15
今回、語り部となる男の名は山田。最近この辺りに家族で越してきた小説家である。
見るからに冴えない風体だが、一度は社会現象すら引き起こしたベストセラー作家だ。
小説投稿サイトで話題となった彼の処女作はそのまま書籍化。名だたる賞をいくつも受賞してトントン拍子に実写映画化され、その後のコミカライズ版で幅広い世代にファン層を拡大した。
しかし山田の創作意欲はそこで潰えてしまった。
次回作を妻や関係者にも期待されているが、何も生み出せないままに数年が経過。妻の希望で高級住宅街に家を構えてしまったが、今後のことを思えば不安しか浮かばなかった。
そんな山田の日常はすっかり専業主夫と化していた。そして山田は今日も、息子を迎えに行くために幼稚園へと向かうのだった。
「こんにちは」
「あ、こんにちは。えーと」
「山田です。最近入園した……」
「ああ、年長さんの」
息子を連れた山田が挨拶したのは、園庭の端に集まっていたママたちだ。
彼女らの周りでは、その子供たちが土いじりをして遊んでいる。母親たちが会話に花を咲かせている間、暇なのだろう。
「園には慣れました?」
「ええ、おかげさまで」
「それはよかった。ね、よかったね〜」
ママの一人が山田の息子に笑いかける。
すると暇そうに土をいじっていた子供たちが、入口の方を見て「あ!」と声を上げたかと思うと、そちらに一目散に駆けていった。
「あー、降谷さんだ」
「よかったー。これで今日も機嫌よく帰ってくれるわー」
「ホントホント。降谷さんに会えると会えないとじゃ大違いだもの、うちの子も」
どうやら時間を潰していたのは子供たちの方で、ママたちはそれに付き合わされていたらしい。
子供たちが駆けていった方に山田が視線を向けると、そこには黒いロングコートを着た長身の女性がいた。
艶やかな黒髪は長く、シンプルなパンツスタイルにローヒールの黒いパンプスを合わせている。スタイルの良さも相まって、まるでどこぞのモデルのようである。
そして子供たちに纏わりつかれながらその女性が近づいてくると、まるで作り物のように整った顔立ちをしていることがわかった。
落ち着いた雰囲気ながらに若々しさもあり、とても幼稚園児の子供がいる母親には見えない。彼女はこちらに向かってぺこりと会釈すると子供たちに話しかけた。
「透連れてくるから、待っててね」
「はーい!」
「いそいでね!」
「はいはい」
子供たちに手を振って、女性が園舎に消えていく。
「えっと……有名な方なんですか?」
呆気に取られながら山田がママたちに問いかけた。彼の息子もまた、他の子供たちの勢いに気圧されているようだった。
「降谷ナマエさん。年長の透くんのお母さんで、子供たちから大人気なんですよー」
「人気、ですか」
「そうそう。あの人に遊んでもらえるとみんな機嫌よく帰れるの」
「へえ……」
物書きの性だろうか、山田の好奇心がムクムクと湧き上がってくる。
「どんな人なんですか?」
「それがねー」
「ねー」
「よくわからないのよね」
え?と目を瞬かせた山田に、ママたちは口々に説明した。
「お茶に誘っても断られちゃうし、子供同士で遊ぶ時もいつも近所の公園とかで」
「そうそう。素敵なおうちなのに誰も上げてもらったことないのよねー」
「旦那さんの職業も公務員としか言わないから、誰も知らないのよ」
「お金持ちそうだし官僚かなーとか噂してるんだけど」
「ていうか誰も見たことないわよね?降谷さんの旦那さん」
ないないー、とママたちが同意する。
そのマシンガントークに山田は思わず仰け反りかけた。
「そ、そうなんですね……。すごく若いママさんですよね」
「それが三十代なのよ!」
「35とかその辺だった?見えないわよね」
それには山田も驚いた。落ち着いた雰囲気を漂わせてはいたが、見た目だけで言ったら二十代半ばくらいにしか見えなかったのだが。
「あ!透くんたちきた!」
「はやくあそぼ!」
また暇そうに土をいじっていた子供たちがバッと駆け出す。その先にいたのは降谷ナマエと、その息子の透だ。
透は黒髪黒目のナマエと違って金髪に青い目、褐色の肌とかなり日本人離れした容姿をしている。顔立ちは似ている気もするが、おそらく全体的に父親似なのだろう。
「透くんもやる?」
「うん、やる」
友達に誘われた透はコクンと頷いた。クールというか落ち着いているというか、理知的な雰囲気を纏った少年だ。
「じゃあ、よーい……どん!」
一人の掛け声と同時に、子供たちがそれぞれ別方向に散開した。幼稚園児とは思えない俊敏な動きと足の速さに山田は瞠目する。
「え?速っ……」
「降谷さんにすっかり鍛えられちゃったわよねぇ」
「うちの子運動会で初めて一着取ったもの」
「あとやたら無駄な動きが減ったわ」
「わかる」
感心するママたちをよそに、子供たちが散る様を見届けたナマエはゆっくりとカウントダウンを始めた。
「じゅーう、きゅーう、はーち」
無造作に立ったまま数え続け、「ゼロ」と口にした瞬間、その姿がかき消える。
「えっ?」
山田は思わず目を丸くし、彼の足にしがみついていた息子もまたビクッと体を震わせた。
「え、あの、今」
何が起こっているのかママたちに問いかけようとしたところで、消えたのと同じ場所に音もなくナマエが現れる。それに驚いた山田親子は再び体を跳ねさせた。
しかし先程と違い、彼女の両腕には二人ずつ子供が抱えられているし、背中には首に腕を回した透がぶら下がっている。
ナマエが子供たちを地面に下ろすと、彼らは興奮気味に話し始めた。
「またまけたー!」
「ちゃんとみんなでちがう方向にはしったのにー!」
「ごびょうながい!」
どうやら彼女から五秒間逃げ回るという遊びのようだ。
「それにまた透くんがおんぶだ!ずるい!」
「ボクもおんぶがいいー!」
「ふふ、透くらい力が強くなったらいいよ」
じゃないと振り落としちゃうからね、とナマエが笑う。
「じゃあ次は高い高いして!」
「はいはい」
ナマエが子供たちを抱え直すと、その背中をよじ登った透が再び首に手を回す。
「いくよ。高い高ー」
い、という声は、少し離れたジャングルジムの頂上から聞こえた。
あっという間に高くなった視界に、子供たちがきゃいきゃいと歓声を上げている。
自分の知っている高い高いと違う、と山田は真っ白に染まった頭の片隅で思った。
***
翌日、息子を幼稚園に送り届けた山田は近くをぷらぷらと散策していた。
次回作の構想を練る合間の気分転換だが、引っ越してきたばかりなので地理の把握も兼ねている。
住宅街は静かだが、大通りに出ると人や車通りも多く、さすが都会といった印象だ。
「あっ」
辺りを観察しながら歩いていたからか、向かいから来た男と肩がぶつかってしまった。
「チッ、あぶねーな」
「す、すみません……」
ぺこりと頭を下げてその場を後にしたところで、背後から男の呻き声がして振り返る。
そこには腹を抱えて悶絶する男と、なぜか降谷ナマエの姿があった。
「……え?」
ナマエは男から何かを取り上げると、山田のもとに近づいてくる。
「はい、財布。スられてましたよ」
「えっ!?」
手渡されたのは確かに自分の財布だ。さっきぶつかった時だろうか。
ナマエはあっさりUターンして男のもとに戻ると、その前に立ってどこかに電話をかけ始めた。
「うん、他にも何個か財布持ってるみたい。あ、近くにいる?じゃあよろしくね」
電話を切ると、慣れた手つきで男を電柱に括り付ける。そのまま立ち去ろうとしたナマエに、山田は思わず声をかけていた。
「あ、あの!」
「はい?」
「僕、同じ幼稚園に息子を預けてる山田といいます」
「……ああ、昨日の」
降谷です、と会釈したナマエに山田が深々と頭を下げる。
「あの、ありがとうございました。スリなんて全然気づかなくて」
「いえ。常習犯みたいなので、わからなくて当然です」
「それであの、お礼がしたいんですが……」
窺うように言うと、ナマエは「別にいらないです」とそれを固辞した。
それでは気が収まらないと山田が食い下がると、なんとか近くの喫茶店でコーヒーをご馳走するくらいは了承してもらえた。
「というか、あの人…交番に連れてかなくてもいいんですか?」
山田の視線の先にいるのは電柱に拘束され、力なく項垂れているスリの男だ。
「交番だと書類書いたり色々面倒じゃないですか。近くに知り合いの刑事さんがいるみたいなので任せました」
「そ、そうですか……」
刑事を電話一本で呼び出せるとはますます謎な人だ。
そう考えながら彼女とともに喫茶店に入った山田は、テーブルについて早々、自己紹介ついでに名刺を差し出した。
「へえ、小説家さんですか」
「すっかり一発屋ですけどね……」
「私あまり本とか読まなくて…このペンネームも知らなくてすみません。夫はなんでも読むので知ってると思いますけど」
ナマエの夫といえば、その姿も職業も謎だと幼稚園のママたちが話していた人物だ。
「旦那さん、どういった方なんですか?例えばご職業とか……」
「公務員ですよ」
聞いていた通りの返しだった。
あまり突っ込んで聞けるような間柄でもないと諦めた山田は、逆に自分の仕事について話すことにした。
クールに見えて意外にも聞き上手なのか、何を話しても興味深そうに相槌を打ってくれるナマエに山田の口もついつい軽くなる。
結局山田はデビューまでの流れから妻によるプレッシャー、ここ数年のスランプに至るまで赤裸々に話してしまった。
「スランプですか」
「はい。お恥ずかしい限りですが……」
「そういう時ってどうやって抜け出すものなんですか?」
首を傾げて問いかけるナマエに、山田は「うーん」と考え込む。
「よく言われているのがインプットですね。ジャンルを問わずいろんな物語に触れたり、人から話を聞いたり。僕の場合は活字を目にするのも嫌になってしまって、読書もなかなか進まないんですが……」
山田はそう言って頭を掻きながら苦笑した。
ナマエは「へえ」と相槌を打ち、口元に手をやって何やら考える素振りを見せた。
「……よかったら、なんですけど。私が見た夢の話でもしましょうか」
「夢ですか?」
「はい。なんとなく、誰かに聞いてほしい気もして」
それまでとは打って変わってどこか言いにくそうな雰囲気を漂わせるナマエに、山田の好奇心が刺激される。
「ぜひ聞いてみたいです!」
「かなり荒唐無稽な話なんですけど……」
「構いません!」
「わっ」
前のめりになった山田に苦笑しつつ、ナマエは「じゃあ」と話し始めた。
***
しばらくしてナマエが話し終わると、山田はテーブルのナプキンで乱雑に目元を拭った。
「だっ……大恋愛じゃないですかぁっ……」
彼女が話したのは、漫画の世界から飛び出してきてしまった暗殺一家の長女と、とある犯罪組織を追う潜入捜査官の恋の話だった。
「お互いがお互いの気持ちと正体を知らないまま、すれ違いにすれ違って……。なのに昼間は喫茶店で店員と客として会ってるだなんて、ドラマチックが過ぎますよ!」
チーン、とナプキンで鼻をかんだ山田に、ナマエは小さく笑みを零した。
「やっぱり、ファンタジーすぎますよね」
「そりゃ、現実にはあり得ない話ですけど……夢にしてはリアルだし辻褄も合ってるし、一つの物語を聞いたような気分になりました」
こんな夢見たら誰かに話したくもなります、と山田は熱っぽく話す。
「その漫画、彼女が出てきた後はどうなってるんでしょうか」
「ああ……実は全然新刊が出てなくて、よくわからないんですよね」
「え?」
「あ、いえ。夢の中ではそういう設定になってました」
「なるほど」
随分とアフターフォローの利いた夢だ。
山田はつい、もっと突っ込んで聞いてみたくなった。
「彼女の家族も心配してるでしょうね」
「うーん、どうかな……最後の現場から痕跡を追うくらいはしそうですけど、追い切れないとわかったら諦めるんじゃないですか」
「それも設定ですか?」
「ふふ、これは私の予想です」
そう言って穏やかに微笑んでから、ナマエは「そろそろ行かないと」と席を立つ。
「え、もう行かれるんですか」
「はい。今日は徹夜明けの夫が昼頃に帰ってくる予定なので」
「そうなんですか」
幼稚園のママたちは官僚だと予想していた彼女の夫だが、徹夜明けとなるとその線も微妙になってくる。
スリから助けられた礼を改めて言うと、彼女は「こちらこそ、コーヒーご馳走様でした」と去っていった。
残された山田はナマエから聞いた物語によって、小説を書きたいという気持ちが湧き出てくるのを感じていた。
(あの設定いいなぁ。ストーリーが一見荒唐無稽だから、登場人物の設定はもう少しシンプルでキャッチーに……。暗殺者とFBI捜査官の時空超越ラブコメとか)
「暗殺者のモデルはナマエさんにしてもいいかな……」
と、山田は彼女の夫が知ったら怒り狂いそうなことを呟いた。
(にしても、ナマエさんって不思議な人だな。創作意欲をかき立てられる)
かの有名な工藤優作が彼女を同じように評したことがあるなど、もちろんこの男が知る由もない。
(まるで彼女自身、完成されたキャラクターみたいだ)
そして知らず知らずのうちに核心に至っていたことも、彼が知ることはないのだった。
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