本編後IF(後編)


朝食後、シャワーを浴びてまた登庁するという零を三人で見送り、今度はナマエとイルミ、透の三人で家を出た。
やはりイルミの目元は目立つということで、零に借りたキャップを目深に被らせてある。

透は初めて会った叔父にすっかり懐いていて、今も嬉しそうにイルミの手を引いて歩いている。

「透、鍛えないの?」

透の手に触れて何を思ったのか、イルミがそう問いかけてきた。

「これでも同年代の子よりはよっぽど強いんだよ。それ以上はまだいいかな」
「ふーん。料理に毒も入ってなかったね」
「入れたら零が死んじゃうよ」

「あ、そっか」とイルミは納得したようだ。
この世界がいかに平和かは、あえて確認しなくとも外に一歩踏み出すだけでよくわかっただろう。

「小さい事件は多いけど、楽しいこともたくさんあるよ。今日はあちこち連れて行ってあげる」

そう言って笑いかけると、イルミは「期待しとくよ」と短く返した。

幼稚園に着いて透と別れると、イルミを連れたナマエはママ友からの質問攻めに遭った。
どうやらイルミを謎に満ちた夫本人だと思ったようである。それを否定して弟だと答えつつ、彼の顔が覚えられないよう足早に幼稚園を出る。

「イルミ。家を出る時に言ったこと覚えてる?」
「覚えてるよ。"念禁止"、"争わない"、"殺さない"でしょ」
「"針禁止"もね」
「はいはい」

具現化系ではなく操作系のイルミは、零の服を借りた今も体の至るところに針を仕込んでいる。
そのこと自体は責めるほどではないが、彼はナマエと違ってターゲット以外も平気で殺すし道具にする。仕込んだ針を実際に使われてしまっては困るのだ。
ナマエは何度も念押しをして、イルミの返事に「よし」と頷いた。




***




街中に出ると、ナマエはまずタピオカドリンクのワゴンを見つけて近づいた。

「これ美味しいんだよ。もちもちして」

ブームは多分終わってるけど、と言うナマエにイルミは「ふーん」と答える。
ミルクティーを買って手渡すと、イルミは太いストローで器用にタピオカを吸い上げた。

「もちもちしてる」
「でしょ」

その時二人の前を一人の男が通り過ぎる。
ナマエはすんっと鼻を動かし、それからおもむろに一円玉を具現化して男の肩にピシッと弾き飛ばした。

「わっ!?」

男が体をよろめかせたところに、今度は反対側の肩を弾く。
男は踊るように左右に体を振りながら、やがて少し先の交番に辿り着いた。不審な動きの男に、交番前に立っていた警察官が声をかけるのが見える。

「何したの?」
「禁止薬物の匂いがしたから、お巡りさんに突き出したとこ」
「念使ってるじゃん」
「正義のためならいいの」

正義?とイルミが首を傾げる。

「あ、言ってなかった。零、警察官なの」
「ふーん」

イルミが興味なさそうに呟いたところで、「ナマエ」と聞き慣れた声に呼ばれて振り向いた。

「来た来た、陣平」
「いや、マジでいるし、イルミ……」
「誰?」
「私の友達」
「へえ」

イルミが来たことは朝のうちに同期組に知らせてある。
そのうち松田が非番だというので、よかったらおいでと連絡しておいたのだ。
イルミに自己紹介をした松田は、ナマエにこそっと耳打ちをする。

「つか友達とか言っていいの?大丈夫?俺殺されねぇ?」
「え?ああ、大丈夫だよ。キルアじゃあるまいし」

ね、とイルミを窺うと、聞こえていたらしい彼がぱちりと目を瞬かせた。

「まあ、姉さんの交友関係に興味はないよ」
「ほら」
「いやそれもどうなんだ?」

イルミの偏愛はキルアに対してのみである。それを目の当たりにした松田はなんともいえない表情を浮かべた。
つーかゾルディック二人でタピオカもちもちしてるのもすごい光景だな?と思う松田だった。




***




「本当にキャラクターなんだ、オレ」

そう言ってしゃがみ込むイルミの視線の先にあるのは、ハンターハンターのカプセルトイの筐体である。
最近数年ぶりの新刊が出たらしく、界隈がまた盛り上がってきているようだ。ただし内容的には暗黒大陸編の続きなので、ゾルディックはイルミくらいしか出てこないし、ナマエ=ゾルディックについても謎のままだが。

「やってみる?キルアが出るかも」
「やる」

即答したイルミに百円玉を三枚渡してやり方を説明すると、早速コイン投入口にそれを入れてツマミを回した。
ガチャンという音とともにカプセルが落ち、それを取り出す。

「開けてやろーか」

松田が手を差し出すより早く、イルミがバキャッとそれを開けた。
開けたというより、上下を固定する爪やテープに構わず破壊したと言った方が正しいか。
中途半端なところで手が止まった松田は、それを呆気に取られた様子で見つめていた。

「あ、ゴンだ。いらない」

ポイッと投げ捨てられたそれをナマエがキャッチする。

「こら。ポイ捨て禁止」
「禁止事項多すぎない?」
「これはマナー」

ナマエの説教もどこ吹く風で、イルミはしゃがんだまま「もう一回」と手のひらを差し出した。
そこに素直に硬貨を差し出す姉も姉である。
結局二回目はイルミが出て、三回目に念願のキルアが出た。それを見たイルミがちょっと嬉しそうにしていたのはナマエの目にしかわからなかっただろう。

「中も入ってみる?」

三人がいるのはゲームセンターの店頭だ。
イルミが頷いたので中に入ると、クレーンゲームのエリアにハンターハンターの筐体がいくつかあった。

「掴むまでは簡単なんだけど、あとは運も大きいんだよね」

空間把握能力は問題ないのに、いつもアームの設定に泣かされているナマエが言う。
試しにキルアのぬいぐるみを狙ってやってみるが、やはり持ち上げた時点で落ちてしまった。

「ふーん。代わって」

続いてイルミが挑戦するが、持ち上げるまでは簡単にできるのに獲得には至らない。

「陣平やってみてよ。手先器用でしょ?」
「あ?俺がやったら瞬殺だっつーの」

その言葉通り、松田はぬいぐるみに付けられた紙タグのループにアームの端を引っ掛け、易々と持ち上げてしまった。
そのまま運ばれたキルアのぬいぐるみが取り出し口に転がり落ちる。

「へえ、すごいね」

松田はそのままゴンやイルミ、クロロなどを続けざまに獲得した。

「ゴンはいらないよ」
「陣平、クロロもいらない」
「いや面倒臭ぇ姉弟だな」

わがまま言うんじゃありません、と松田が呆れたような表情で吐き捨てる。
その後コツがわかったイルミが別の筐体で挑戦するが、キルアばかり獲り続けるイルミをナマエはいつも通りの表情で、そして松田はげんなりとした表情で見つめていた。




***




ゲームセンターを出た三人は近くのファミレスで昼食を取り、冷やかしに書店を覗いてハンターハンターの単行本を眺め、それからナマエの提案でカラオケに向かう。
もちろんイルミは歌わないし、ナマエも知っている曲は少ないので、歌うのは基本的に松田ばかりだ。この時のことを地獄のような時間だったと後に松田は語る。

カラオケを出た後は移動販売のワゴンでクレープを食べ、そうこうしているうちに幼稚園の迎えの時間になって松田と別れる。

幼稚園から出てきた透がイルミを見てまた目を輝かせるので、ナマエとイルミ、透の三人で近所の公園で遊ぶことになった。

「はい高い高い」

透の体を掴んで放り投げるイルミに、投げられた本人は怖がる様子もなく「すごい!高い!」と歓声を上げる。
公園にいた人々が何事かと目を丸くするが、ナマエが「弟です」と紹介すると、彼女を知る人は「ああ…」と納得したように頷いた。

「あ、透。いらないからこれあげる」

散々遊んだところでイルミが透に差し出したのは、二つ提げていたゲームセンターの袋のうちの一つだ。
それを覗き込んだ透が嬉しそうに顔をほころばせる。

「ぬいぐるみがいっぱい!いいの?」
「うん、いらないから」

大量のゴンやクロロに「いらない」を強調するイルミに、ナマエは苦笑した。
イルミ的にはいらないものを押し付けただけだが、透は喜んでいるので良しとしよう。

家に戻ると一徹中の零が早々に帰宅していて、夕飯の準備も済んでいた。
テーブルの上にはいつもより二割増しでセロリ料理が並んでいる。それを見た透は頬を引き攣らせ、イルミはナマエだけがわかる程度に目を輝かせた。

夕食後は透がイルミを誘って二人で風呂に入り、いつも通りの時間に透は就寝する。
ただしお見送りがしたいと念を押されたので、深夜二時には起こしてあげなければ。

「あ、イルミ。これミルキに持ってって」

そう言ってナマエがプリンターから出力したのは、何年も前に着たバニーガール姿の写真だ。
それを見たイルミは「あーアイツ喜びそう」と受け取った。

「イルミ、これは僕から」

零が差し出したのは一冊のノートで、中にはお手本のように綺麗なハンター文字でセロリ料理のレシピが書かれている。
セロリ仲間ができたのが嬉しく、元々きんぴらだけの予定だったのがつい張り切ってしまったようだ。

「やった、ありがと」

表情を変えずに受け取ったイルミは、レシピノートにバニーガール写真を挟み込む。
そのままダイニングで談笑していると、いつの間にか彼の左手の甲に浮かぶ文字は「2」になっていた。

「二人飛べる方法が見つかったらまた来るから。そしたら姉さんも帰るでしょ?」

零が淹れたコーヒーを飲みながら、当然のようにイルミが言う。

「帰らないよ」
「えー」

即答したナマエに、イルミは不満そうな声をあげた。
それからおもむろに椅子を下りたイルミが、ナマエが座る椅子の傍らにしゃがみ込んで小首を傾げた。

「にゃん」
「ぐっ……」

突然の猫真似と、苦しそうに胸元を押さえたナマエを見て零が目を白黒させる。

「これ十回に一回くらい無償で言うこと聞いてくれるから、鈴取りより楽なんだ」
「へ、へえ……」
「う…可愛いけどダメ。もうこっちに家族がいるんだから」
「なんだ、つまんないな」

そう言ってイルミはあっさり立ち上がった。

「ナマエ、そろそろ透を起こしてこようか」
「うん、そうだね」

手の甲の文字は「1」になっている。
寝室に向かった零とともに、まだ半分夢の中の透が目を擦りながら起きてきた。
ナマエは透と目線を合わせるようにしゃがむと、寝ぼけ眼の彼に話しかける。

「透。イルミがね、そろそろ帰るって」
「うん………」

こくん、と頷いた透が、ふらふらとした足取りで玄関に向かう。彼は幼稚園のバッグをゴソゴソ漁ると、一枚の紙を取り出してきた。

「これ、イルミさんに」

そう言って透が手渡したのは、幼稚園で描いてきたらしい一枚の絵だ。
それには透を中心に、イルミとナマエ、零の四人が描かれている。

「ふーん。もらっとくよ」

イルミは相変わらずの無表情で、それをレシピノートに挟み込んだ。
するとイルミの足元から徐々に透けていくのがわかる。ノートを抱える指先も、ノート自体もあっという間に見えなくなった。

「あ、そういう感じで帰るんだ」

感心したように頷くナマエに、イルミもまた「らしいね」と頷く。

「ばいばい、イルミさん」
「うん、バイバイ」

手を振り合う透とイルミを見て、透の両側にしゃがみ込んだナマエと零も笑顔で手を振った。
寄り添う三人の姿を見ながら、消え行くイルミが零した「ま、悪くはないか」という呟きは誰の耳に届くこともなかった。




***




透が再び寝付くと、家にはすっかりいつも通りの静寂が戻っていた。

「零もそろそろ寝たら?」
「ああ。もう少しだけ」

コーヒーを飲むナマエの向かい側で、零は梅昆布茶を飲んでいる。
するとふと思い立ったように椅子を下りた零が、ナマエの足元にしゃがみ込んだ。

「にゃん」

笑顔で小首を傾げた男に、ナマエはガタガタガタッと音を立てて立ち上がる。
わかりやすく動揺した彼女の手元では、珍しく少しだけコーヒーが零れていた。

「えっ? なに、何が望み?」
「いや、その反応が見たかっただけだ」

今ならどんな望みでも叶えそうなナマエに、零はふっと笑いかける。
それから立ち上がって、体勢を崩したままの彼女をぎゅっと抱き締めた。

「帰らないって言ってくれて嬉しかった」

ありがとう、と呟くように続ける。
力強く包み込む体温に目を瞬かせたナマエだったが、やがてその背中に手を回した。
帰る方法が見つからないから帰らないだけ。そう思っていた時期も確かにあった。
でも今は、帰りたくない理由が明確にある。

「……うん、ここにいるよ」

きゅ、と彼の服を掴むと、抱き締める腕にグッと力がこもる。
ぎゅうううっと息もできないほどに抱き締められながら、ナマエは緩む頬を隠しもせずにへらりと笑った。


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