番外編
※2021年三が日連続更新企画三本目
※本編中時間軸
※付き合ってない
「本当によかったのかな、私まで」
「それ言ったら俺の方が関係ねーだろ…」
面倒臭そうに頭を掻いた松田が、「にしてもすげぇ屋敷」と辺りを見回す。
二人がいるのは鈴木財閥が所有する日本家屋だ。四方を背の高い白塀に囲まれ、手入れの行き届いた広い日本庭園がある。
国の重要文化財に指定されているらしいが、ナマエにはその凄さが今一つよくわかっていなかった。
今日は一月三日。
ここでこれから行われるのは、園子主催の新年会だ。
ナマエは松田とポアロにいるところを園子に誘われ、その勢いに押し負ける形で参加を約束させられたのだった。
「その服、袴っていうんだっけ。似合うね、陣平」
「あー、久々に着たわこんなん」
松田が着ているのは仕立てのいい羽織袴だ。
園子は全員分の和装を用意していたようで、到着するなりお手伝いさんに別室へと連れ込まれたのである。
「お前もなんか着慣れてんな。着物着たことあんの?」
「あるよ。ミルキに頼まれて」
「出たな、安定のミルキ」
「ふふ、あの時はカルトもお揃いだって喜んでたなぁ」
当時を思い出したのか、ナマエが口元に手を当てて笑みを零す。
彼女が着ているのは柔らかな菫色の訪問着で、牡丹や枝垂れ桜といった花々が贅沢に配されている。金糸の刺繍や赤い帯締めが全体を引き締め、正月にふさわしく華やかな印象だ。
長い黒髪も上品にまとめられ、白いうなじが露わになっている。
「ナマエさんと松田さんもこっちで写真撮りましょー!」
庭で記念撮影を楽しんでいた園子に手招きされ、二人は履物を履いて庭に下りた。
そこにはすでに着替えを済ませた蘭や園子をはじめ、毛利小五郎、阿笠博士、少年探偵団といったお馴染みの面々が勢揃いしている。
全員が和装というのは、なかなかに壮観だ。
「じゃあ、二人ともこっち向いてー!はい、笑顔!」
園子にカメラを向けられても、松田はいつも通り無愛想でニコリともしない。
むしろあえて威嚇しそうな勢いである。
「陣平、ちょっとは愛想よくしたら?」
「ヤだよ。キャラじゃねぇし」
「あ、いーのいーのナマエさん。松田さんはムスっとしててもイケメンだから、これはこれでオッケー!」
園子は嬉しそうな笑みを浮かべてグッと親指を立てた。
どうやら松田の不機嫌顔も一定の需要があるらしい。
「……喜ばれるとそれはそれで腹立つな」
満足したらしい園子の後ろ姿を眺めつつ、松田がぽつりと呟いた。相変わらず性根がひねくれている。
「遅くなってすみません。着替え終わりました」
ふいに背後から聞こえた声に、ナマエは咄嗟に松田の羽織を握り締めた。
「あ?……あー」
一瞬きょとんとした松田だったが、すぐに納得したように目を細める。
こちらを振り向いた園子や蘭が、ナマエの背後を見てキラキラと目を輝かせた。
「わあ…っ!すっごくお似合いですよ、安室さん!」
「くーっ!やっぱりイケメンは何着ても似合うわね!」
「はは、大袈裟だなぁ」
ナマエは松田の羽織を掴んだまま、背後を振り返ることもできずに固まっている。
二人がこの屋敷を訪れた時、安室はまだ到着していなかった。
そのため彼と会うのはこれが今年初めてなのだが、ただでさえ普段と違う場所で会うことに緊張してしまうのに、和装姿だなんてまともに見れる気がしない。
「ナマエさん?」
「!」
気配では気付いていたものの、背後からひょこっと顔を覗き込まれて思わず肩が跳ねた。
「あけましておめでとうございます」
にこっと笑う顔はいつも通り爽やかだが、後ろに撫でつけた金髪と羽織袴が普段より落ち着いた雰囲気を漂わせている。
ナマエはそれを直視できず、「あけましておめでとうございます」と小さく返しながら視線を逸らした。
「松田さんも」
「おー、あけおめ」
傍らの松田と簡単な挨拶を交わした後、安室はナマエの耳元に唇を寄せる。
「ナマエさん、とっても綺麗です」
突然バシンと音を立てて耳を押さえたナマエに、松田がぎょっとした表情を浮かべた。
安室はそのまま毛利達のところへ向かってしまい、後に残されたのは耳を押さえて顔を赤くしたナマエと松田だけだ。
「…アイツ、いい性格してんなぁ」
「………」
「おーい、ナマエちゃん?これ借りモンなんだけど」
これ、と松田が示したのは掴まれたままの羽織だ。
ナマエがぎゅっと握り締めているために、無残にもクシャリと皺が寄ってしまっている。
しかし指摘したところで手は離れない。それを見て松田は呆れたようにため息をついた。
「ほんっと好きな。お前」
「……!」
「ちょちょちょ、力強めんなコラ!」
ぎゅうっと手の力を強めたナマエに、松田は「こんなの弁償できねーぞ」と悲痛な声を上げた。
***
「さーて!お腹も満たされたところで、次は楽しい楽しい正月遊びよ!」
広々とした座敷で正月料理に舌鼓を打った一同は、園子の呼びかけで再び庭園へと下りて来ていた。
ちなみに日本酒をしこたま飲んだ毛利は座敷に転がっており、哀は安室が登場した辺りから姿を見ない。
蘭が料理を乗せたお盆を持ち出していたのを見るに、おそらく体調不良を装って別室に避難しているのだろう。
「あっ、凧だ!歩美凧上げやりたい!」
ピンクの振袖を着た歩美が、お茶用の長椅子に並んだ凧を手に取った。
「いいですねー!」と光彦がそれに賛同し、元太が阿笠博士とコナンを呼び寄せる。面倒臭そうな表情を隠しもしないコナンを引っ張り、子供たちは人数分の凧を持ってその場を離れていった。
「ガキどももいなくなったし、大人組は羽子板でもやりましょ」
「あ、羽子板いいね!お正月って感じ」
女子高生二人が、その場に残った安室と松田、ナマエの三人に羽子板を手渡していく。
ナマエが物珍しそうにそれを眺めていると、蘭が羽根つき遊びのルールを教えてくれた。
なんでも二人で羽根を打ち続け、ミスした方が墨で顔や体に落書きされるというのが定番の流れらしい。
「まずはナマエさんと安室さんね!」
「えっ」
思わず声を上げたナマエを園子が引っ張り、少し離れたところで耳打ちしてくる。
「大丈夫大丈夫!ナマエさん、真さんの師匠なんだから楽勝よ」
「いや、それ引き受けてないけど……」
「サクッとミスさせてほっぺにでも墨塗ってやんなさい!」
墨、と呟くように繰り返す。
安室の頬に筆を向ける自身を想像し、ナマエの頬が熱を帯びた。
「あの、私見学で」
「何言ってんの!新年早々好きな人と羽根つきだなんて、こんなキュンキュンするシチュエーションなかなかないわよっ」
「す……っ」
なんで知って、と問い返す間もなく「さあさあ始めるわよ!」と背中を押されて元の場所に戻った。
羽根を一つ手渡され、向かい合った安室とナマエを残る面々が離れて見守る。
「それじゃ、行きますね」
「は、はい」
コン、と小気味のいい音を立てて羽根が飛んでくる。
ふんわりと弧を描いて手元に来たそれを打ち返せば、慣れた手付きで安室が再び打ち返してきた。
「ご存知ですか?羽根つきは元々邪気を
はねのける目的で始められたものなので、魔除けや厄除けの意味があるんですよ」
「へえ、そうなんですか」
「ええ。ですから勝ち負けは気にせず、お互いの無病息災を祈って長く打ち合い続けるのが良しとされているんです」
打ち合いながら披露された安室の蘊蓄に、ナマエは「なるほど」と感心したように頷いた。
それなら先ほど園子が言ったようにミスを誘うのはマナー違反だろう。
「そういえばナマエさん。正月とはいえ、赤い帯締めだけはいただけませんね」
「え?」
「もちろんナマエさんは文句なしに綺麗ですが―――」
コツン、とナマエの羽子板に当たった羽根が、上に飛ぶことなく地面に落ちた。
頬を染めて固まった彼女に、安室が「おや」とわざとらしく目を丸くする。
落ちた羽根を拾いながらナマエとの距離を詰め、彼は嬉しそうにニッコリと笑った。
「落ちちゃいましたね。じゃあ、僕の勝ちということで」
勝ち負けじゃないって言ったのはどこのどいつだ!という松田のヤジが聞こえる。
女子高生二人はキャーキャーと手を取り合って喜んでいて、ナマエ自身はミスを誘われたことを悔しく思う余裕もなかった。
お手伝いさんから墨のついた筆を受け取った安室は、立ち尽くすナマエの手を取ってその甲に小さくバツを書く。
「もう一度やりますか?リベンジ、受け付けますよ」
楽しそうに提案した安室にナマエは無言で首を振る。この男に駆け引きで勝てる未来なんてきっとやってこない。
安室は「それは残念」と全く残念そうじゃない顔で言って、ふっと笑った。
***
「よっしゃ、次は俺がナマエの仇を取ってくるわ」
女子高生組の羽根つきが終わるのを見て、松田が気合十分にそう言った。
そう言う彼の右頬にはバツ印が三つついているが、これは先ほどナマエがつけたものだ。
ナマエに向かって「ラリー続けるとかケチ臭ぇこと言わずに全力で来い」と煽っておいて「その容赦のなさをアイツにも向けろや!」と悲鳴混じりに叫んだことはすでに記憶の彼方に葬り去ったのか、松田はやけに自信満々な表情を浮かべている。
「なんか楽しそうだね、陣平」
「アイツとは色々因縁があるからな。あの野郎、今度こそ吠え面かかせてやる」
そう言って羽子板を持った腕をグルグルと回し、準備万端といった様子で安室の前に立った。
「ダラダラ打ち合うとかつまんねぇ真似はしねーよな」
「はは、随分と不穏な物言いですね」
「単純に墨塗られた回数が多い方が負け。それでいいだろ?安室サンよ」
「構いませんよ。では一回のミスを一失点として、五点差がついた時点で決着としましょうか」
五点差とは、かなりの長期戦になりそうな気もするが。
実は安室もかなりノリノリなのでは?とナマエは思った。
コンッと軽やかな音で始まった打ち合いは、次第に物騒な音へと変わっていく。
「おいテメー羽子板でジャンピングスマッシュすんな!」
「おや、すみません。手加減が必要ですか」
「あぁ!?上等だコラ、本気出したらァ」
一つ、また一つと二人の顔に落書きが増えていくが、実力が拮抗していてなかなか五点差には至らないようだ。
安室のスマッシュを松田が拾ったかと思うと、テニスでいうロブのように高く上げられた羽根が不規則に回転しながら落ちてくる。
それを安室が後方に跳びながら打ち返したところで、素早く振り抜かれた松田の羽子板が安室の耳を掠めるように羽根を飛ばした。
「うっし、これで逆転」
「なかなかやりますね……」
二人の熱気は最高潮に達しているが、ホストである園子はとっくに「これいつ終わんの?」という表情だ。
と、そこに凧上げを終えた子供達と阿笠博士が戻ってきた。
そして羽根つき遊びとは思えないほど白熱した二人の戦いに、皆一様に目を丸くする。
「ナマエさん、これって……」
「ふふ、盛り上がっちゃってるみたい」
コナンの問いに、ナマエは可笑しそうに口元を緩めながら答えた。
「二人とも、墨の落書きですごいことになってるけど」
「なかなか勝敗が決まらなくて」
「あの安室さんと対等にやり合うなんて…松田さんも凄いんだね」
友人を褒められ、ナマエは「そうだね」と目を細めて同意する。
ちなみにコナン以外の子供たちは拳を振り上げて二人を応援しているようだ。
しかし点差は開かないまま、結局完全に飽きた園子の一声によって熱戦は幕を下ろした。
「うわ、これどうなってんだ。おいナマエ、ちょっと拭いてくれ」
そう言って松田に手渡されたのは、顔の墨を落とすための濡れタオルだ。
適当にガシガシと拭いたらしく、彼の顔は墨を塗り広げたような状態になっていてちょっと面白い。
「いいよ。目、閉じて」
ナマエはタオルを受け取ると綺麗な面が出るように畳み直し、拭きやすいように屈んだ松田の顔をそっと拭った。
墨汁は落ちにくいようで少し苦戦したが、繰り返し拭いているうちに綺麗になってくる。
お手伝いさんから新しい濡れタオルをもらって仕上げに拭き上げれば、ようやく羽根つきを始める前の状態に戻った。
「うん、綺麗になった」
「あー助かった。ありがとな」
疲れきった様子の松田に「どういたしまして」と返したところで、後ろから「ナマエさん」と名前を呼ばれて振り返る。
「僕もお願いできますか」
「えっ」
そこにいたのは安室だが、彼の顔は手付かずのまま墨まみれだ。
お湯で絞ったばかりの温かな濡れタオルを手渡され、ナマエは反射的にそれを受け取ってしまう。
「あ、あの」
「自分では見えないので、お願いします」
安室が少し屈んで目を閉じ、その顔をナマエに向かって近づけてくる。
ナマエは小さく息を呑み、濡れタオルを握り締めたままカチンと硬直した。
「ナマエさん?」
そのまま小首を傾げた安室に、ナマエは思わず「うっ」と狼狽える。
―――あれ、絶対楽しんでるな。
それはその場にいる全員の心の声が一致した瞬間だった。
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