番外編(26話主人公視点)
「さぁ、通行料の分は見て行きなよ」
そう笑う真理の後ろで、扉が開く。
「…げ、またこれ…!?」
無数の手に体を掴まれたナマエは、抵抗虚しく知識の渦に飲み込まれた。
***
「…いっ…いてて」
体を起こすと、地面はすっかり見慣れたアスファルトに変わっていた。
「頭痛い……」
容赦なく叩き込まれた知識に頭痛を覚え、こめかみを揉む。意思とは関わりなくもたらされる知識はもはや暴力だ。
ナマエがそれを見るのは二度目とはいえ、慣れることはなかった。
「…あー、戻ってきた?」
周囲を見渡せば、そこは間違いなく最後の錬成を行った場所だった。ただし夜だったのが朝になってはいるが。
木々の隙間から差し込む朝日を眺めながら髪に触れる。
「うわっ、本当に短い」
適当に引きちぎられたのか、長い部分と短い部分が混在していておそらく非常にみっともない状態になっている。「ひどい…」とナマエは項垂れた。
とはいえ、いつまでもここにいるわけにもいかない。スマートフォンも財布もないし、歩いて峠道を下りていくほかないだろう。
幸い、ナマエは不眠不休も飲まず食わずも人より慣れている。時間はたっぷりあることだし、ゆっくり歩いていくとしよう。
***
峠を出て、軍服にボサボサ頭のまま歩いていく。日が昇ったばかりとはいえ車通りも人通りもあり、視線が痛い。
とりあえず歩きながら外套と上着を脱ぎ、インナー一枚になってみる。見た目はマシになったかもしれないが今度は寒い。
(米花町は…あっちか)
寒さなら耐えられるナマエは、そのまま車道の青看板の示す通りに米花町へと足を進めた。
それから二時間ほどは歩いただろうか。ようやく見慣れた町並みが見えてきて、ナマエは記憶を頼りにマンションへと向かう。
(……知り合いにこの格好見られたら気まずいなぁ)
今フラグ立ったかな?と不安に思うナマエだったが、なんとかフラグを回収することなく無事にマンションに到着した。
しかし駐車場に見慣れたRX-7はなく、インターホンを鳴らしても反応はない。降谷は不在らしい。
こんな不審な格好で待つわけにもいかないだろう、とため息をついたナマエが踵を返す。
今日の曜日すらわからないが、いつでも家にいそうといえば沖矢だろうか、と失礼なことを考えたナマエが工藤邸へと足を向けたところで、背後から聞き慣れた声がした。
「ナマエさん?」
振り返ると、そこには目を丸くした快斗が立っている。
「あ、快斗くん!」
よかった助かった、と駆け寄るナマエに快斗は混乱した様子だ。
「えっ、あ、ナマエさん?マジで?本物?」
「本物!あー助かった」
「いや、マジで?」
信じられないという様子の快斗に首を傾げる。
「だってそのカッコ、まるで今帰ってきたみてーな…、いや、でももう手紙も渡したし、えぇ…?」
手紙を渡した、ということはあれから一週間は経っているということだ。
「…快斗くん、今日って何日?」
そしてその答えにナマエは短い悲鳴を上げた。
***
「いや、まさか一ヶ月経ってるとは」
ため息をつくナマエの後ろで、快斗は器用にハサミを滑らせる。
シャキ、シャキ、と小気味のいい音を立てながら整えられていく髪にナマエは感心していた。
「なんでもできるね、快斗くん」
「俺を誰だと思ってんの」
へへ、と得意気な彼にナマエも笑い返す。
「俺もビックリしたわ、ナマエさん見つけて」
「気にしてくれてたんだね、ありがとう」
どうやら彼はあれから一ヶ月、時間を見つけては峠の周りや米花町を訪れていたらしい。
「だってあれでお別れなんて信じられなくてさー」
快斗から伝わる純粋な好意に、ナマエは自然と頬が緩むのを感じた。
「…戻って来られて嬉しいなぁ」
鏡越しに快斗と目が合い、笑い合う。
死ぬ可能性すら予期していたナマエだったが、日常はこんなにも温かい。それにまた触れられたことに心から感謝した。
「おし、できた」
「ありがとう!綺麗になったー」
「あとは服だな」
丁寧に切り揃えられた襟足に触れていると、快斗がクローゼットをゴソゴソと探り出した。
「お、こんなのは?」
そう言って見せてきたのはもちろん女性物だ。
「…おい、変な顔すんなよ。変装用だからな」
「あ、そっか、うん」
「ぜってー変な想像しただろ!」
「いやいや、そんな…借りるね?」
「その優しい顔やめろ!」
必死の形相でツッコむ快斗に思わず吹き出すナマエだった。
***
快斗に電車代を借りたナマエが再び米花町に舞い戻った時には、すでに空が赤く染まり始めていた。
彼女が真っ直ぐ向かうのはポアロだ。
ドアベルをカランと鳴らして店内を覗き込むと、すぐにパタパタと足音が聞こえてきた。
「いらっしゃいま…あっ、ナマエさん!」
奥から出てきた梓がパァッと表情を明るくする。
「久しぶり、梓ちゃん」
「うわぁ、帰ってたんですね!」
降谷はナマエが国に帰ったとでも伝えているのだろうか。梓はずいぶん感激した様子だ。
「えっと、今手持ちがなくてお客さんにはなれないんだけど…透いる?」
ドアを開けたままの体勢で申し訳なさそうに言うナマエを、梓が店内へと引っ張った。
「今買い出し中なんです!とりあえず座ってください」
「え、でも…」
「いいんです、ナマエさんならもう身内みたいなものですから」
そう言って無邪気に笑う梓に、ナマエは思わず涙腺が緩みそうになった。相変わらずいい子だ。
「というか髪切ったんですね、ナマエさん!」
ずいぶんと短くなったナマエの髪に、梓が大きな目を瞬かせる。
「あ、うん、そうなの。ついさっき…」
ガチャン、と大きな音が聞こえて、ナマエは背後を振り返った。そこに立って呆然とした様子でこちらを見ているのは、安室だ。
「…あ、とおーーー」
言葉は最後まで続かなかった。
強く腕を引かれ、力任せに抱きすくめられる。ナマエの背後で、彼女と談笑していた梓が息を呑むのがわかった。
「えっ?」
安室らしくない反応にナマエが声を漏らす。抜け出そうともぞもぞ身動ぎしてみるが、彼の力には敵わなかった。
「…透?」
返事はない。ナマエをきつく抱き締めながら、安室が長いため息をつく。
(…零の匂いだ)
ナマエをふわりと包む香りが、他のどんなものより日常を実感させてくれる。
(うん、帰ってきた)
間違いなくここが自分の居場所だと確信して、ナマエは目を伏せた。
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