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自宅の鍵を開けて帰宅した降谷は、部屋の電気が点いていないことに気づいた。

「…もう寝てるのか?」

いつもギリギリまで降谷の帰宅を待つ彼女は、それに比例して寝るのが遅い。まだ日付も変わっていないこんな時間に寝るのは珍しかった。

ドアを閉め、ドアに付いた郵便受けを確認した降谷がいくつかの郵便物を取り出す。するとその隙間から、カランと鍵が落ちた。

「……え」

落ちた鍵を手に取って、降谷は一瞬固まった。これはナマエに持たせていた合鍵だ。

「ナマエ?」

鍵を持ったまま室内に足を踏み入れると、ダイニングテーブルに置いてあるスマートフォンが目に入る。

「……」

それは、純粋な連絡手段として彼女に与えたものだ。発信器も盗聴器も、遠隔操作アプリも仕込んではいない。
だからこそ彼女のプライバシーを尊重し、降谷からは一度も触れたことがなかった。

降谷と同じキャリアで、同じ機種で、色も降谷と同じ白だ。
見慣れたデザインのそれを手に取り、サイドのボタンを押してディスプレイを起動する。

―――初期化されている。

鍵とスマートフォンを乱雑にテーブルに放り、降谷は和室の収納を力任せに開けた。

(ない)

そこには空のダンボールがあるだけだ。中に入っていた彼女の軍服も、外套も、銀時計もない。

舌打ちを一つ零し、降谷は自宅を飛び出した。




***




白いRX-7は米花町と杯戸町を縦横無尽に疾走した。
ナマエの行動範囲や交友関係からシミュレートし、可能性のある場所を虱潰しに走り抜ける。

(何があった?)

降谷とナマエは半年程度の付き合いだが、たいていのことは彼女一人で乗り切れるということを降谷は知っていた。
男に付け狙われた時もそうだ。降谷がナマエを心配することはなかった。

ナマエには武力も知力もある。
彼女に足りなかったのはこちらの世界での身分証明と衣食住だけで、それらは降谷が全て与えた。
だからこそ、どうしようもなくなった時に彼女が頼るのは自分なのだと、自分しかいないのだと、降谷はそう思っていた。

(…なのになぜ、僕に何も言わない)

ここのところ、ナマエがどこか上の空だったのは降谷も気付いていた。
それはちょうど、新種の鉱石が見つかったというニュースが世間を駆け巡った辺りからだ。

賢者の石。それは錬金術における至高の物質とされる代物だ。
暫定的とはいえそんな名前をつけられた鉱石に、彼女も何か思うところがあったのかもしれない。

(まさか…帰る方法が見つかった?)

彼女が通ってきた「真理の扉」とやらは、禁忌を犯さない限り開かないと聞いていた。だから彼女にここ以外の居場所はないのだと思っていた。彼女がいなくなるなんて、考えたこともなかった。
それでももし、帰る方法があるのだとしたら。

ふと思いついた降谷が、中央分離帯の切れ間で愛車をUターンさせる。

彼女にまつわる場所で、まだ確認していない場所が一か所だけある。彼女がこの世界に落ちてきた場所だ。あの時もこんな風に月が明るい夜だった。

(…勘に頼るなんて、らしくないな)

自嘲するような笑みを浮かべて、降谷の右足がアクセルを強く踏み込む。
やがて峠の入口が見えてきたところで、突然目の前が明るく染まった。

「!?」

咄嗟にブレーキを踏み込み、車の外に飛び出す。

そして目線を上げた降谷は目を疑った。
彼が見上げた先では、辺り一面を覆うほど巨大な青い閃光が迸っていた。




***




気づくと、ナマエは白い空間にいた。

壁も境界も存在しない、ただの白い空間。ナマエはそれに見覚えがあった。
後ろを振り向くと、案の定そこには複雑な紋様の入った巨大な扉と、その前に立つ白い人影が見える。

「やあ、また来たね」

靄がかったような人影が、ナマエと全く同じ声で話しかける。

「…人体錬成をしたつもりはないけど」
「まあまあ。ちょっと話そうよ」

手招きをする人影に、ナマエはため息をついて近づいた。
さすがナマエの内側にいるだけあって、口調も彼女と全く同じだ。

「なんで私はここにいるの?」

問いかけると、人影が首を傾げる。

「質問、それでいいの?」

質問を質問で返されて、ナマエは黙った。そして質問を変えた。

「…賢者の石は、どうなったの」

両手のひらで挟み込んだはずの石は、今ここにはない。

「まだあるよ」
「……あ、そう」

その答えはナマエも予想していた。そう簡単に壊せるとは思っていない。
しかし石を分解しようとして真理の扉を開いてしまうとは思っていなかった。一体何が禁忌に触れたのだろう。

ナマエが考え込んでいると、人影が再び口を開く。

「石を通行料にして元の世界に戻れるけど、どうする?」

言われた言葉を飲み込むのに、少し時間がかかった。

「…え?」
「向こうは大騒ぎだよ、氷結の錬金術師が消えたって」
「大騒ぎって…もう半年も経つのに」
「5日」

真っ白でしかなかったその顔に、ニィッと歯を見せて笑う口が現れる。

「向こうでは5日しか経ってないよ」

告げられた言葉に、ナマエは声が出なかった。

「どこもかしこも同じ時間が流れてるわけじゃない。ほら、早く決めないと焔の錬金術師が君を人体錬成しちゃうよ」

人影が畳みかけるように言う。情報量の多さに頭痛を覚えたナマエが額を押さえた。

「ちょ…何言って…ロイが人体錬成?そんなことするわけない」
「彼もまた、賢者の石を手に入れたんだよ」

その言葉にナマエは目を瞬かせた。

「え?」
「彼なら石を何に使うか、君が一番わかってるんじゃないかな」

ロイが賢者の石を手に入れた。そのこと自体は驚くようなことじゃない。
ホムンクルスから奪ったか、ティム・マルコーが隠し持っていたか。少なくともナマエが持っていた賢者の石よりは、ずっと現実的な方法で手に入れたはずだ。

「…ロイなら、国を変えるために使うよ」
「本当にそう思う?親友を殺したホムンクルスを消し炭にして殺し続けた男だよ?」
「………」

ナマエは胸がぎゅっと詰まるのを感じた。
自分が目の前で消えて、彼はどう思っただろうか。そして賢者の石を手に入れて、何をしたいと願うのだろうか。

「もし彼が人体錬成したらどうなるの?私はここにいるのに」
「さあ…前例がないからわかんないなぁ。まぁ失敗するだろうけどね」

さて、彼が払う代償は何かな?

二ッと笑みを浮かべたままの口元を見て、ナマエはギリッと奥歯を噛み締めた。
時間は本当になさそうだ。それなら、彼女の答えは決まっている。




***




峠道の途中にある開けた場所で、幅の広い路側帯に車を停めた降谷が辺りを見渡した。
確かにここから青い光が発するのを見たのに、何もない。

(錬金術が使われたのは確かだ。それなのにナマエがいないということは……)

その先はあまり考えたくなかった。

「…僕はいつも間に合わないな」

ぽつりと零れた呟きは、自分でも驚くほど弱々しかった。

もう認めよう。彼女はいない。
郵便受けに入れられた合鍵も、初期化されたスマートフォンも、彼女が自らの意思で出て行ったことを表している。

「ナマエ……」

彼女はもう、この世界のどこにもいない。


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