19
その翌日、また朝早く家を出た降谷は、少ししてから戻ってきてナマエとともにポアロに出勤した。
途中で「毛利先生に差し入れしてきます」と店を出て行った彼だったが、それ以外特に目立った動きはない。
ポアロで長居するために本を数冊持ち込んでいたナマエは、コーヒーを飲んだりパスタを食べたりしていつになくダラダラと過ごしていた。
梓と安室が大型スーパーに買い出しに出掛けた時は、一人残ったマスターがケーキをおまけしてくれたりしてちょっとラッキーと思ったのはここだけの話だ。
そのさらに翌日。この日、ポアロのシフトは入っていない。
毛利は昨日のうちに送検されたらしいので、今頃検察官による捜査が行われているだろう。降谷はコナンの動きを追うべく、また朝早く家を出て行った。
午後三時。
小腹が空いたナマエは、一人で近所のコンビニに来ていた。
さすがに彼のいないポアロに入り浸る勇気はなく、今日は一日家で大人しく過ごしている。コンビニで適当に軽食を買ったら、また自宅に戻るつもりでいた。
(あ、このおにぎり美味しそう)
ナマエがおにぎりを一つ手に取ったところで、背後のレジからぼそぼそと呟く低い声が聞こえた。
「…おい、金を出せ。通報したら殺す。抵抗しても殺す。レジの金を全てここに入れろ」
ドサッと何かを置く音が聞こえる。
ナマエが視線だけで様子を窺うと、黒いキャップにマスクをした男が店員にナイフを突きつけていた。音を立てて置かれたのは黒いボストンバッグのようだ。
(白昼堂々、コンビニ強盗とは)
自分以外に客がいないことを確認してから、ナマエはおにぎりをそっと陳列棚に戻した。
店員はすっかり怯え切っていて、おぼつかない手つきでレジを開けようとしている。一方で強盗の男は格闘技経験者なのか、Tシャツから覗く腕は太く筋肉質で、立ち姿にも隙がない。
わかりやすくナイフで脅してはいるが、ナイフを取り上げたところで油断するタイプではないだろう。
ナマエはくるっと振り返ると、強盗の男に近づきながら「あの!」と声をかけた。
「あ?」
男はこちらに視線を向けると同時に、ナイフの切っ先をスッとナマエに向けた。
彼女はその刃をパチンと両手で挟み込む。
「…は?」
男が間の抜けた声を漏らすのと同じタイミングで、バチッという錬成反応とともにナイフの切っ先がぐにゃりと歪んだ。
ナマエが両手で挟んだそれを捻ると、男は呆気なくナイフを手放す。
「んだてめぇ!」
男がナイフを奪われたのではなく、ナマエを殴るために捨てたのは彼女にもわかっていた。切れ味のよさそうな右ストレートを左に踏み込んで避けながら、再び両手を合わせる。
太い右腕の上を滑るように伸ばした彼女の右手が、男の目元をがしっと掴んだ。
「…!?」
バチバチと青い光を発しながら、男の目元が凍り付く。
視界を奪われた男が後方に数歩たたらを踏んだところで、ナマエはその胸倉を掴みながら足払いを掛け、巨体を床に転ばせた。
「ぐっ…!」
頭部をしたたかに床に打ち付け、男が呻く。
ナマエはその腹にまたがると両手を軽く合わせ、男の両手首を掴んで話しかける。
「…このままゆっくり凍らされるのと、一気に凍らされて砕かれるの、どっちがいい?」
男は真っ暗な視界で、両手首がピシピシと音を立てながら冷たくなっていくのを感じていた。
***
(ちょっとやりすぎたかな)
ナマエは苦笑いを浮かべながら、恐縮した様子でペコペコと頭を下げる店員に「いえいえ」と手を振ってみせた。
レジ前の狭いスペースで事を済ませるため、小規模とはいえついつい錬金術を多用してしまった。
おかげで店内の陳列物などに被害はないが、店員には目撃され、拘束してすぐ溶かした男の目元と手首はしもやけ寸前だ。
幸い店員は「手品です」という強引すぎる言い訳を信じてくれたし、警察もまさか人が人を凍らせたとは思うまい。防犯カメラを確認してもわからないよう、念のため錬成反応も最小限に抑えてある。
強盗の供述をどこまで信じるかも微妙だし、とりあえず大事にはならずに済むだろう。
「えーっと、ミョウジさん」
「はい」
高木と名乗った刑事が駆け寄ってくる。
「お話を伺いたいんですけど、ここではなんなので…お時間大丈夫でしたら、警視庁までご同行いただけませんか?」
「わかりました」
大立ち回りを演じてしまった以上、変に渋って印象に残るのもよくないだろう。
パトカーに乗り込んだナマエは、『コンビニ強盗捕まえたので事情聴取で警視庁に行きます』と降谷にメールしておいた。
***
凍らせたうんぬんは全てぼかしながらなんとか事情聴取を終えたナマエは、庁舎内が何やら慌ただしいことに気付く。
「あっ、ミョウジさん!」
「はい?」
声をかけたのは、これまで彼女の事情聴取を担当していた高木刑事だった。
「すみません、実はちょっとトラブルがありまして…今庁舎内にいる人全員、避難しなきゃいけないみたいなんです」
「えっ、避難?」
「はい。バスが出るので、ご案内しますね」
避難が必要なトラブルとは穏やかじゃない。
バスの乗り場に向かいながら話を聞くと、どうやら避難先はサミット会場として予定されていたエッジ・オブ・オーシャンのようだ。
バスに乗り込んだナマエは『避難しなきゃいけないそうなのでこれからエッジオブオーシャンに向かいます』と降谷にメールする。彼からの返信はまだ来ていなかった。
エッジ・オブ・オーシャンに到着してバスを降りると、他のバスから園子や蘭たちが降りてくるのが見えた。
「あ、ナマエさん!」
「蘭ちゃんたちもいたんだね」
彼女たちもカジノタワーに向かうらしい。
「ナマエさんはどうしてここに?」
「ちょうど、たまたま警視庁にいて…」
コンビニ強盗を取り押さえましたとは言えない。その場には不起訴になった毛利もいて、ナマエは少しホッとした。
カジノタワーの上層階に着くと、そこは全面ガラス張りの豪奢な空間だった。
最初こそ眺めを楽しむ余裕もあったナマエだったが、すぐに飽きる。スマートフォンを確認しても降谷からの返信はなく、どうしたものかと思ったところで状況が動いた。
「えー!また避難!?」
園子が思わず声を上げる。
どうやら今度はこのカジノタワーが危ないらしい。状況がわからないながらもエレベーターに人が殺到し、現場はすっかりパニック状態に陥ってしまった。
すると、ようやくナマエのスマートフォンが着信を告げた。
人でごった返すエレベーター付近から離れ、誰もいない窓際に寄って通話ボタンをタップする。
「もしもし」
『今、カジノタワーだな?』
すぐに話し始める降谷はどこか余裕がない。背後からはエンジン音が聞こえるので、運転中だろうか。
「そうだけど…」
『今から言うことをよく聞いてくれ』
「わかった」
そして彼が告げたのは驚くべき内容だった。
「カプセルがここに落ちるの?」
『ああ、今言った座標は覚えたな?方角はわかりそうか』
「電話切ったらすぐ調べる」
『それでいい』
そこで降谷は言葉を切り、一拍置いて続けた。
『…僕達もできる限りのことをする。君もやってくれるか』
僕達ということは、彼は今コナンと共にいるのだろうか。
彼らが何をするつもりかは知らないが、ナマエは彼の期待を裏切るつもりはなかった。
「やるよ」
短く答えたナマエに、降谷は小さく笑って「頼んだ」と電話を切った。
(さて、時間がない)
ナマエは言われた座標をすぐに調べ、カプセルの飛来方向を把握した。
それからさっと周囲を見渡す。全員エレベーター付近に集まっていてこちらを気にしている者はない。
窓から下を見下ろしたナマエは、すぐ下を走るアーチ状の装飾に目を留めた。曲線だから安定感はないだろうが、
平らにすればいい。
ナマエはそれが一番近くなるところまで移動すると、その場にしゃがんで窓の下部を少し分解した。
風がビュウビュウ吹き込んでくるので慌ててそこから外に出て、装飾部分に降り立ってから背伸びして窓を再構築する。
(まずは足場を作って、と)
足元が安定するよう平らに錬成し直す。十分な足場ができたところで、ナマエはバサバサとなびく髪を押さえながら周囲を見回した。
(この足場だけじゃ材料が足りない。タワー部分からちょっと多めにもらって…ワイヤーには影響しないように…うん、いける)
両手を合わせたナマエがバチバチと青い閃光を発しながらその場に作り上げたのは、ミリタリー雑誌で見た榴弾砲―――いわゆる大砲だ。
大きくなりすぎるため砲台部分の造りは簡素にして、その分足場に固定して安定させた。155mmの口径を備えた長い砲身は迫力がある。本家のように射程距離24kmとまではいかないが十分届くだろう。
砲身を飛来方向に向けたところで、夜空に炎が尾を引くように現れ、その先に大輪の花火が炸裂した。
その花火を背に、黒い影がこちらに向かって急速に接近してくるのがわかる。
(あれか…!)
ナマエは砲身の向きを微調整しながら、思わず叫んだ。
「だから距離感、掴みにくいんだってばー!」
ドォンと轟音を響かせて発射された砲弾が、上空でカプセルに接触してさらなる爆音と爆炎をまき散らす。
すぐさま榴弾砲に抱き着いたナマエだったが、カプセルがそのすぐ横を通過したのにはさすがに泣くかと思った。
結果的にカプセルはカジノタワーを掠めることなく、無事東京湾に着水した。
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