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作戦実行を間近に控えたある夜、自宅で愛銃の分解整備を行う降谷のもとに一本の電話が入った。
ディスプレイに表示されているのは未登録の番号だが、完全に覚えてしまったこの羅列はゼロのウラ理事のものだ。降谷は躊躇わず通話ボタンをタップした。

「はい、降谷。―――え?」

電話の向こうからは、淡々と指令を告げるウラ理事の声が聞こえる。
そのあまりの内容に、降谷の手から思わずブラシが滑り落ちた。彼は呆然としたまま数回の相槌を打ち、通話を終える。

「……どういうことだ?」

降谷は眉根を寄せて暗転したディスプレイを睨みつけ、散らかった思考を整理する。
その直後、今度はメールを受信したタブレット端末がディスプレイを光らせた。確認すれば、先程告げられた通りのリストが添付されている。
それを下へ下へとスクロールしていれば、脳内にウラ理事の言葉が再生された。

―――FBIとCIA、そしてMI6から作戦への協力と情報提供の申し出があった。

手元のデータには、各組織から投入される捜査官がリストアップされている。
彼らの役目はあくまでサポートで、作戦内容の大筋に変更はないらしい。指揮官も降谷のままだ。
それに作戦の主体が日本の公安警察となるため、手柄を横取りされる心配もない。しかし果たしてそんなうまい話があるだろうか?

(さすがにいないか……)

参加メンバーの中に、あのいけ好かない男の名前はない。まだ死んだことになっているのだし当然か。

(だが確実にあの男が一枚噛んでいる)

米国にも英国にも大したメリットのないこんな話、そうそう通るものではない。しかしあの男なら英国にもコネクションがある。
決行日が漏れているのも奴の仕業だろう。元々能力だけは認めていたが、そのハッキングの腕を今ほど忌々しいと思ったことはなかった。

だが潜入中の降谷以上の情報を、彼らが仕入れられるとは思えない。にも関わらず情報提供を申し出てくるとは、掴んでいるネタによほどの自信があるのだろう。
そしてそれはハッキングで手に入れられる程度のものではないはずだ。

「……そういうことか」

降谷の脳内で点と点が線で繋がる。
即座にある番号へと電話をかけるが、番号が使われていないとアナウンスされてしまった。追及を避けたのだろうか。

ぐしゃぐしゃと前髪を掻きながら苦々しげにため息をつく降谷だったが、その口元には微かな笑みが浮かんでいた。




***




「降谷さん。総員配置につきました」
「そうか」

黒塗りのバンに乗り込み、タブレットを確認していた降谷が風見に応える。
手元に表示されているのはFBI名義で提供された組織の情報だ。全幹部の素性と滞在先、武器密売ルート、末端構成員の潜伏場所や取引先に至るまで網羅されている。もちろんボスの所在も抜かりない。
自らがこれまでに手に入れてきた情報と照らし合わせれば、それが虚偽や不確定なものではないことはすぐにわかった。

「現場に混乱はないな?」
「はい、問題ありません」

先日届いたメンバーリストから急遽配置を組み直したため、現場の捜査官が混乱する可能性も考えてはいたが。さすが優秀な部下たちである。

「にしても、突然あれだけの組織が協力を申し出てくるとは……国内の拠点を同時に押さえられるので、我々としては助かりますが」
「……そうだな」
「降谷さん?」
「いや、なんでもない」

行こうか、と声をかけて降谷が車を降りる。ホルスターの愛銃を確認し、ネクタイを締め直した。

(全く、油断も隙もならないな)

口元を緩めながら思い浮かべるのは、どこまでもマイペースな想い人の姿だ。

ナマエは確かに降谷に協力することはなかった。作戦中、もし窮地に陥ったとしても彼女が助けに来ることはないだろう。
かといって、大人しく帰りを待つだけの人ではなかったのだ。

ナマエはおそらく赤井に協力した。持てる限りの情報を開示し、不足分は新たに手に入れて提供したのだろう。
FBIやCIA、MI6が動いたのは赤井の働きかけによるものだろうが、これだけの人員を水面下で動かすのは容易ではなかったはずだ。きっとあの子供の介入もあったに違いない。

(……となると)

降谷は周囲のビル群を見渡し、ある一ヶ所で視線を止める。

(あの辺りか)

降谷を助けないという願いを彼女が従順に守るのなら、その役目を担うのは別の人間だ。
おそらくスコープ越しにこちらを見ているであろう男を思い浮かべて、降谷は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。

「ふ、降谷さん?」

上司の不穏な表情に、思わずといった様子で風見が声をかけてくる。

「…いや、一筋縄ではいかないと思ってな」
「えっ!?」

弱音とも取れるセリフに風見が戦慄く。作戦決行前になんてことを言うんだ、という顔をした彼に、降谷はフッと笑いかけた。

「ああ、作戦の話じゃない。僕の恋の話だ」

風見を置いて歩き出すと、背後から数秒空けて「は!?」という声が上がる。
それに小さく吹き出しながら、降谷はスーツのジャケット越しに愛銃を撫でた。予想が正しければ、きっとこれの引き金を引く機会には恵まれないだろう。

そしてその予想通り、彼らはほぼ無血で組織を摘発することに成功した。

突入してみれば都内の拠点はどこもセキュリティシステムが無力化されていて、中にいた幹部や構成員たちは全員拘束済みだった。
報告によれば"あの方"は郊外の別荘で拘束されて転がされていて、難なく確保できたらしい。また主要幹部が東京に集結しているタイミングを狙ったこともあり、他府県の拠点制圧も容易だったようだ。

そして事前にあらゆる可能性を想定して本拠地に乗り込んだ降谷だったが、まさか身動きが取れない状態のジンやベルモットと顔を合わせることになるとは思ってもみなかった。
ジンの鋭い視線と殺気を受けながら思わず吹き出してしまった降谷を、風見がなんともいえない表情で見つめていたのだった。




***




その日はよく晴れ、真冬にしては気温も高めだった。
太陽が真上に来る今のような時間では、仕事終わりのコートは暑いくらいかもしれない。そう思いながら降谷はネクタイを緩めた。

ただし仕事終わりとはいっても、こうして外に出られるのは三日ぶりだ。本庁におけるシャワールームと仮眠室の稼働率は、おそらくここ数年で一番高いだろう。
組織を摘発して一ヶ月、まだまだ後処理は続いているのだ。

降谷は手元のスマートフォンを確認しながら、その内容を元に足を進める。
画面に表示されているのは松田からのメールだ。彼は降谷が忙殺されているのを察した上で、たびたび情報を寄せてくれている。
今となってはこれが唯一の情報源だ。立場上返信はできないが、ありがたかった。

(……いた)

目線の先に、長い黒髪を揺らしながら歩く人影を発見する。
薄手のコートを羽織っただけの姿は相変わらず寒そうだが、高山育ちの彼女にとっては、この程度の寒さはもはや関係ないのだろう。

「こんにちは」

声をかけると、彼女がゆっくりと振り向く。気配ですでに気付いていたのだろう、特に驚く様子はなかった。
いつも通り穏やかな表情のまま彼に向き直り、続く言葉を待っている。

「…スマホ、どうしたんだ?」

彼女はぱちりと目を瞬かせて、それからバツが悪そうに目線を落とした。

「料理中に切っちゃって、新しくしました」

それは一体どういう状況だろう。まな板に置いていたのか?
思わず深堀りしたくなった降谷だが、とりあえずこれで電話が通じなくなった原因はわかった。
それならまずは、世間話より自己紹介だ。

「あー、えっと……何も演じずに話すのは初めてだから、緊張するな」

照れくさそうに頬を掻く降谷を見て、彼女がふふ、と笑う。その笑顔に降谷もまた表情を柔らかくして、再び口を開いた。

「……僕は降谷零、よろしく」

ようやく名乗れた本当の名前に、それを聞いたナマエは嬉しそうに微笑んだ。

「私はナマエ=ゾルディック。よろしくね」

彼女もまた、初めて自分の口から名前を告げる。
何もかも剥ぎ取って、ただの降谷零として彼女に会えた。話したいことも聞きたいことも山ほどある。そのための時間だって、これからはいくらだって作れるだろう。

「先日はありがとう。君のおかげで、負傷者を出すことなく組織を摘発できた」

まずはお礼を、と話し出せば、ナマエは笑顔のまま首を傾げた。

「なんの話?」
「え?」

あくまでしらを切るつもりらしい。
降谷は思わず苦笑いを浮かべ、「いや、なんでもない」とその話題を終える。

二人の間に少しの沈黙が流れると、ふいにナマエが目尻を赤らめて瞳を揺らした。

「あの、私…あなたに言いたいことが」

その先に続く言葉を察した降谷が、距離を詰めてナマエの手を取る。
両手を包まれたナマエの頬が目に見えて紅潮し、そしてそれを隠すように彼女は俯いてしまった。

「ナマエさん、顔を上げて」

努めて優しく促すと、ナマエがゆっくりと顔を上げる。揺れる瞳と視線が絡んで、降谷は自然と笑みが零れた。

「君からはもう、充分すぎるくらい色々なものを与えてもらってる」
「……そんなこと」
「そろそろ僕からも返させてくれないか?」

え、と彼女の黒曜石のような黒い瞳が、言葉の意味を問うように瞬いた。
それを見ながら、降谷は冬の空を切り取ったような灰青色の目を柔らかく細める。

「好きだよ、ナマエさん」

ゆるゆると見開かれる目を見つめながら降谷は続けた。

「君が好きだ」

は、とナマエの呼吸が乱れる。綺麗な瞳に涙の膜が張って、冬の日差しにきらきらと揺らめくのがよく見えた。

「あ、あの…私……」
「……おっと、目立つつもりはなかったんだけどな」

辺りに人影はなかったはずだが、すぐ近くの民家の窓に目を輝かせた子供たちがへばりついている。
雰囲気も何もあったものじゃないと降谷が苦笑したところで、突然の浮遊感と腹部の圧迫感に「うっ」と声が漏れた。

そして突然視界が切り替わったと思ったら、そこは近くのビルの屋上だった。

「……はは、びっくりした」

ありがとう、と目の前のナマエに笑いかける。どうやら場所を変えてくれたらしい。
すると今度は、冷たい手が降谷の両手をぎゅっと握り込む。

「え」

見るとナマエが真っ赤な顔で眉間に皺を寄せ、降谷を睨みつけるように見つめている。

「…ナマエさん?」

目を丸くした降谷に、ナマエは険しい表情のまま口を開いた。

「わ……私も好き!」
「え?」
「好きです!」

なんとも力のこもったそれは、彼女の一世一代の告白だ。

「……ふっ」
「え?な、なんで笑うの…?」

一生懸命すぎるそれに降谷が脱力する。
そして、何かおかしかっただろうかと目線をさまよわせるナマエの額に、自分のそれをコツリと当てた。
相変わらず慣れない彼女がビクリと肩を震わせるのを見て、思わず本音が漏れる。

「可愛い」

すると予想通り熟れたトマトのように顔を紅潮させたナマエが―――意外にもふわりと微笑んだ。
あまりに嬉しそうに笑う彼女に、降谷は額越しに熱が伝わってくるような気がして、自身もまた頬が熱くなるのを感じた。

「…まいったな。相当好きだ、僕も」

重なる熱に誘われるようにして、二人は唇を触れ合わせた。


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