12
降谷の組織潜入時のコードネームは、バーボンというらしい。
コナンからの質問が気になったナマエが、「バーボンってお酒の種類以外に何か意味があるの?」と聞いたところ、意外にもあっさり教えてくれたのだった。
(ていうかコナンくん、組織のこと知ってたんだ)
ナマエはむしろそっちに驚いていた。
只者ではないとは思っていたが、まさかその歳で犯罪組織に敵対する立場とは。末恐ろしいというか、危ういというか。
「ねえ、バーボンって美味しい?」
「気になるところはそこなのか」
純粋な興味だったが、降谷は呆れたように返した。
「お酒って軍部の付き合いでしか飲んだことなくて。私、あんまり強い方でもないみたいだし。…本当は色々飲んでみたいんだけど」
「…飲んでみるか?」
「あるの?」
降谷が取り出してきたのは、飲み比べられるようにかバーボンとスコッチの二種類だった。グラスも二つ用意してくれてある。
ナマエはストレートで注がれたそれらの香りを嗅ぎ、それからチビチビと口をつけた。
「あ、スコッチ飲みやすい」
「そうか」
「バーボンは…ハッキリした味だね」
飲んでみると、面白いほどに違いがわかる。
「どっちも美味しい。向こうのお酒よりやっぱり質がいいのかなぁ」
数口ずつ飲んだだけで、ナマエは自分が少し上機嫌になっているのがわかった。顔が温かくなり、吐息が熱を持つ。
「本当に強くないんだな」
「ふふ、発泡酒は結構飲めるんだよ。上官によく飲まされたし」
「なるほど、今回はまだ飲み慣れてないっていうのもあるか」
「そうそう」
新しくグラスを持ってきた降谷が、自分用に注いで飲み始める。
「零はどっちが好きなの?」
「僕は…スコッチかな」
「ふうん」
ナマエもスコッチに口をつける。うん、やっぱり飲みやすい。続いてバーボン。うん美味しい。
「…バーボンも美味しいよ?」
なぜかフォローするような口ぶりになるナマエに、降谷がプッと吹き出した。
「ふ…、大丈夫、わかってる」
「私はバーボンの方が好きだなぁ。なんかハデハデしくて」
「どういう表現だ」
「華やかと言え」とツッコむ降谷に、へへへ、とナマエが笑う。これは酔っている。
「その辺にしといたらどうだ」
「へへへ…おーいバーボーン」
「はいはい…絡み酒か」
彼女の酒を片付けながら、降谷は呆れたように笑った。
***
蘭と毛利と一緒にポアロでモーニングを食べていたコナンは、カウンターで本を読むナマエの後ろ姿に目線を向けた。
その一冊を読み終わったら、また図書館に行くなりするのだろう。
組織のバーボンである安室透は本名を降谷零といい、組織に潜入する公安警察のゼロだった。
先日工藤邸で彼の追及を乗り切ったコナンに、もう安室に対する疑心はない。油断できない人物ではあるが、正義の人ではあると思っている。
彼と一緒にいるナマエももしかしたら組織と関わりがあるのではと思っていたが、おそらくそれもないだろう。
(朝から晩まで本読んでるかその辺ウロウロしてるだけの女が、同じ公安警察ってこともねーだろーしな)
安室ないし降谷の遠い親戚で、という話はもしかしたら本当なのかもしれない。そして彼の本職や潜入については何も知らない、という可能性も十分あり得る。
(ん?)
ふと、コナンは空席を挟んで二つ隣に座る男性客が気になった。
スーツを着て眼鏡をつけた、一見普通のサラリーマンだ。食べているのはコナンたちと同じモーニングだが、その視線はしきりにカウンターを気にしているように見える。
梓のファンだろうか、とも思ったが、梓が裏に引っ込んだ後もその視線はチラチラとカウンターに向く。
今カウンターにいるのは安室と、本を読んでいるナマエだけだ。
(ナマエさんを見てる?)
その予想を裏付けるように、トイレに向かったナマエの姿を男の視線が追い続けた。そしてトイレから戻ってくる彼女のこともチラチラと見ている。
「今日はどちらに?」
本を閉じてバッグに仕舞った彼女に、安室が話しかけた。そろそろ店を出るのだろう。
「うーん、どうしようかな…米花図書館もあらかた読み尽くしちゃったんだよね」
マジかよ、とコナンは瞠目した。
彼は一度図書館にいるナマエを目撃したことがある。読書スペースの一角には本の山が築かれており、異様な雰囲気が漂っていて話しかけることすらできなかった。確かにあのペースで読んでいればあり得ないことでもないのだろうか。
「むしろ何かやることない?」
「うーん、車も今は綺麗なので…」
安室が顎に手をやって考え込む。車?普段洗車でも頼んでいるのだろうか、と意外に思う。
「そうだ、一度読んだ小説の原書を読んでみるのはいかがでしょうか」
「原書を?」
「ええ。翻訳前後で全然言い回しが違うこともあって、面白いですよ」
「ふーん、じゃあそうする」
駅前の本屋さんに行ってくるね、とナマエが席を立った。
会計を済ませた彼女が店を出ると、少しして二つ隣のテーブルにいた男もまた帰っていく。
コナンは男の後ろ姿をじっと見つめていた。
***
あれから、コナンは同様の光景を二回、ポアロの店内で目撃した。
少年探偵団の面々とポアロの前を通りがかった時に、一人でコーヒーを飲むあの男性を見かけたこともある。もう一度通りがかった時にはナマエもまたカウンターに座っていたので、もしかしたら彼女が来るのを待っていたのかもしれない。
「あれナマエお姉さんじゃない?」
「あっ、本当ですね!」
「おーい姉ちゃーん!」
通りの向こうから、今まさに思い浮かべていた彼女が歩いてくるのが見える。
クール便の一件ですっかり彼女に懐いた子供たちが、手を振って声をかけた。
「あ、みんなー」
それに気づいたナマエも、手を振りながら小走りで駆け寄ってくる。球技はイマイチだが、片目が見えなくても日常生活への影響はないようだ。
そして駆け寄ってくる彼女の背後で、コナンは件の男がパッと物陰に隠れるのを視界に捉えた。
(! 店外でも…)
「どうしたの?江戸川君」
その様子を不審に思った哀が問いかけてくる。
「いや…」
コナンは顎に手をやって考え込みながら、男の消えた物陰を睨みつけていた。
***
「ナマエをいつも見ている男性がいる?」
「うん、少なくとも僕にはそう見えたよ」
カウンター越しにコナンに話しかけられ、安室は食器を洗いながらそれに答えた。
「合ってると思うよ。僕にもそう見えたし」
「え、それで?」
「それでって?」
安室の表情は変わらない。
「…心配じゃないの?」
「うーん、大丈夫だと思うけど」
「今日はナマエさんを尾行してたみたい」
「へえ」
手を止めずに返す安室は、全く意に介していないようだ。
「何かあってからじゃ遅いと思うよ」
「それはそうだね。でも本当に大丈夫だと思うけど」
「……組織の人間っていう可能性は?安室さんも全ての構成員を把握してるわけじゃないんだよね?」
コナンが小声で問うが、「いや、そんな感じはしなかったよ」と軽く返される。
「じゃあ、安室さんと同じ公安警察?」
「君は本当に詮索が好きだね」
これには答えてくれないようだ。
安室はナマエをいつも気にかけているように見えたから、この反応は意外だった。
(ナマエさんのこと、心配じゃねーのかよ?)
コナンの疑問に答える者はいなかった。
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