剣な面持ちの彼女は、それきり口を閉じる。
そして後方を気にするように一瞬視線を向けたあと、「網に掛かった」と口にした。腕に抱くコナンに向けたものではなさそうだ。
おそらくコナンを抱くのとは反対側の耳にインカムかイヤホンマイクを装着しているのだろう。彼女は数秒沈黙したあと、「わかった」と返答した。
「ナマエさん、一体何が起こってるの?」
「ごめん、詳しいことはこの先で聞いて」
「この先?…うわっ!」
突然の浮遊感にコナンは口を固く閉じる。これは彼女を足として利用する中で何度か経験したことのある感覚だ。つまり落下している。
そのすぐ後にわずかな振動を感じ、無事着地したことを知る。
ビルとビルの間の細い路地に下りたナマエは、大通りを目指して路地を出た。そしてそこに停められていた黒塗りのバンに向かうと、後部座席の窓をノックする。
するとピピッという電子音の後にスライドドアが開き、そこから伸びてきた腕がコナンを車内に引きずり込んだ。
「!?」
コナンが背後を確認するより早く、ドアの外に立っていたナマエがドゴンという大きな衝突音とともに姿を消す。
「ナマエさん!」
身を乗り出そうとしたコナンを背後の腕が抑え、スライドドアが無情にも閉まっていく。
そして一瞬後に車の100メートル以上前方で再び衝突音が鳴り、濛々と土煙が上がった。きっとナマエだ。一体何があそこまで彼女を吹き飛ばしたというのか。
ジジ、とノイズのような音が車内のどこかから聞こえる。
「ナマエ!無事か?」
コナンを抑え込むように抱いた腕の主が、ノイズを発した機器に向けて問いかけた。
『…大丈夫、怪我もないよ。このまま向かうから予定通りよろしく』
「わかった、気を付けてな」
背後から安堵のため息が聞こえ、ようやくコナンは振り向くことを許された。
「驚かせてごめんな、コナン君。キミ、危なかったんだぞ」
そこにいたのは短い黒髪に眼鏡をかけた知らない男だ。男はスーツを着ていて、眼鏡の奥にあるつり目がちの目元が柔らかく細められている。
「あなたは?……あっ、安室さん!」
男の奥には同じくスーツ姿の安室がいて、運転席には風見が座っている。
バンの内部は運転席以外の全ての座席がフラットな状態に畳まれており、代わりにモニターや無数の機材が置かれていた。
(これは……公安の車?)
床に片膝を立てた状態で座っていた安室が、「君は本当に何にでも首を突っ込むな」と呆れたような表情を浮かべる。
「まあまあ、知らなかったんだし。あ、オレのことはヒロって呼んでくれ」
男がコナンを膝から下ろす。
「風見さんの部下で、ゼロとは幼馴染だよ」
「江戸川コナンだよ。よろしく、ヒロさん」
なるほど、安室を子供の頃ゼロというあだ名で呼んでいたというのは、この男か。
コナンがそう納得したところで、安室が「コナン君」と呼びかける。
「今、ナマエさんとは常に通信が繋がっている状態だ。そして彼女は僕の本名と所属だけは知らない。わかったね」
つまりナマエの知らない情報は口にするなということだ。
そしてそれを通信が繋がった状態で言えるということは、彼女は安室が偽名だということまでは知っていて、その先はあえて聞いていないということだろう。
「わかったよ。ナマエさん、組織のことは知ってたんだね。もしかしてナマエさんも組織の人間だった?」
「いや、違うよ」
即座に否定されたが、元々灰原にもそう言われていたのだ。特に驚きはしなかった。
「ふーん。それで、この状況についてはボクにも詳しく教えてもらえるの?」
「ああ、それならナマエから許可が出てるから……まずこれな」
コナンの問いに答えたのはヒロだった。彼はコナンに二冊の単行本を差し出す。
「これは?」
「風見さんへの説明用に用意した漫画。こっちがナマエの実家の話が載ってる巻で、こっちが今起こってる状況がよくわかる巻」
「漫画?」
ふざけてるのかと眉根を寄せたコナンに、ヒロは至って真面目なトーンで突拍子もないことを言った。
「ナマエ=ゾルディックはこの漫画の世界から来てしまった暗殺者だよ。それで最近人を食い漁ってるのも、同じ世界から来てしまった化け物なんだ。ナマエは今それを駆除するために、エッジオブオーシャンの国際会議場跡地まで誘い込んでくれてる」
二冊の単行本を手にしたまま、コナンの思考は止まった。
自身も体が縮んだり、世界的な犯罪組織と対峙したりと、なかなか非現実的な立場に身を置いている自覚はある。
しかしそれでも、与えられたばかりの情報をすぐに理解することはできなかった。
「一から説明している時間はない。この件に関わるつもりなら、彼女が目的地に辿り着くまでに飲み込んでくれ」
淡々と告げる安室の声が、それが冗談なんかではないことをコナンに教えていた。
***
(速いな、この蟻)
ほぼ全力で走っているナマエについてくるとは相当だ。
先程はコナンの受け渡しのために一度追いつかれたが、その後すぐに引き離したにもかかわらずまたジリジリと詰められている。
蟻と一言に言っても色々な動物と掛け合わされている可能性があり、どんな生き物かは対峙してみない限りわからない。
それにナマエは漫画を一度読んだだけだし、キメラ=アントを見るのもこれが初めてだ。
安室と諸伏が分析と考察を担当するという話でなければ、正面対決なんてする気も起きなかっただろう。
そして今、イヤホンマイクの向こうでは諸伏が安室の機嫌を取っていた。
『ゼロ、そろそろ機嫌直せよ』
『何がだ。作戦には納得している』
『納得はしてるけど許せないって顔してる』
『仕方ないだろ……そもそも僕は彼女を利用するつもりはなかったんだからな』
会話を聞きながら、ナマエは彼らに聞こえないよう小さく笑った。
(相変わらず優しいなぁ)
相手がキメラ=アントともなれば、この世界で対抗できるのはナマエだけだ。そこは安室自身理解しつつ、しかし頼らざるを得ない状況自体が許せないということらしい。
『ヒロさん、相手がどんな生き物をベースにしてるかわかってるの?』
『いや、まだ。エッジオブオーシャンには事前に多数のカメラを仕掛けてあるから、それで姿を確認してようやくってところかな』
先程は戸惑っていたコナンだが、早々に漫画を斜め読みして状況を飲み込んだらしい。この子供、理解が早すぎる。
『それなら、ボクが現場で見た限りだけど…多分相手には尻尾があるよ』
『尻尾?』
『うん。腰の辺りが不自然にもぞもぞ動いているのが気になったんだ』
『なるほどなあ』
『他に気になった点は?』
尻尾のある生き物なんて無数にいる。
諸伏や安室はコナンが見たそれの姿を詳しく聞き取りながら、候補を少しでも絞り込もうとしているようだ。
そんな彼らに分析の時間を与えるため、ナマエは大きく迂回しながらエッジオブオーシャンへと向かっている。
どれだけ時間を稼ごうと、"レアモノ"である念能力者に餓えたアレが追跡を諦めることはないだろう。
しかしこの後、どんな戦闘が待ち受けているかわからない。餌となるオーラを練りながら走り続けている現状はあまり長く続けたいものではなかった。
「……そろそろ直行しても大丈夫かな?」
『ああ、ごめんナマエ。疲れる前に向かってくれて大丈夫だよ』
「ふふ、疲れはしないけど…なるべくオーラを温存しときたいからね」
ナマエは強く地を蹴り、エッジオブオーシャンへの最短距離を疾走する。彼らの乗る車も、通信が途切れない距離を保ってついてくるはずだ。
背後から異質なオーラを纏った何かが追走してくるのを感じながら、ナマエは気を引き締めるように短く息を吐いた。
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