11
ナマエが下手くそなりに降谷を慰めた翌日、彼はすっかり元通りだった。
彼女がやったことのどれかが効いたのか、それとも彼が自分で切り替えたのかはわからないが、いつも通りの降谷に彼女は安堵した。
そしてその日、いつものようにポアロで本を一冊読み終えたナマエは、誘いに来たコナンに連れられて工藤邸に遊びに来ていた。
「初めまして、ナマエ・ミョウジです」
「僕は沖矢昴といいます。よろしくお願いしますね、ナマエさん」
大きな洋館は工藤新一という高校生探偵の自宅だそうだが、そこには沖矢という大学院生が一人で住んでいた。元々の自宅が火事で燃え、ここに居候しているらしい。
そしてナマエをここに連れてきたコナンの目的といえば、もちろん―――
「それでナマエさん、ホームズはどのエピソードが好き?」
「私は「技師の親指」かなぁ。産業革命の雰囲気が感じられて好きなんだよね」
「おや、いいところをつきますね。僕はやはり「まだらの紐」でしょうか。ストーリーが秀逸で」
ナマエは特に熱狂的なシャーロキアンというわけではないが、どうやら二人には同志認定をされてしまったらしい。
同じ趣味があると距離が縮まるのも早いようで、ポンポン飛び交う会話が小気味いい。
「ホームズって超能力的な洞察力ばかり注目されがちだけど、実は綿密な科学捜査に裏付けされてるっていうところが私は好きだな」
科学者でもあるナマエとしては、推理うんぬんよりそちらの方が興味深い。彼女自身、法科学の書籍や論文もかなり読み込んでいる。
「わかってるねー、ナマエさん!」
新たな同志の登場に、コナンはすっかりホクホク顔である。そしてこの日、ナマエのスマートフォンにコナンと沖矢の連絡先が追加された。
***
その後、降谷はベルツリー急行とかいうミステリートレインに乗車したり、コナンたちにテニスを教えたりしていたようだが、そのどちらにもナマエは同行しなかった。
どちらも関わる必要はないと彼に言われたためだ。
ちなみにミステリートレインから戻ってきた彼がまた少し気落ちしているようだったので、ナマエは彼の好物を振る舞い、コンビニスイーツを譲ってあげた。それから前回と同じく彼の髪を撫でようと近づいたところで、なぜか「それはいい」と固辞されてしまった。
前回、実は嫌だったのだろうか。それは申し訳ないことをした。もうやらないでおこう……と反省したナマエだった。
そしてそんな彼女は今、サッカーをしていた。
「ナマエお姉さん、シュートシュート!」
「えっ、わっ」
慌てて振ったナマエの右足が空振りする。
「姉ちゃんまたかよー!」
「直前までボールをよく見るんですよ!」
「だって遠近感がぁ」
日常生活に支障はないとはいえ、さすがに球技の練習まではしてないから…とナマエは項垂れる。片目だとこうも難しいのか。一つ勉強になった。
「ナマエさん、大丈夫?ちょっと休んでてもいいよ」
コナンがそう声をかけてくれるが、せっかく仲良くなったはずの彼の目にはどこか鋭いものがある。
(私何かしたかなぁ…)
ありがたく隅で座っておくことにしたナマエは、ため息をついてから思考を巡らせた。
今日も今日とてポアロで本を一冊読んでから外に出たナマエは、コナンに捕まって何やら質問攻めにあった。そしてそこを子供たちに見つかり、彼らがコナンをサッカーに誘うついでに初対面のナマエまで巻き込まれてしまった―――というのがここまでの流れだ。
コナンからの質問攻めとは、「バーボンって知ってる?」やら、「安室さんのマンションに住み始めたのっていつ?」やら、脈絡のないものばかりだった。
バーボンは酒の種類だし、マンションに住み始めた時期も正直に答えた。にも関わらずコナンの視線は鋭いままだ。最近の子はよくわからない。
「おい、追っかけよーぜ!!」
「ナマエお姉さんも早く!」
「えっ」
急に名前を呼ばれ、ナマエは反射で立ち上がった。
走り出した子供たちについていきながら話を聞くと、どうやらポアロによく来る猫が道路に飛び出して行ってしまったらしい。しかもその爪に、哀という子のセーターの毛糸を引っ掛けたままで。
「あ!いたよ!車の後ろ!!」
歩美が指差したのはチーター宅配とかいう宅配業者のクール便トラックだ。中に入ってしまった猫を子供たちが追いかけたので、ナマエもつられて中に入った。
「いたわ!」
「大ちゃん!」
猫を無事見つけ、さぁ出ようというところで「扉開けっ放しじゃねーか!」と業者が扉を閉めてしまう。
「え?」
そのままトラックが走り出してしまうわ、哀のセーターが完全にほつれ切って下着だけになってしまうわで、寒い荷台の中はてんやわんやだ。
しかもその荷台には、誰も予想していなかった「先客」がいた。
「し、死体!?」
うわ、とナマエは顔を顰めた。しかし子供たちは瞬時に落ち着いて話し出す。この子達、何者…?と頭を捻るナマエだった。
***
「ごめん、今日スマホ忘れちゃって…」
「誰か携帯電話貸してくれ」というコナンに、ナマエは眉尻を下げてそう答えた。
どうやら彼らはコナンを中心に少年探偵団を自称しているらしく、殺人事件にも度々遭遇しているそうだ。コナンの推理は的確で、ナマエの存在を忘れているのか子供らしさの欠片もない。
知り合いの刑事に連絡したいらしいが、ナマエはポケットに入れたスマートフォンの存在を咄嗟に隠した。安室名義とはいえ、そこには降谷の連絡先が入っているのだ。触らせない方がいいだろう。
結局外部と連絡を取ることはできず、彼らの持ち物の中からレシートに加工をして猫に託すことになった。
彼らが作業をするのを横目で見ながら、ナマエはそっと両手を合わせて立ち上がる。冷蔵設備に右手で触れたところで、バチッという音にコナンが振り向いた。
「ナマエさん?どうしたの?」
「あ、ううん、あちこちいじってたら静電気が…」
いたた、と右手を振ってみせる。
冷蔵設備の操作はここではできないようだったので、彼女はこっそり送風口を塞いだのだ。一目でわからないよう、格子の表面ではなく内側を。
(とりあえず、これで温度は下がらない)
後は人の体温でじわじわ上昇していくだろうが、それまで彼らがもつかどうか。
開いた扉から猫が飛び出していくのをダンボールの陰から見送って、ナマエは彼らに声をかけた。
「みんな、一塊に集まってこれを羽織って」
脱いで見せたのは彼女が着ていたコートだ。ポケットに入れていたスマートフォンは、ボトムスのポケットに避難させてある。
「え、でもそれじゃあナマエさんが…」
「私は雪国の生まれだから耐性あるし、大丈夫。とにかくみんなで固まって」
ナマエがセントラルに異動になる前にいた北方司令部は、このクール便のトラックよりもはるかに寒さの厳しいところだった。このくらい特に問題はない。
子供たちをぎゅうぎゅうにまとめてコートをかける。足りない部分はナマエが抱き締める形で補った。
「みんな、大丈夫?」
「うん!さっきより暖かいよ」
「ナマエお姉さん、ありがとうございます」
「苦しいかもしれないけど、密着してる方が寒くないからね。もう少し頑張って」
猫の件がうまくいかなかったら、自分が錬金術でなんとかするしかないだろう。扉の鍵を壊すくらいならバレずに済むかもしれない。そう考えてナマエは人知れず嘆息した。
しばらくするとトラックが停車し、扉が開いた。持ち出したのは先程コナンが手を加えていた荷物だ。どうやらそれが沖矢のもとに届くよう細工をしたらしく、目論見通り犯人の男が沖矢からの荷物を集荷して戻ってきた。
ナマエの脇を抜けるようにしてそれに駆け寄ったコナンが、その箱から一台のスマートフォンを取り出す。
(あー、なるほど)
コナンの策略に舌を巻くナマエだったが、その瞬間、荷台の扉が開いて犯人の男たちが姿を現す。携帯を取り上げてここに閉じ込めるつもりのようだ。
(仕方ないなぁ)
まだ動けるナマエが制圧しようと立ち上がったところで、男たちの背後からクラクションの音が聞こえた。
「すみませーん!この路地狭いから譲ってもらえますか?傷つけたくないので!」
聞き慣れた声に、彼女は体の力を抜く。
「た、探偵の兄ちゃん!」
「助けてー!」
「あれ?君たち何をやってるんだい?そんなところで」
その後の展開はあっという間だった。犯人の一人に安室が痛烈な拳を叩き込み、ガムテープで二人を拘束しておしまいだ。
「ナマエも一緒だったんですね。ああ、すっかり冷えてしまって…」
そう言ってナマエの頬に添えられた安室の手は、驚くほど温かかった。
「わ、透の手あったかい!」
体温が高めなのだろう。冷えた体にはありがたい。ナマエはもう片方の手も取ると、それらを両頬に添えて「はぁー」と目を閉じた。
「ちょ、ナマエさん…」
足元から動揺したようなコナンの声が聞こえる。ナマエが目を開けると目の前の安室は苦笑していて、足元のコナンは顔を真っ赤に染めていた。
「ん?コナンくんもやる?」
掴んだままの安室の両手を差し出してみると、コナンは「いや、いいよ…」と半目で辞退した。
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