21
鈴木次郎吉が「賢者の石」を研究チームごと買い上げたという速報を確認したのは、石の存在を知った一週間後のことだった。
「嘘……どうしよう……」
降谷のいない部屋に、ナマエの小さな呟きが落ちる。
あれは人が安易に触れていいものではない。研究するだけでも危険な代物だ。
それに鈴木次郎吉の手に渡ったということは、彼の性格上、きっとこれから衆目に晒されることになるだろう。
多くの人があれを目にして、そして触れる。
それが危険な行為であると理解しているのはこの世界でナマエ一人だけだ。
(鈴木財閥なら…園子ちゃんを通じて直談判できないかな)
でもそれは、多額の資金を投じたであろう新たな資産を、よくわからない女が「こっちに寄越せ」と言うのと同義だ。石を手放せということは、ナマエに渡せということなのだから。
(そんなこと、聞いてもらえるわけないか…)
ナマエが今頼れるのは、ただ一人だけだった。
***
「珍しいじゃん、ナマエさんが俺を呼び出すなんて」
「急にごめんね」
ポアロではない別の喫茶店で、ナマエの向かいに座ったのは快斗だ。
「いや、いいけど。なんかあった?」
アイスコーヒーとチョコアイスを注文した快斗に、ナマエは手元のコーヒーを口に運びながら遠慮がちに話し始める。
「えっと…直接会って相談したいことがあったんだけど…どこか二人きりになれるところないかな」
「へっ?」
思わぬ申し出に快斗が目を丸くした。
「あー、えぇー?相談って何系…?」
軽く頬を染めながら目を泳がせる快斗は、どうも戸惑っているようだ。
「えっと……シルクハット系…?」
どう表現したらいいかわからず適当に濁すナマエに、快斗はピタッと動きを止めて「あぁ…」と半目になった。
「なんだ、そっちかよ…。ちょっとドキッとしちゃったじゃん」
俺、思春期だもん、と口を尖らせる。
「ごめんごめん、頼れるのが快斗くんしかいなくて」
「まーいいけど。アイス食べてからな」
「もちろん。場所はどうするの?」
ナマエが首を傾げながら聞くと、彼はテーブルに頬杖をついて不敵な笑みを浮かべた。
「俺んち、来る?」
***
「その辺適当に座って」
「ありがとう」
結局快斗に誘われるまま、ナマエは江古田まで来てしまった。
(零に呼び出されたら即タクシー拾おう)
彼がポアロで働いている間に、ここまで離れるのは初めてのことだった。ちょっといけないことをしている気分になる。
「で、なんだって?」
勉強机の椅子に反対向きに座った快斗が、クッションに座るナマエを見下ろした。
「…快斗くんは賢者の石のこと知ってる?」
「あー、鈴木財閥のじいさんが最近買い上げたっていう赤いやつな」
さすがに知っているらしく、即答だった。
「まぁ俺は興味ねーけど」
「そうなの?」
「色も濁っててカットして綺麗になりそうな感じじゃねーし、新種ってのも眉唾だしな」
「ふうん」
あのじいさんも好きだよなーホント、と呆れたように言う快斗に、ナマエは姿勢を正して向き直る。
「あのね、快斗くん」
「ん?……何?」
改まった様子の彼女に何か感じたのか、椅子の背もたれにだらっと倒れ込んでいた快斗も上体を起こした。
「もし私が……あの「賢者の石」を盗んでほしいって言ったら、どうする?」
ナマエの問いかけに、快斗は「は……?」と固まった。
「…あれは、人の手に渡ってはいけないものなの。私はあれを破壊したい」
そのために力を貸してほしい。
そう言って頭を下げたナマエに、快斗はしばしの沈黙の後、ようやく動き出した。
「…え、ちょっ、ちょっと待ったナマエさん。盗むって…言ってる意味わかってんの?」
「うん。あれが破壊できれば、私はどうなっても構わない。快斗くんが手を貸してくれるなら、盗み出すのは私の手でやったっていい。別に快斗くんに罪を重ねさせたいわけじゃないから」
ナマエは頭を下げたまま続けた。
「お願いします」
その姿を見て、呆気に取られていた快斗が「なんで?」と小さくつぶやく。
「なんで…そんなことすんの?」
ナマエは顔を上げ、快斗の目をじっと見つめながら「あれは」と切り出す。
「あれは……本物なの」
「は…?」
「本物の、賢者の石なの」
その言葉に快斗は怪訝そうに眉根を寄せる。賢者の石なんて伝承上の存在だ。本物も何もない。
そんな快斗の考えもわかっているのだろう、ナマエは長いため息をついてからさらに突拍子もないことを話し始めた。
「私、錬金術師なんだ」
***
「え、えぇーと、つまり…ナマエさんはアメストリスっていう国から来た錬金術師で、軍人で、大佐で…?ホムンクルスっていう化け物に禁忌を強制されたせいでこの世界に来て…?ついでに右目の視力も奪われたって?」
「うん、そう」
このやりとり既視感があるなぁ、とどこか他人事のように考えながらナマエは頷いた。
「…はぁー、俺のIQを持ってしても理解に苦しむ…」
「ごめんね、複雑な身の上で」
「いや、いーんだけどさぁ。別に信じないわけじゃねーしさ」
「ほんと?」
ナマエは目を丸くして驚いた。降谷にはバッサリと切り捨てられたので、快斗のその反応は意外だった。
「まぁ、魔女が知り合いにいるし、こういう変な出来事は人より耐性があるっつーか」
「…魔女……?」
今度はナマエが呆気に取られる番だった。
「いや今はいいんだ、その話は。んで?賢者の石が本物っつーのは?」
そう、ここからが本題だ。
「あっちの世界には、賢者の石が実在するの。私も見たことがある」
「マジか」
「それが使われるところも見たことがあるし、作り方も一応知ってる。さっき言ったホムンクルスは賢者の石の力で不死に近い体を得てるし」
そこまで話したところで、快斗が椅子からガタッと立ち上がった。その勢いのまま距離を詰めた彼が、ナマエの両肩を掴む。
「今、不死って言ったか!?」
「えっ、うん」
「不老不死ってことだよな!?」
ナマエは一瞬ホムンクルスたちの姿を思い浮かべて、「まぁ、基本的には老けないと思う」と答えた。
「マジか…じゃあパンドラの可能性も…」
「パンドラ?」
ナマエの肩から手を離した快斗が、その場にどかりと座り込む。
「俺にも目的があるんだ」
彼は、パンドラと呼ばれるビッグジュエルを探しているのだと話す。それは月にかざすと中にある赤い姿が見える宝石で、不老不死が得られるのだという。
父の仇である組織がそれを追っているため、その野望を阻止すべくパンドラを見つけて破壊したいのだと彼は言う。
「パンドラか…」
賢者の石とそれが同一である可能性は低いだろうが、「ありえない」なんて事はありえないのだ。今ここでそれを否定する根拠もない。
「ナマエさんは賢者の石を破壊したいっつったな」
「うん」
「じゃあ俺がそれを盗み出して、パンドラかどうかを確認してから壊せばいいってこと?」
その質問にナマエは首を振った。
「賢者の石は、多分私にしか壊せない。…ううん、私にも壊せるかどうかはわからない」
「…どういうこと?」
「あれは叩いて壊せるものじゃない。だから錬金術で分解するしかないと思う。…でも対象の分子構造を理解していないと錬金術は正しく発動しないから、上手くいくかどうか」
「え?でもさっき、作り方を知ってるって」
快斗が先ほどのナマエの言葉を思い出して頭を捻る。作り方を知っているなら、何でできているのかもわかっているのではないか。
「材料が何かは知ってるけど、その材料を構成するものがわからないって言えばいいのかな…」
「ますますわかんねー」
ナマエは困ったように眉尻を下げ、そして言った。
「賢者の石の材料は、生きた人間なの」
生きた人間の魂だけを抽出して凝縮した赤い何か。それが賢者の石だ。
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